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天然痘は人類が初めて、そして唯一地球上から撲滅した感染症だ。感染力・致死率ともに非常に高く、罹患者の実に2割~5割が死に至る。しかし一度回復すれば二度罹ることはないという特徴が古くから知られ、18世紀後半、エドワード・ジェンナーによる「最初のワクチン」種痘法の発明にもその知識が大きく寄与した。
左巻健男氏の著書『世界を変えた微生物と感染症』(祥伝社)より、天然痘に関する一節を抜き出す。
独眼竜 伊達政宗
独眼竜というのは「隻眼の英雄」を指す言葉です。戦国武将として知られる伊達政宗は、1601年に仙台城を築城し、初代仙台藩主として諸外国との交流や領地の発展に力を入れたことでも有名ですが、何よりも独眼竜という形容が印象に残る人物です。彼は幼少の頃、天然痘にかかって右目を失明したのです。
天然痘の致死率は20~50パーセントと非常に高く、回復した場合でもひどい傷あとを残します。傷あとが皮ふに残れば痘痕になるし、眼に及べば失明します。江戸末期まで、日本人の失明原因の筆頭が天然痘でした。それも両眼の失明が多かったと言いますから、政宗は幸運だったと言うべきなのかもしれません。
天然痘ウイルス
天然痘を引き起こすウイルスは長径約200~450ナノメートル(0.0003~0.0004ミリメートル)。ウイルスの中で、最も大型の部類に入ります。
天然痘は人だけに感染する病気で、このウイルスを含んだ分泌物やウミやカサブタが口や鼻から侵入すると、口やのどの粘膜で増殖し、さらにリンパ節へと入り込んでいきます。リンパ節で増えたウイルスは次に血流に乗って肺や脾臓や肝臓にまで侵入し、さらなる増殖をくり返すと皮ふ表面に到達して発疹を形成するのです。このウイルスが目に侵入して増殖すれば、失明に至ります。
ウイルスが体内に侵入してから、高熱や腹痛や発疹といった症状が出るまでの日数、つまり潜伏期間は、約7~16日(平均12日)です。直径5~10ミリメートルにもなる発疹内部の液体には、天然痘ウイルスがたっぷり含まれています。
この発疹はその後ウミの混ざった膿疱となり、やがて黒っぽいカサブタに変わります。カサブタが完全にはがれるまではほかの人を感染させる危険性があるので、隔離が必要です。患者の使った衣類や布団から感染することもあります
天然痘の脅威
天然痘は古くから人々を苦しめてきました。
古代エジプト第20王朝の第4代ファラオだったラムセス五世のミイラには、天然痘によってできた痘痕が見られます。また1521年のアステカ帝国崩壊や1572年のインカ帝国崩壊には、侵略者のスペイン人によってもち込まれた天然痘の蔓延が大きく影響していると言われています。例えばインカ帝国では、天然痘によって人口の60~94パーセントが死亡したと推計されているのです。
さらに天然痘は北米にももち込まれ、数多くの先住民を死亡させました。当時、先住民のアメリカ・インディアンは天然痘の免疫をもたなかったため、この病原体に対する抵抗力がまったくありませんでした。
こうして、コロンブスがアメリカ大陸に到着した当時には、約7200万人に及んだ南北両大陸の人口も、1620年頃には60万人にまで激減してしまいました。天然痘などの感染症と侵略戦争が原因でした。また18世紀のヨーロッパだけで、その100年間に6000万人が天然痘によって死亡したと推定されています。日本では735年から738年にかけて天然痘が大流行し、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟がこの病により相次いで死去しました。四兄弟以外の高位貴族も多数死亡したために朝廷の政治は大混乱に陥ったのですが、奈良の大仏造営のきっかけの一つが、この天然痘流行であると言われています。
医学史を専門とする慶應義塾大学経済学部教授・鈴木晃仁氏によれば、日本においては戦国時代にも天然痘の流行が認められ、当時は5年に一度、江戸時代に入っても30年に一度のペースで流行が起こっていたということです。そして江戸時代の天然痘は、子どもが必ずかかる小児病として猛威をふるい、当時の人口構成に大きな影響を与える病でもあったといいます。
天然痘の撲滅
天然痘が強い免疫性をもつことは近代医学成立以前から経験的に知られており、紀元前1000年頃にはインドで人痘法が実践されていたようです。人痘法というのは天然痘患者のウミを健康な人に接種し、軽度の発症を起こさせて免疫を得る方法です。この場合、患者のウミは、毒性を弱めるため乾燥させた後に使われました。この人痘法は18世紀前半にイギリス、次いでアメリカにももたらされ、天然痘の予防に大いに役立ったのですが、当時予防接種を受けた人の数パーセントが重症化し、死亡していました。
より安全な天然痘予防法は、1796年にイギリス人医師エドワード・ジェンナーによって考案されました。ジェンナーが医師として活動していた当時、農民の間では「牛の乳搾りなどをして自然に牛痘にかかった人は、その後天然痘にかからない」と言われていました。牛痘は、天然痘よりもずっと安全な病気でしたから、ジェンナーはこれを応用して天然痘の予防に使えないかと研究を続けていました。
牛痘の接種で天然痘を予防
1796年5月14日、ついにジェンナーは、彼の家の使用人の息子である8歳の少年に牛痘のウミを接種しました。少年は若干の発熱と不快感を訴えましたが深刻な症状は出ませんでした。それから6週間後、ジェンナーは少年に天然痘のウミを接種しました。するとどうでしょう、ジェンナーの予想どおり、この少年は天然痘を発症しなかったのです。この天然痘予防接種を皮切りに、19世紀末には狂犬病・腸チフス・コレラ・ペストへの予防接種が始まりました。予防接種によって私たちの体は、新しい病原体への備えを身につけることができるようになったのです。牛痘ウイルスと天然痘ウイルスのDNA塩基配列は非常によく似ているので、両者の形や性質もよく似ています。一度牛痘ウイルスを覚えた私たちの体は、以降このウイルスおよびこれに極めて類似した天然痘ウイルスの侵入を知ったならば即座にこれに立ち向かい、撃退することができるようになったというわけです。
天然痘のワクチンが備蓄されている
ジェンナーの開発した天然痘予防接種はまたたく間に欧米各国に広がり、日本にも1810年にロシア経由で中川五郎治により伝えられたのですが、中川は種痘法を秘術としてほかに伝えなかったために、知る者は少数にとどまり、普及しませんでした。
日本で本格的に天然痘予防接種が普及したのは、1849年のことです。ワクチンというのは無毒化あるいは弱毒化された病原菌のことですが、これを接種することによって、体内にその病原体に対する抗体がつくられるので、感染症に対する免疫を獲得することができます。
さらに江戸時代末期には、全国で天然痘ワクチンの接種、つまり種痘が行なわれるようになりました。
天然痘は人以外の動物には感染せず、種痘で完全に予防ができたので、WHOが中心となった天然痘撲滅プロジェクトにより、1977年以降、世界のいずれの国においても発症者が出ませんでした。
そこで1980年5月8日、WHOは天然痘世界根絶宣言を発するに至りました。WHOの総会で「天然痘の地球上からの根絶」が提案されたのは1958年のことなので、目的達成まで22年の歳月が費やされたことになります。
2020年現在、天然痘は人の感染症の中で人類が根絶した唯一の病気です。
地球上から根絶したとはいえ、かつてはこれによって全滅した部族もあるほど恐ろしいのが天然痘です。ですからバイオテロに備えて、日本では天然痘ワクチンが国家備蓄されています。