最近、小学校の読み聞かせで読んでいる本。
日常から死が失われてしまった現代には、こういう本が子供の心の栄養分として欠かせない。
生まれたからには、人は、いつか必ず、死ぬのだから。
最後の日をどうやって迎えるのか。
死ぬことは怖くないのか。
孤独ではないのか。
子供たちも、そういう疑問を持っているかもしれない。
口にはしないだけで。
だから、教えてあげたい。
こんな風に亡くなっていったおばあさんがいたんだよ、と。
一つのロールモデルとして。
たとえば、死を目前にし身体の機能が衰えていく中で、人は何を思うのか。
「体はだんだん弱っていきましたが、
エルマおばあさんがみんなを思う気持ちは、
ますます強くなっていきました。
おばあさんは、家族ひとりひとりにあてて、
お別れの手紙を書きはじめました。」
できることならば…エルマおばあさんのようでありたい。
自分の苦しみや、恐怖にとらわれるのではなく、周囲を思いやる強さが欲しい。
この本を読むと、子供たちはみな、真剣な顔で聞き入る。
静かな声で読んで15分、という時間も、読み聞かせにはちょうど良い。
「ノンフィクション?」と尋ねた子がいた。
「そうだよ。アメリカで、本当にいた人のお話。」と答えた。
「終わりよければすべて良し、だな」と言ったのは、担任の先生。
たとえばこの本が図書室にあっても、小学生が自分で借りて読むかどうかは疑問。
読む子もいるし、読まない子の方が多いかもしれない。
でも、どんな子にも、いつの日か、死はやってくるのだ。
だからこの本は、読み聞かせに向いている本、なのかもしれない。
日常から死が失われてしまった現代には、こういう本が子供の心の栄養分として欠かせない。
生まれたからには、人は、いつか必ず、死ぬのだから。
最後の日をどうやって迎えるのか。
死ぬことは怖くないのか。
孤独ではないのか。
子供たちも、そういう疑問を持っているかもしれない。
口にはしないだけで。
だから、教えてあげたい。
こんな風に亡くなっていったおばあさんがいたんだよ、と。
一つのロールモデルとして。
たとえば、死を目前にし身体の機能が衰えていく中で、人は何を思うのか。
「体はだんだん弱っていきましたが、
エルマおばあさんがみんなを思う気持ちは、
ますます強くなっていきました。
おばあさんは、家族ひとりひとりにあてて、
お別れの手紙を書きはじめました。」
できることならば…エルマおばあさんのようでありたい。
自分の苦しみや、恐怖にとらわれるのではなく、周囲を思いやる強さが欲しい。
この本を読むと、子供たちはみな、真剣な顔で聞き入る。
静かな声で読んで15分、という時間も、読み聞かせにはちょうど良い。
「ノンフィクション?」と尋ねた子がいた。
「そうだよ。アメリカで、本当にいた人のお話。」と答えた。
「終わりよければすべて良し、だな」と言ったのは、担任の先生。
たとえばこの本が図書室にあっても、小学生が自分で借りて読むかどうかは疑問。
読む子もいるし、読まない子の方が多いかもしれない。
でも、どんな子にも、いつの日か、死はやってくるのだ。
だからこの本は、読み聞かせに向いている本、なのかもしれない。