神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.291 日本生活図引

2024-09-12 23:52:52 | 多謝
(1)目の治療のため、きょうで「しばらく」お休みします。ご覧いただきありがとうございました。とはいえ、ここは開いていますから、いつでもご覧ください。
 目の治療はかれこれ1ヶ月の予定です。その間に、書き残したこと、書いておくべきこと、どう書くかを見直してみようかと考えています。

(2)聞くところによれば、目は「脳の一部が飛び出したもの」だそうです。そうすると、目が悪いということは、「一部」とはいえ、「脳=頭が悪い」ということになります。しかし、頭の悪さ、とくに「使いどころの悪さ」、「要領の悪さ」は極まりなく、そのために人生で損をしてきたことがはっきりしていますから、この際、目の治療がうまくいけば、さぞかし頭がよくなり、要領もよくなるものと期待しております。

(3)このブログは、『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)刊行を関係者・関係機関にお知らせするために始めたものです。学術物は一般に発行部数が多くはありませんから、気が付いて注文した時にはもう在庫がなかったということが起こり得ます。必要とする人や処へうまく渡ることを希望しています。

(4)先日、知り合いから連絡がありました。そして、「読まないことには始まらないから、ともかく通読した」と。
 これを聞いて私は「それはすごい」と答えましたが、全体の配置をともかく知って(そのために冒頭の「本書をお読みくださるみなさまへ」を書いたのですが、この人はそれを自分の目でやったことになります)、それから拾い読みをするのが一つの方法です。
 しかし、この知人が取った方法は、これを山登りでいえば、樹林帯を黙々と歩くのに匹敵しますから、景色が見えず楽しくなかったかもしれません。でも、これは、通過してしまえば視界が開けて爽快ですし、後で生きてきます。

(5)もう一つは、「私が取った方法」です。これは「とらざるを得なかった方法」という方が正しいかもしれませんが、それは、前から一つ一つ調べながら読む方法です。その際、末尾の人名を必ず確認します。地名・山名・駅名は地図で位置確認し地図に印をつける。通過ルートを追う。要するに、どの事項も必ず確認し、わからないことは必ず調べるという読み方です。
 もちろん、これは手間がかかりますが、めげずにコツコツと続けていると、次第に行間が読めてきて、人や乗り物などが有機的につながってきて、目の前で動いて見えるようになります。

(6)考えてみれば、私のこの方法は学生の頃に宇佐美誠次郎先生のゼミで『資本論』を読んだときのやり方です。わからないことはわからないとし、勝手な解釈をせず、とりあえず先に進み、後から振り返って考えるということを繰り返して、順々と全体を理解していくという方法です。
 私は本書を利用される皆さんに、そうしてもらえることを期待して、注など参考になることを煩瑣になることをいとわずに付けました。
 踏査や測量については『帝室林野局五十年史』でも、全体1000㌻のうちの30㌻くらいしかありませんから、ほとんど具体的なことはわかりません。もちろん、『神足勝記日記』でも十全とはいきませんが、それでも、これを利用すれば、今後の課題もみえてきます。そういうことを知りたいという人には、ぜひ労苦をいとわないでほしいと思います。
 1日に1㌻として、せいぜい2年もかければ終わることです。

    
      弟はこんなに大きくなりました
    〽・・・夏ノ暑サニモ負ケヌ丈夫ナカラダヲモチ
     ・・・ソウイウモノニワタシハナリタイ・・・

【コレクション 85】
 きょうは『写真で見る日本生活図引 [第Ⅱ期]』です。
 パンフの上の方に「高度経済成長期を境に失われたのどかな日常生活の記憶を鮮やかに呼び起こす。」と書かれています。このころに小中高と成長してきたものとして、懐かしい風景です。下に写真があります。記憶にあるお店の雰囲気もほぼこのとおりです。子どもたちは、店先や縁台でよく遊んでいました。男の子は坊主頭、女の子はおかっぱ、青っ洟が往復電車の子が時々いました。悪ガキもいましたけど、面倒見もよかった・・・。


 大きさはA4判、6㌻で、Å4判の用紙3枚分の横長の用紙を、最初に左の3分の1を折り込み、次に右の3分の1を折り込むとできます。
 全体は、
 1㌻ 上掲
 2㌻ 下に載せました。お読みください。
 「刊行にあたって」の末尾に「日本と日本人のよさを発見してもらい、・・・日々の生活に生かしていただけたらと思う。」とあります。
 それから、下の写真。明るくて余裕を感じさせるよい写真ですが、私の頃にはもう町部ではこういうスタイルの人はみなかったように思います。終戦直後から50年代前半かなという印象です。しかし、道路わきに座って物乞いをする傷痍軍人がいた記憶はあります・・・。

 3㌻は4㌻の写真の事項説明
 4㌻ 下に載せました。
 「5畳半の住まい」とありますが、間借りやアパートは世帯の構成人数にもよりますが、多かれ少なかれこういう状態でした。しかしまあ、実によく整頓されています。
 〽ひぐ~れて~ たどるは~ 我が家の~ ほ~そ道~ 
  狭いながらも 楽しい我が家~ 愛の光の射すところ~


 5㌻ 内容抜粋
 6㌻ 装丁見本 
    刊行案内 B5判 各巻約180㌻ 定価各巻4330円 弘文堂 1993年
 以上です。

 上に傷痍軍人についての記憶を書きましたが、2010年5月に友人と韓国に行ったとき、大田か慶州のいずれかで、ローラーのついた板に腹ばいになって移動して物乞いをする傷痍軍人姿の人を見ました。じつに異様でしたが、これは、日本で最近お坊さん姿で寄付を募るというのもあるようですから、同類だったのかも知れません。
 
 昔がよかったと単純には言えませんが、懐かしいところがあるのは確かです。
 きょうはここで。

    
      きょうの月
コメント
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