テニスコーチと合宿に来ていた人が話していた。
「悪いフォームの場合は現状のプレイスタイルをすべて否定して
良いフォーム、ラケットの握り方、プレイスタイルに強制すべきだ」
それに対して、コーチはこう答えた。
「その人のフォームが悪いといっても、すべてが悪いわけではない。
よい部分はそのまま残して、悪い部分だけ改善すればよいと思います」
後でその人は、「あのコーチはコダワリがないのでつまらない」と
いう風なことを言ってたのだが・・・・
そのコーチは、「何々が得意」というような、特徴的なスタイルではなく、
どちらかというと平凡なテニスをする人であるが、
その台詞を聞いて、とある言葉を思い出した。
作用、反作用の法則。
作用が強ければ反作用も強い。
人は安楽な道を選びがちだ。
現状を全否定するのは簡単だ。
「このやり方が間違っていた」
「あの人はダメな人」
「自分自身はなんてダメな人間なんだろう」
だけど、本当にそうだろうか。
完全なものなど、あるわけがない。
その悪い部分だけを取り出して、あたかも全体が悪いように
判断するのはとても危険なことだ。
全否定はすっきりして、
わかりやすくて、痛快だけれども、
全否定はまた、大きな反作用を連れてくる。
「悪いフォームの場合は現状のプレイスタイルをすべて否定して
良いフォーム、ラケットの握り方、プレイスタイルに強制すべきだ」
それに対して、コーチはこう答えた。
「その人のフォームが悪いといっても、すべてが悪いわけではない。
よい部分はそのまま残して、悪い部分だけ改善すればよいと思います」
後でその人は、「あのコーチはコダワリがないのでつまらない」と
いう風なことを言ってたのだが・・・・
そのコーチは、「何々が得意」というような、特徴的なスタイルではなく、
どちらかというと平凡なテニスをする人であるが、
その台詞を聞いて、とある言葉を思い出した。
作用、反作用の法則。
作用が強ければ反作用も強い。
人は安楽な道を選びがちだ。
現状を全否定するのは簡単だ。
「このやり方が間違っていた」
「あの人はダメな人」
「自分自身はなんてダメな人間なんだろう」
だけど、本当にそうだろうか。
完全なものなど、あるわけがない。
その悪い部分だけを取り出して、あたかも全体が悪いように
判断するのはとても危険なことだ。
全否定はすっきりして、
わかりやすくて、痛快だけれども、
全否定はまた、大きな反作用を連れてくる。