(1)サルギ尾根を通過して、展望台で昼食後、大岳山に向かいました。(地図は、昨日のブログをご覧ください。)
風もなくぽかぽか陽気で、足も身体もまだイケるといってました。そこで、ムリが効くかどうか試すのは今だと思ったわけです。結果は「ばっちし」でした。
先日も載せた下の分岐標識から芥場〔あくば〕峠を経てコース時間通り40分で着きました。
(2)頂上の様子や雰囲気は「No.381」をご覧ください。下に写真を3枚載せました。完全にはつながりませんが、おおむねこの位置関係〔配置〕です。
18日は天気が良かったものの、逆光の時間帯になってしまい、富士山が光ってしまいました。でも、これだけ見られれば疲れがいっぺんに吹き飛びます。弁当もおいしいです。
フフ、そうかい?
南東:丹沢山塊 南:富士山と3尾根 西:御前山
1.南東方向に丹沢山塊が見えます。
左のポツンと高い山が「大山〔おおやま〕」です。
丹沢山塊の一番高いところ〔中央のやや右〕が「蛭ヶ岳1667m」です。
2.富士山の手前の3尾根は、手前から、御前山から延びてくる「湯久保〔ゆくぼ〕尾根」、その向こうに、かつて一部が御料地になっていた「御林山」から延びて来る「浅間〔せんげん〕尾根」、いちばん向こうに、三頭山〔みとうさん〕・槙寄山〔まきよせやま〕・丸山・熊倉山と連なる「笹尾根」です。この3尾根ともほぼ踏破しましたが、よい尾根です。
3.西は、前にも書きましたが、御前山とその左後ろに三頭山、奥に大菩薩連嶺が見えます。
(3)大岳山から降る途中、陽だまりにきたので足を止めて正面をながめると、午前中に辿ったサルギ尾根でした。
写真は高岩山から東方向を写したものです。木が少し邪魔していますが、この写真でも尾根の右端の方が急にキレ落ちていく様子がわかります。登り口の上養沢は切れ落ちた先の向こう側です。
展望台のある「上高岩山」は木々に隠れて見えませんでした。
この続きはまた。
【コレクション 146 杉浦梅潭〔ばいたん〕】
これは平成3〔1991〕年11月に刊行されたものです。
知らない人というのはたくさんあるものですが、こういう日記を全国の史学科のある大学の図書館でどのくらいが備えているものか、今回『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)を刊行したものとして、ちょっと心配になりました。刊行の重要性に気が付いたときにはもう入手不能の稀覯本になってしまっている・・・。司書の力が問われるところです。
最近は司書もパートばかりになってきて、プロがどのくらいいるのか・・・。私が見た大学の図書館でも、専門研究する先生が在職中は、その分野や当該期間のものがきっちり揃えられて整備もされていましたが、その人が退職・転職されていなくなるとパタッと途切れるというのを見ました。図書館も司書が育つところでないと、「本の物置」にすぎなくなってしまいます。
パンフレットの大きさは、B5判、6㌻です。B5判3枚分の横長の用紙を三つ折りしてできています。下に、1㌻と2㌻を載せました。
全体の体裁は、このほかに、
3㌻ 杉浦らの写真と「杉浦梅潭 目付日記」の内容見本
4㌻ 五稜郭の函館奉行所の写真と「杉浦梅潭 函館奉行日記」の内容見本
5㌻ 小野正雄 東京大学史料編纂所教授 杉浦日記「解説」の抜粋
6㌻ 装丁見本
刊行案内 体裁:全2巻 菊判 本文1200㌻ 定価:2冊揃5万円
刊行:平成2〔1991〕年11月
1㌻
2㌻
下に杉浦の略年譜があります。
名は誠。梅潭は号。(『角川新字源』では、潭=①淵、②=深い、③=きし・みぎわ)
ウィキペディアに拠ると、1826.2.15生、1900.5.30没。
今日はここで。
今日の雲、このあと雨に