ほん怖2019の話のひとつ「机と海」
これが今回5作の中で一番怖かった。
アンティークショップで一目惚れした机を購入した女性が、それが原因で命に関わる霊障に巻き込まれ、逃れるために「深夜の規定時刻に問題の机を九十九里浜の浜辺で焼き払う」という儀式を行う話なんですけど。
見てて思ったのが「そういや、机や宝石、家は中古で購入したせいで呪われちゃう話はよくあるけど、本や中古ゲームでは聞いたこと無いな」
これはなんでなのか。
様々な人の手を渡り歩いたアンティークには手を出さない人は結構いると思うんですが、そんな人でも中古本やら中古ゲームには結構気軽に手を出すと思うんですよ。
ハードルが低いといいますか。
この辺が関係ありそうな。
これは何でなの?
思うんですけど、本やゲームって、その媒体自体は人の執着を持つような価値はないと思われてるからではないかね?
だから「他人の持ってたものなんて気持ち悪い」って感覚も働きにくいのでは。
呪われるのは、その物品に他者の執着があるからで。
そもそもその物品に執着を持つ価値が無いのであれば、呪いの伝播装置としての役割を果たし得ない。
紙の束としての本も、金属とプラスチックの集合体としてのゲームソフトも、主になってるのはそこに書き込まれた情報であって、その情報を内包している媒体には価値なんてない。
そういう基本認識があるから「呪われた本」「呪われたゲームソフト」って話が成立しにくいのかも。
(話自体が呪われている、ゲーム自体が呪われている、って話はあるみたいですけどね)
……同じ道具なのに、差別されているなぁ。
これが今回5作の中で一番怖かった。
アンティークショップで一目惚れした机を購入した女性が、それが原因で命に関わる霊障に巻き込まれ、逃れるために「深夜の規定時刻に問題の机を九十九里浜の浜辺で焼き払う」という儀式を行う話なんですけど。
見てて思ったのが「そういや、机や宝石、家は中古で購入したせいで呪われちゃう話はよくあるけど、本や中古ゲームでは聞いたこと無いな」
これはなんでなのか。
様々な人の手を渡り歩いたアンティークには手を出さない人は結構いると思うんですが、そんな人でも中古本やら中古ゲームには結構気軽に手を出すと思うんですよ。
ハードルが低いといいますか。
この辺が関係ありそうな。
これは何でなの?
思うんですけど、本やゲームって、その媒体自体は人の執着を持つような価値はないと思われてるからではないかね?
だから「他人の持ってたものなんて気持ち悪い」って感覚も働きにくいのでは。
呪われるのは、その物品に他者の執着があるからで。
そもそもその物品に執着を持つ価値が無いのであれば、呪いの伝播装置としての役割を果たし得ない。
紙の束としての本も、金属とプラスチックの集合体としてのゲームソフトも、主になってるのはそこに書き込まれた情報であって、その情報を内包している媒体には価値なんてない。
そういう基本認識があるから「呪われた本」「呪われたゲームソフト」って話が成立しにくいのかも。
(話自体が呪われている、ゲーム自体が呪われている、って話はあるみたいですけどね)
……同じ道具なのに、差別されているなぁ。