ねむの花:きょうの多摩川べりで。風のためにかなり痛んでます。
No.91で長岡市の悠久山公園のねむの花を紹介しました。
多摩川で気が付いたのはこれ1本だけです。豪華ですが、曇りだったので精彩がありません。
晴れたらまたすぐ行くつもりですが、花にも明日はわかりません。
(1)私は、今でいう就活など何もせぬまま大学を卒業しました。本当です。
しかし、そのままというわけにもいかないと思っていたので、4月末に新聞に載った小さな広告を見て、ある大学に採用面接に行きました。すると、講堂のようなところに160人以上も応募者が来ていました。どの人もみな就職試験用の問題集などを熱心に勉強していました。
参加人数にも様子にも驚いて、受付にそっと「何人採用ですか」と訊くと、「図書館1人、教務課1人」と教えてくれたので、「石を投げて当った人を採用する方が速いですね」といって笑い合って、しばらくして帰ろうかと思っていると、あいうえお順だったのか、すぐに呼ばれ、面接室に入りました。
(2)面接官は事務長のほか事務員3人の計4人でした。
面接は、事務長が「希望は図書館とありますけど、図書館でなければだめですか」と訊きましたから、「本が好きだから図書館と書いたのですけど、教務課でもいいです』と答えて始まりました。そのあとは、どうせ採用にならないだろうからと、自分の方から勝手にしゃべり、「大学へはロシア語を勉強するつもりで入ったけど、それができず、授業は、学生が暴れるとすぐにロック・アウト〔大学封鎖〕になり、おかげでろくろく受けられなかったこと、『資本論』のゼミに入って、それも全巻を読み終わらないうちに押し出されてしまった」旨を話すと、事務長が「理論なのになぜ『資本論』だけなのか。ほかのもやるべきじゃないか」と突っ込んできたので、これには答えに困って、「そうですね」と引き下がって終わりました。
ユリが咲きました。
(3)自分の良いところは、本当に困ったときは反ってモノを考えないところです。そのまま事態を見やる、というとかっこいいですが、要するに無能。
仕方なく部屋でひっくり返っていると、家主が「電話ですよ」と呼びました。
このころはまだ一家に1台の電話でもなかったのです。
電話に出ると、先ほどの事務長でした。そして、いきなり「来てくれますか。」というので、「はい」と答えると、「では、N病院で健康診断を受けてください。それで問題なければ、採用です」と。こうして、労せずして狭き門を通過しました。
(4)ところで、就職後に、図書館に採用されたもう一人と同期として飲みに行きました。そして、自分のことを棚に上げて、この人のどこを見て採用したのだろうと思ったので、「折り入って訊くけど、コネあった」というと、「あった」と。
ということは、あとの160人余は教務課1人の枠を通るためにしのぎを削ったことになりますが、まず「図書館でないとイヤ」と回答した人はそれだけでボツとなったでしょう。しかし、残りが何人であるにせよ、自分が採用になったのはなぜなのか。これがずっと疑問でした。
その理由は何か。年のせいか、最近わかりました。
大人数が応募した中で、無神経に『資本論』のことをべらべらとしゃべるヤツだからです。
これには、面接する側に当時はまだホネのある人がいたからと思われますが、そもそもは、自分がそんなことをやれるようなきっかけを作ってくれた、No.166に書いた「中村さんのおかげ」となります。
(5)でも、その後、そんなことも考える余裕はまだ当時はなく、秋には結婚し、翌年の6月末でボーナスをもらって退職してしまいました。そして、塾の数学の先生の仕事をとりあえず見つけて、大学院の受験生の生活に入りました。
(6)一方、塾ではやさしい先生を心がけました。ところが、塾長や教室長から「もっと厳しい先生になってほしい」といわれ、困りました。
それで、あまりニコリともしないで説明して生徒を見て廻りましたが、見破られていたようです。たとえば、女子生徒がノートを指差すので質問かと思って覗き込むと、「私たちは先生のファンです」などとあります・・・。これには、テレもあり、当時のことなので、ゴツンと1発。
表向きはともかく、内心は厳しい先生は無理だと思っていると、男子生徒がニヤニヤするので、「なんだ」というと、先生によく似た人の絵が表紙に描かれたノートがあるというので、買ってくるように言うと、持ってきました。
「まあ、こんなだったかもしれない」と今は思えて、懐かしい宝物です。
こうして、「腕のいい数学の先生」として働くことから始まりました。
つづきはまたいずれ。
では。
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