『北アジア史』 護雅夫・神田信夫:編
遊牧民関連で読みまくっている護雅夫先生が
編者を務める『北アジア史』。
1981年初版。
山川出版社の<世界各国史>シリーズの12。
中国史に加えて西アジア史、北アジア史で一冊ずつ出している。
慧眼である。
まずは北アジア(主にシベリア・モンゴル)の古代文化。
続いて
「遊牧民族」(匈奴、突厥、ウイグル)「モンゴル」「満州(女直人)」
それぞれの民族から見た歴史を描きます。
なので、繰り返しになるところもある(唐、五代、宋は何度も出る)が、
多視点からのアジア史が見えておもしろいです。
一方の意見と他方の意見は違うよね〜、という当然のことが
よく分かります。
古代に遡ると、紀元前7〜5世紀にはモンゴル高原に
遊牧経済ができていたそうです。
ギリシア人は「スキタイ」、ペルシア人は「サカ」と呼んでいた。
スキタイといえば黒海沿岸でアケメネス朝ペルシアと
わちゃわちゃやってたイメージ。
モンゴル高原全体に散在していたのかな。
まあ、北アジアにおいては最初の主人公は遊牧民族ということです。
紀元前3世紀には匈奴が登場。
中国人には「夷狄(いてき)」と呼ばれたそうです。
中華“じゃない”人を表す「四夷」の「北狄+東夷」ですね。
匈奴→鮮卑→柔然→突厥→ウイグル
ここらへんは護先生の『古代遊牧帝国』にまとめられてます。
10世紀の北アジアの覇権は、
沙陀(さだ、トルコ系)vs.契丹(タタル=モンゴル系)。
沙陀は、トルコ系、西突厥の末裔。
沙陀人国家が「晋」「後晋」「後漢」「北漢」。
契丹は「遼」。
同じくタタル系で外モンゴルの烏古(ウクル)、阻卜(ツプク)を支配。
部族名(?)がかっこいい笑
政治的に管理するための部族単位は石烈(シレ)、彌里(ミリ)。
領民的組織単位は幹魯朶(オルド)。
厨二心をくすぐる単語が怒涛のように出てくるのよ笑
阻卜(ツプク)内のケレイト部族が力をつけてケレイト王国に。
ケレイト王に引き立てられて当時弱小だったモンゴル部族が発展。
ここでモンゴル部からテムジン(チンギス=ハーン)が登場。
有名人が来た!
で、元になるのが、モンゴル的視点。
そもそもは弱小部族の名だった「モンゴル」が民族を表し、
モンゴル平原・モンゴル人民共和国という広い範囲を表す言葉へと
出世(?)したわけです。
次は、満州的視点。
「満州」も元々は古代中国人が「東夷」と呼んでいた民族の名。
ツングース系と言われている。
紀元前まで遡ると、「貊(ばく)」狩猟牧畜民、「穢(わい)」漁労民がいて、
貊人が「扶余(ふよ)」という国家を建てたのが始まりらしい。
扶余に続いて前1世紀にできたのが高句麗。
おお、有名国がきた!
高句麗は、中国エリアの前漢、後漢にちょっかい出したり
モンゴル系の鮮卑(前燕)と遼東地方を奪い合ったり。
満州系だと、挹婁(ゆうろう)、勿吉(もつきつ)、靺鞨(まつかつ)が
力をつけていきーの。
713年、靺鞨人が渤海(ぼっかい)建国。
奈良時代の日本に使者を送って修好していたそうです。
聖武天皇の時代ね。
その割に印象が薄いのですが、そんな渤海支配下にいたのが
女直族(女真族)で、12世紀に「金」を建国。
遼(契丹)も宋もやっつけてぶいぶい言わせます。
が、13世紀にチンギス=ハーンに滅ぼされる。
モンゴル強い〜。
とはいえ女直人は羈縻体制で自治をつづけ、
李氏朝鮮になったり、ヌルハチが後金をつくって
清国になったりする。
最後の章ではロシア進出前のシベリアの民族分布が
取り上げられていて、それもおもしろいんですよ。
ヤクート、ツングース、エスキモー、カムチャダール(イテルメン)、
それぞれに独自文化がある。
『ゴールデンカムイ』に繋がってそう〜。
いや〜、北アジアは広い。広いです。
そしていろんな人が住んでいる。
いろんな歴史がある。
楽しいね!
