北桔橋門脇
(1)きょうは宮内公文書館へ閲覧に行ってきました。
この間、『例規録』という御料局(のち帝室林野局)内の制度・職員規定・会計手続きなどに関する文書の閲覧をしてきましたが、きょうようやく一覧し終りました。
『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)にも書きましたが、皇室財産というのは(ここでは宮殿とか離宮などのことでなく、御料地・御料林といわれている収益用の財産のことですが)、「皇室費の不足を補うために当時の官有財産・官有地から編入・設定されたもの」です。ですから、私は皇室財産のことを「皇室費を補完する官有財産」と呼んでいます。これには、のちには有価証券(国債・株券・社債券など)を編入し・買い入れして収益を図ります。つまり、片足は「金融資産による収益」において利殖を図り、もう一方の足は御料地経営に置いて収益を図りました。そして、御料地という場合に、原野や農地などもあり、その一部は貸し付けと払い下げをしましたが、大半は山林経営などで、それは、皇室財産とか宮内省とかいうと、何か国営事業のような印象を持たれるけれども、その実態は、成り立っていればよいという程度の経営ではなく、年々相当額の収益を求められた経営(今いうところの「ものをいう株主」がいる経営のさきがけ)で、しかもほかの一般企業に伍しての資本主義的経営をせざるを得なかったわけですから、その側面を突き詰めてみることが必要なはずです。
これについてまだ十分な解明がありませんから、その性格規定は今後の研究と解明によって変わる可能性がありますけれども、ともかく、その経営実態を資本としてを見てみる。御料局(帝室林野局)の事業を資本主義に即応すべく努力している過程とみて解明を図ってみる。これが当面のネライです。
もちろん、天皇・宮内省という看板を背負っていますから、当時の財閥などとは違う側面を示すことが多々あります。しかし、まずは経営実態を見てみる。周りが資本主義経営をやっているときに、殿様経営では追いつかない・伍していけない、そこに御料局の持つ特殊性が見えてくるはずだ、というのが主眼です。
その場合に、その特徴がどこに見えて来るかといえば、やはり制度面、これが差し当たりの焦点です。そして、その点についての文書を考えるなら『例規録』は重要な簿冊です。きょう、その一覧が終り、ようやく全体を視野に入れて考える準備作業ができたことになります。
民間企業と違う事業分析のネックが押さえられたというわけです。まだまだ、これからですが・・・。
【コレクション 25】
きょうは、アンナです。
アンナ 船越保武作 1970年
水沢市 高野長英記念館所蔵
これは、長崎の聖人像などで有名な船越保武氏の作品です。
岩手県北上市の南西方向に遠谷幅〔とおやはば〕御料地ほかの小さな御料地がありました。
旧御料地までは鉄道から少し離れているので、夏と冬の2回立ち寄りました。
このうち、夏はミニサイクルを曳いて山奥の夏油〔げとう〕温泉まで遠足しました。また、冬は、冬も雪の中を途中まで行きましたが途中で止めて、水沢市にある高野長英記念館に行きました。Z項で知られた木村栄記念館や齋藤実記念館にも足を延ばしましたが、お目当ては高野長英でした。
記念館に入るとすぐのところに上掲の像がありました。なんだろうと見ると、船越保武作とありましたから感動しましたが、高野長英との関わりはよくわからず、少し違和感を覚えながらの観覧となり、高野長英の印象が薄くなってしまいました。
ちょっと話が変わりますが、アンナというと、むかし父の蔵書に『ペスタロッチにふさわしき妻アンナ』という本があったのを思い出します。
父は、玉川大学の通信教育で小学校の教員免許を取得しようしたことがありました。そのために、朝4時起きをして新町駅(現群馬県高崎市)まで自転車を4kmこいで、それから東京の小田急線玉川学園まで通いましたが、その当時はまだSLで、片道4~5時間かけての通学には体がもたなかったのか、諦めたようです。
しかし、玉川大学の小原国芳の教育理念である「全人教育」に多少共鳴したようで、関係する本が本箱にありました。『ペスタロッチにふさわしき妻アンナ』はその一冊だったのでしょう。不思議なタイトルの本だと思いながら、開いて見た日のことを思い出しした。
では、ここで。
クコ
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