今週のハンター×ハンターでさ。
カキン王家の伝統がネタとして上がってましたけど。
カキン王家は王の子に性別の差別は無く、全て王位継承権を持ち、かつ全て「王子」と呼ばれる、って設定。
これ見てふと思ったんですが。
王の血を残しやすくする、と言う意味合いでは、男が王になった方が都合いいんじゃないの?と。
いやさ、女は王に相応しくないとか、そういう意味合いでは無くてですね。
現カキン王家は正室の后が8人居る、って設定でしたけど。
男が王だからさ、この状況で王子の大量生産が実行可能なわけですけど。
女が王だったらどうなるか。
種だけ複数あっても、産む人が1人では体力的に王子の大量生産はむつかしいよね。
(代理母使えば別だけど)
現実世界では、大体の場合王は男が一般的ですけど。
こういうところにも理由が潜んでる気がしますなぁ。
(現代では男が王になろうと女が王になろうと、配偶者を複数持つことが難しい世の中になってるから、伝統以外の部分では不都合無いんですけどね)
(カキン王家の場合は、どうせ王位継承権争奪戦を開催したら、1人残して全滅するようなので、男でも女でも大した差は無さそうですな)
今月のヴァニラフィクションですが。
鞠山さんがドクロが仕込んだバナナの皮で圧倒的優位な立ち位置から転げ落ちる展開。
なんというか、この人。
能力の劣った人を侮って、そのせいで転げ落ちてばっかだよね。
そこに至るまでは緻密に詰めて行くのにさ。
最後の最後で侮るから。
いろんな意味で転んじゃうんだろうなぁ。
やっぱ人間を舐めるのはイカンよ。
どんな思いつき、閃きを発揮するかわかんないんだもの。
対する佐藤先生。
「こんなアホな作戦(バナナの皮を投げてバイパス道路で大事故を起こし、その混乱にまぎれてこの状況から脱出)が成功するわけ無い」と思いつつも、現状それしか思いつかないからとりあえずやってみて。
結果なんと上手くいく「しっかりしろ現実!」
いくらアホみたいな作戦でも、行動起こさないと現状何も変わらんもんね。
どうせやっても無駄だ、と何もしないで諦めてたら、そこで終わっちゃうから。
こいつには何をやっても負けることは無い。クズだから無視してよい、という侮りで最後の詰めを誤った鞠山さんと、こんな手が上手くいくとは思えないが、これしか思いつかない以上、やるしかねーだろと実行し、状況打破に成功する佐藤先生。
この対比が面白かったですね。
まるでウサギと亀の童話みたいですわ。
余裕ぶっこいて、全力で勝負すれば勝てた勝負を落としたウサギと、どう考えても勝てるわけが無い勝負で、最後まで諦めなかったから勝つことができた亀のようですね。
今月の話を読んでパッと浮かんだのが上記「ウサギと亀」の童話なんですが。
こういうグッと来る展開って、神話やら童話やらに原型が埋まってるもんなんですかねぇ?
作者の大須賀先生、これをイメージしてたかどうかは分かりませんが、考えてみれば語り継いだ側も「この展開は燃える」「この展開はグッとくる」「この展開は教訓が含まれててアツイ」と思ったから、今まで伝わってきたわけですし。
これはいいな、と思った展開の根幹部分を神話や童話に求めて探してみたら、それが見つかる、ってのは別に不思議でも何でもないのかもしれませんな。
今日から盆休み。
この休み中にペルソナQを終わらせたいですね。(現在3つめのダンジョンを攻略中)
(今月下旬にペルソナ4アルティマックスウルトラスープレックスホールド出るし)
カキン王家の伝統がネタとして上がってましたけど。
カキン王家は王の子に性別の差別は無く、全て王位継承権を持ち、かつ全て「王子」と呼ばれる、って設定。
これ見てふと思ったんですが。
王の血を残しやすくする、と言う意味合いでは、男が王になった方が都合いいんじゃないの?と。
いやさ、女は王に相応しくないとか、そういう意味合いでは無くてですね。
現カキン王家は正室の后が8人居る、って設定でしたけど。
男が王だからさ、この状況で王子の大量生産が実行可能なわけですけど。
女が王だったらどうなるか。
種だけ複数あっても、産む人が1人では体力的に王子の大量生産はむつかしいよね。
(代理母使えば別だけど)
現実世界では、大体の場合王は男が一般的ですけど。
こういうところにも理由が潜んでる気がしますなぁ。
(現代では男が王になろうと女が王になろうと、配偶者を複数持つことが難しい世の中になってるから、伝統以外の部分では不都合無いんですけどね)
(カキン王家の場合は、どうせ王位継承権争奪戦を開催したら、1人残して全滅するようなので、男でも女でも大した差は無さそうですな)
今月のヴァニラフィクションですが。
鞠山さんがドクロが仕込んだバナナの皮で圧倒的優位な立ち位置から転げ落ちる展開。
なんというか、この人。
能力の劣った人を侮って、そのせいで転げ落ちてばっかだよね。
そこに至るまでは緻密に詰めて行くのにさ。
最後の最後で侮るから。
いろんな意味で転んじゃうんだろうなぁ。
やっぱ人間を舐めるのはイカンよ。
どんな思いつき、閃きを発揮するかわかんないんだもの。
対する佐藤先生。
「こんなアホな作戦(バナナの皮を投げてバイパス道路で大事故を起こし、その混乱にまぎれてこの状況から脱出)が成功するわけ無い」と思いつつも、現状それしか思いつかないからとりあえずやってみて。
結果なんと上手くいく「しっかりしろ現実!」
いくらアホみたいな作戦でも、行動起こさないと現状何も変わらんもんね。
どうせやっても無駄だ、と何もしないで諦めてたら、そこで終わっちゃうから。
こいつには何をやっても負けることは無い。クズだから無視してよい、という侮りで最後の詰めを誤った鞠山さんと、こんな手が上手くいくとは思えないが、これしか思いつかない以上、やるしかねーだろと実行し、状況打破に成功する佐藤先生。
この対比が面白かったですね。
まるでウサギと亀の童話みたいですわ。
余裕ぶっこいて、全力で勝負すれば勝てた勝負を落としたウサギと、どう考えても勝てるわけが無い勝負で、最後まで諦めなかったから勝つことができた亀のようですね。
今月の話を読んでパッと浮かんだのが上記「ウサギと亀」の童話なんですが。
こういうグッと来る展開って、神話やら童話やらに原型が埋まってるもんなんですかねぇ?
作者の大須賀先生、これをイメージしてたかどうかは分かりませんが、考えてみれば語り継いだ側も「この展開は燃える」「この展開はグッとくる」「この展開は教訓が含まれててアツイ」と思ったから、今まで伝わってきたわけですし。
これはいいな、と思った展開の根幹部分を神話や童話に求めて探してみたら、それが見つかる、ってのは別に不思議でも何でもないのかもしれませんな。
今日から盆休み。
この休み中にペルソナQを終わらせたいですね。(現在3つめのダンジョンを攻略中)
(今月下旬にペルソナ4アルティマックスウルトラスープレックスホールド出るし)