遊牧民関連で読みまくっている護雅夫先生が
編者を務める『北アジア史』。
1981年初版。
山川出版社の<世界各国史>シリーズの12。
中国史に加えて西アジア史、北アジア史で一冊ずつ出している。
慧眼である。
まずは北アジア(主にシベリア・モンゴル)の古代文化。
続いて
「遊牧民族」(匈奴、突厥、ウイグル)「モンゴル」「満州(女直人)」
それぞれの民族から見た歴史を描きます。
なので、繰り返しになるところもある(唐、五代、宋は何度も出る)が、
多視点からのアジア史が見えておもしろいです。
一方の意見と他方の意見は違うよね〜、という当然のことが
よく分かります。
古代に遡ると、紀元前7〜5世紀にはモンゴル高原に
遊牧経済ができていたそうです。
ギリシア人は「スキタイ」、ペルシア人は「サカ」と呼んでいた。
スキタイといえば黒海沿岸でアケメネス朝ペルシアと
わちゃわちゃやってたイメージ。
モンゴル高原全体に散在していたのかな。
まあ、北アジアにおいては最初の主人公は遊牧民族ということです。
紀元前3世紀には匈奴が登場。
中国人には「夷狄(いてき)」と呼ばれたそうです。
中華“じゃない”人を表す「四夷」の「北狄+東夷」ですね。
匈奴→鮮卑→柔然→突厥→ウイグル
ここらへんは護先生の『古代遊牧帝国』にまとめられてます。
10世紀の北アジアの覇権は、
沙陀(さだ、トルコ系)vs.契丹(タタル=モンゴル系)。
沙陀は、トルコ系、西突厥の末裔。
沙陀人国家が「晋」「後晋」「後漢」「北漢」。
契丹は「遼」。
同じくタタル系で外モンゴルの烏古(ウクル)、阻卜(ツプク)を支配。
部族名(?)がかっこいい笑
政治的に管理するための部族単位は石烈(シレ)、彌里(ミリ)。
領民的組織単位は幹魯朶(オルド)。
厨二心をくすぐる単語が怒涛のように出てくるのよ笑
阻卜(ツプク)内のケレイト部族が力をつけてケレイト王国に。
ケレイト王に引き立てられて当時弱小だったモンゴル部族が発展。
ここでモンゴル部からテムジン(チンギス=ハーン)が登場。
有名人が来た!
で、元になるのが、モンゴル的視点。
そもそもは弱小部族の名だった「モンゴル」が民族を表し、
モンゴル平原・モンゴル人民共和国という広い範囲を表す言葉へと
出世(?)したわけです。
次は、満州的視点。
「満州」も元々は古代中国人が「東夷」と呼んでいた民族の名。
ツングース系と言われている。
紀元前まで遡ると、「貊(ばく)」狩猟牧畜民、「穢(わい)」漁労民がいて、
貊人が「扶余(ふよ)」という国家を建てたのが始まりらしい。
扶余に続いて前1世紀にできたのが高句麗。
おお、有名国がきた!
高句麗は、中国エリアの前漢、後漢にちょっかい出したり
モンゴル系の鮮卑(前燕)と遼東地方を奪い合ったり。
満州系だと、挹婁(ゆうろう)、勿吉(もつきつ)、靺鞨(まつかつ)が
力をつけていきーの。
713年、靺鞨人が渤海(ぼっかい)建国。
奈良時代の日本に使者を送って修好していたそうです。
聖武天皇の時代ね。
その割に印象が薄いのですが、そんな渤海支配下にいたのが
女直族(女真族)で、12世紀に「金」を建国。
遼(契丹)も宋もやっつけてぶいぶい言わせます。
が、13世紀にチンギス=ハーンに滅ぼされる。
モンゴル強い〜。
とはいえ女直人は羈縻体制で自治をつづけ、
李氏朝鮮になったり、ヌルハチが後金をつくって
清国になったりする。
最後の章ではロシア進出前のシベリアの民族分布が
取り上げられていて、それもおもしろいんですよ。
ヤクート、ツングース、エスキモー、カムチャダール(イテルメン)、
それぞれに独自文化がある。
『ゴールデンカムイ』に繋がってそう〜。
いや〜、北アジアは広い。広いです。
そしていろんな人が住んでいる。
いろんな歴史がある。
楽しいね!