以前から読みたいと思っていた『ボートの三人男』
ようやく読みました。
個人的には珍しいことですが、書店で見初めた本です。
ふだんは書評とかで情報を仕入れてからアタリを付けるのですが、
ふと見かけたこの文庫、和田誠のイラストが表紙で、訳が丸谷才一。
これで駄作なわけがない!買いですよ!
ちなみにこれは2010年に改版された中公文庫版です。
1976年初版のカバー画は池田満寿夫も良い。
表紙裏のあらすじもいい感じです。
気鬱にとりつかれた三人の紳士が犬をお供に、
テムズ河をボートで漕ぎだした。
歴史を秘めた町や村、城や森をたどり、愉快で滑稽、
皮肉で珍妙な河の旅が続く。……
なんか楽しそう!
あ、原書であるイギリスでの初版は1889年です。
英国の滑稽小説の名作古典と言われており、
この作品へのオマージュ小説も多いのだとか。
(私は未読ですが、コニー・ウィリス『犬は勘定に入れません
あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』が
有名なオマージュ作品だそうです)
ところで、あらすじを読むと早速ボートを漕いでいそうですが、
このふざけた三人の紳士は、言うことすること全てがすっとぼけていて
語り手のJの話しもあちこちに飛ぶものだから
(おまけにツッコミはいない)
ボートに乗るまでに5章を費やしています。
読んでるこちらが心配になりましたよ。
この人たち、ちゃんとおでかけできるのかしらって。
古き良き時代のお話しではありますが、
当時のイギリスでは2週間もかけてテムズ河で遊ぶって
ふつうにあることだったのでしょうか。
日本だと2週間もボートに乗り続けるほどの
長い川がないからなあ…。
(もしくは私が知らないだけで、
日本にもそういう場所や風習はあるのだろうか)
しかも三人男+モンモランシー(フォックステリア)は
テムズ河の流れに逆行する道順をとったのです。
「河沿いをロープでボートを曳いて歩く」
という表現が頻出するのですが、そーいうもんなのか。
もちろん漕いだり、ちゃっかり曳航してもらったりもしてます。
結構、苛酷な旅のような気がするのですが、
彼らの旅はなんだか優雅で気持ち良さそうなんですよね。
英国紳士のレジャーである。って感じがする。
いいなあ。
最後の最後に、イギリスらしい暗鬱な天気がつづき、
ボートから逃走する感じも、彼ららしくて微笑ましい。
中公文庫の解説は井上ひさしなのですが、
昭和44年に訳者の丸谷才一が書いたあとがきが
「まことに有益な手引きである」と評して
豪快に引用してくださってます。
ありがたや。
それによると、『ボートの三人男』は元々は
滑稽小説のつもりではなく
「テムズ河の歴史的および地理的な展望の書として目論まれた」
という作品だったらしい。
確かに、そういう表現が多々見受けられるのですが、
私が英国史に疎いことと、とはいえ「J」の文章がふざけているため
歴史的うんちくなのか、高尚なジョークなのかわからん、という箇所も
そこそこありました。
それはそれで楽しめたからいいんですが。
(負け惜しみ)
余談ではありますが、訳者あとがき(の引用)には
三人男にはそれぞれモデルがいること、
ついでに犬のモンモランシーも実在すること、
モンモランシーが湯沸しと闘うエピソードも実話だということ
が、はっきり書かれているのですが。
Wikiには「犬は創作の産物であり、モデルはいない」って
すごく強気に書かれてます。
なぜ……?
ようやく読みました。
個人的には珍しいことですが、書店で見初めた本です。
ふだんは書評とかで情報を仕入れてからアタリを付けるのですが、
ふと見かけたこの文庫、和田誠のイラストが表紙で、訳が丸谷才一。
これで駄作なわけがない!買いですよ!
ちなみにこれは2010年に改版された中公文庫版です。
1976年初版のカバー画は池田満寿夫も良い。
表紙裏のあらすじもいい感じです。
気鬱にとりつかれた三人の紳士が犬をお供に、
テムズ河をボートで漕ぎだした。
歴史を秘めた町や村、城や森をたどり、愉快で滑稽、
皮肉で珍妙な河の旅が続く。……
なんか楽しそう!
あ、原書であるイギリスでの初版は1889年です。
英国の滑稽小説の名作古典と言われており、
この作品へのオマージュ小説も多いのだとか。
(私は未読ですが、コニー・ウィリス『犬は勘定に入れません
あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』が
有名なオマージュ作品だそうです)
ところで、あらすじを読むと早速ボートを漕いでいそうですが、
このふざけた三人の紳士は、言うことすること全てがすっとぼけていて
語り手のJの話しもあちこちに飛ぶものだから
(おまけにツッコミはいない)
ボートに乗るまでに5章を費やしています。
読んでるこちらが心配になりましたよ。
この人たち、ちゃんとおでかけできるのかしらって。
古き良き時代のお話しではありますが、
当時のイギリスでは2週間もかけてテムズ河で遊ぶって
ふつうにあることだったのでしょうか。
日本だと2週間もボートに乗り続けるほどの
長い川がないからなあ…。
(もしくは私が知らないだけで、
日本にもそういう場所や風習はあるのだろうか)
しかも三人男+モンモランシー(フォックステリア)は
テムズ河の流れに逆行する道順をとったのです。
「河沿いをロープでボートを曳いて歩く」
という表現が頻出するのですが、そーいうもんなのか。
もちろん漕いだり、ちゃっかり曳航してもらったりもしてます。
結構、苛酷な旅のような気がするのですが、
彼らの旅はなんだか優雅で気持ち良さそうなんですよね。
英国紳士のレジャーである。って感じがする。
いいなあ。
最後の最後に、イギリスらしい暗鬱な天気がつづき、
ボートから逃走する感じも、彼ららしくて微笑ましい。
中公文庫の解説は井上ひさしなのですが、
昭和44年に訳者の丸谷才一が書いたあとがきが
「まことに有益な手引きである」と評して
豪快に引用してくださってます。
ありがたや。
それによると、『ボートの三人男』は元々は
滑稽小説のつもりではなく
「テムズ河の歴史的および地理的な展望の書として目論まれた」
という作品だったらしい。
確かに、そういう表現が多々見受けられるのですが、
私が英国史に疎いことと、とはいえ「J」の文章がふざけているため
歴史的うんちくなのか、高尚なジョークなのかわからん、という箇所も
そこそこありました。
それはそれで楽しめたからいいんですが。
(負け惜しみ)
余談ではありますが、訳者あとがき(の引用)には
三人男にはそれぞれモデルがいること、
ついでに犬のモンモランシーも実在すること、
モンモランシーが湯沸しと闘うエピソードも実話だということ
が、はっきり書かれているのですが。
Wikiには「犬は創作の産物であり、モデルはいない」って
すごく強気に書かれてます。
なぜ……?