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日常についてつぶやくブログ

変化、、補足など・・・。

2018-11-20 10:01:10 | 日記
言ってるそばから、今日は昨日からの疲れの残りにより、ヨガとジムはお休みに・・・。あぁ;;

さて、この頃の支援を要するお子さん事情でこれだけは、書いておこうか・・・。

このところ、学校授業の後などや、休日(夏休みとかかな?)に、デイサービスの利用がめざましく起こるようになり、
学校下校時にデイの人がお迎えに来て事業所で過ごす形が増えたようです。
私の子どもには、使ったことがない、このサービス。
いや、以前は、もじも親がバッタリ体調不良で倒れたときに使えるようにと、申請して台帳は取得していましたが、業者と契約まではしませんでしたね。
所が、この頃は、移動支援もそうですが、市に「利用計画書」を提出するようになり、利用目的が明確でないと行けなくなったみたいで、
そのこともあって、定期的利用が増えたのかな・・・。

デイは上手く利用すれば、親の負担は減るのと、学校での学習や生活の支援が上手くいっていないとき、ある程度の力にはなり得る面もあるようです。

しかし、なんだけど。

最近よく聞くのは、親が学校とデイに任せっきりになってしまって、親自身が学んだり動いたりすることが無くなってきた事で、これはお子さんの支援上で良くない面が出てきてしまっているらしい、ということ。

親は支援の上では絶対に主要なポジションのはずである。

以前、学校の先生との協道のあり方に、頭を悩ませていた時期があってですね、その方法の模索が今後も続くと願っていたのですが。

先生によっては、こっちに全てお任せして余計な口は挟まないで欲しい、と内心思っている部分も大きいけど、それに+デイのある意味正しくない使い方で、この面退行が心配になります。

いいですか、

どんなに福祉サービス良くなっても、どんなに良い先生に当たっても、福祉の職員も先生も、お子さんの生涯を通して責任を担えるわけではないんだよ。
お子さんの生涯のある一時期の通過点なんだよ。
普段の積み重ねは大事で、通過点も良い道であって欲しいのは何よりですが、
お子さんの歩みについて把握し、責任が取れるのは、現実的に親でしかないのですよ。
勿論親の事情で他者にゆだねないと行けない場合もあるけれど、

そうでない場合は、他人任せにして責任無くて良いなんて、あり得ないでしょう?

例えば、学校の先生が本来果たすべき事まで親に丸投げなのは良くないのと同じです。

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