神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.275 被爆者からの伝言

2024-08-27 23:10:30 | 時評
(1)日本では、「死者にムチ打たない」とか、「神様にしてしまう」ということがよく見られます。
 だれでも知っていることですが、どこの市町村でもアチコチに神社があります。神社そのものが、上のことに関わるわけですが、そのほかに、「頌徳碑=功績のあった人を称賛するための碑」、「忠魂碑=無念・怨霊の鎮魂のための碑」などがあり、これらが正にそれです。
 これらは、魂の存続を解く儒教に元があり、日本で生まれ育ったわれわれにとっては無意識のうちに生活習慣となっているものです。

(2)しかし、儒教に元があるといっても、大本の中国の儒教と、それが伝わった韓国の儒教、日本の儒教では、だいぶ意味が違うようです。生活習慣化して儒教の希薄化が進んだとかを含めて、過去だけでなく、現在のこの3国の国民生活の深層では違いがあるようです。

(3)ちょっと違うかもしれませんが、なにか不幸な出来事があった時、中国や韓国では人前でも「大泣き」します。「泣き屋」というのもあるそうです。それに対して、日本では人前で泣くのを耐えるのが美徳でした。いつからかはわかりませんが、最近は、電車の中でも大声で話をするなど、だいぶ変わってきているようです。
 似たことで、柔道の勝者が、相手を投げたと同時にガッツポーズして勝ち誇るのを見ます。これも、私などは、相手を慮らない失礼な行為と見ます。試合が終わっても、少なくとも畳の上にいるうちは感情をあらわにしない、相手の無念を慮る精神が基本です・・・。
 
(4)オット少し脱線しました。
 最近も、死をもって身の潔白を示すとか、抗議するとか、償うというのがありました。死はいろいろな意味を持ちます。
 しかし、庶民でも政治家でも戦争に加担した人、戦犯は、生死にかかわらず、きちっと裁くことが必要です。なぜなら、それが同じ誤りをしない保証だからです。
 先日、ドイツではナチスの時代の収容所の事務員99歳が裁判にかけられました。
 日本では、どうでしょうか。GHQの政策だけでなく、背景に儒教はないでしょうか。

(5)私は、財政学をやっているものとして「国家」の問題をいつも意識しています。その際、無意識化が進んでいるとはいえ「儒教の意味」は重要と思っています。その意味でも、No.271で紹介した『韓国デカメロン』はおススメです。

    
     ムカゴ 
      〽秋晴れの 光となりて~ 

【コレクション 71】
 きょうは、『被爆者からの伝言』です。
 死者に対する追悼と同時に、生者の声を聴きましょう。


 大きさはB5判、6㌻です。B5判3枚分の横長の用紙を、最初に右の3分の1を谷折りし、ついで、左の3分の1を谷折りするとできます。
 1㌻ 上掲
 2㌻ 刊行にあたって
    推薦者
   *下に掲載しました。
 少し大きめに載せておきます。ゆっくり読んでください。推薦者も錚々たる人たちです。



 3~5㌻ 内容紹介 「見る・聞く・読む」の3つができる本です。
 6㌻ ほかの宣伝
 以上です。
 先ほど地震がありました。
 台風と地震と火山噴火が重なったら、この国はどうなるんだろう。

 軍事ではなく、防災に力を入れる人が総理になってくれるといいな!
 日本は、火山の研究などで、人も研究予算も研究所も少ない・・・なんとかしないと。

 きょうはここで。
    
     ワレをもつかむ

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