東京スカイツリーが開業され、7月11日の当日券販売までは
先行予約で当選した人しか、展望台までは行けない。。。では、と
昭和33年から東京のシンボルといて頑張ってきた東京タワーから、東京スカイツリーを
見てやろう!との、相乗効果で入場者が増えているとか。
スカイツリーのオープン初日は、雨降りで残念ながらスカイツリーからの絶景も
東京タワーからのスカイツリーも観れなかったようですね。
東京タワー.....あれは、Neko★が小学何年生の時だったのか?2年生か3年生?の5月!
東京に行く!というので、母が自分とお揃いの生地で洋服を作ってくれました。
千鳥格子の柄で、共布の小さなリボンが胸元についたシンプルなデザインのワンピースでした。
オーダーメイドというのが嬉しくって、よく覚えています
連れていってくれたのは、母のすぐ下の自動車ガラス専門店を経営していた叔父でした。
母は、男3人女3人の計6人兄弟の長女で、
母と家を継ぐ長男以外の兄弟妹は、皆東京で就職、結婚しました。
結婚後次男は、栄養失調?から視力が低下、失明の危機に一家で田舎に戻ることに、
三男の叔父も働いていたガラス屋から独立して、起業する為、新婚間もなく故郷に戻りました。
今も関東に住むのは、叔母ふたりのみになりました。
この時の上京も、オジ達がお世話になった方達に会うのと、妹宅に1泊するので?
東京見物に行こうと、母を誘ったのだと思います。
今でいうところのGW、5月2日~5日・・・車中2泊の3泊2日の強行軍です。←母に確認しました。
一台の車に、運転手の叔父と、眼がほとんど見えなくなっていた伯父(次男)と
母と私達姉弟、伯父の娘の姉妹・・・大人3人子供4人5人乗りの普通車だったそうです。
今思うと、凄い密度(笑)東京まで、何時間かかったころだろう?峠の釜めしとか買った覚えもあるので
10時間とか、12時間とか・・・かかったのではなかっただろうか?←母も覚えていない。
上野の動物園から、霞が関ビル、皇居・・・おのぼりさんの東京観光が続く中、強烈に覚えているのが
東京タワーです。
母も自称≪ヤチ(せっかち)≫ですが、この叔父・・・母の上手です。
展望台へのエレベーターの人混みを見るなり
「 階段から登ろう! 」
大人しかった従姉妹の反応までは、全然記憶にないのですが、我ら姉弟は大喜び~♪
カンカンカンカンカンカンカンカンカン・・・
段々小さくなっていく地上の景色を、初めの内は、きゃあきゃあキィーキィーいいながら登りました。
今知るその総数600段!展望台まで150m!大人の足で30分だそうです・・・
≪現在は、証明書も配布されるらしい・・・ネット画像から≫
展望台からの絶景や、赤い鉄骨の間から垣間見る、東京の景色?そんなものより何より
やはり恐かったのでしょうか?
ひたすら赤い階段を、カンカン~♪と東京タワーに登った!という記憶だけが、強烈に残っています。
その後も何度も、眠気覚ましのラジオ代わりにNeko★を助手席に乗せて、上京した叔父さん
父と三人だったこともあったし、仕事の関係者?の人の時もあった・・・かな?(笑)
小学生Neko★にとって、東京は、叔父が車で連れていってくれるところでした。
父が亡くなった2年後の同じ日(10月1日)に、この叔父も風、星になりました。。。
今年は、亡父の十三回忌。
この時の写真・・・探してこよう~♪
ThankYou
★