いつかあの青空の心に

少年のころ見上げた、あの青い空。澄み切ったあの空のような心になりたいと願った。その心に近づいているのだろうか・・・

相手が見えない

2005年03月24日 | 考える
話をしていて(というかむしろされていて)、退屈に感じることがある。
自分には興味のない話を微にいり細にいりえんえんとされる。

僕には君がバスの予約をしようがしまいが
そんなことどうでもよいのであって、
もっとかいつまんで筋だけ話してもらえないか。

バスの時間が何時と何時で、
集合時間が何時で、
それに間に合うにはどう行けばよくて、
~さんはどうする、こうする、なんて、
本当にどうでもいいことだ

相手がその話を聴きたがっているかどうか、
態度を見ればわかるだろうに。

そういう話をえんえんとされると、
で、結局どうなのよ?
と聞きたくもなるものだ。

感情の見えない、事実だけの話を延々と
されることほどストレスを感じることはない。
コメント (2)
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