神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.390 山のけむり

2025-01-26 01:02:44 | 閑話
(1)上の写真は、御嶽神社門前の店を降ったところから見た日ノ出山〔正面〕と麻生山〔右むこう〕です。
 山の形は見る位置によって違って見えることが普通ですが、この日ノ出山はずいぶん丸い。しかし、頂上の東屋は見えませんが、3本の木が見えます。それから、麻生山は頂上がふたコブになっているのが目印ですが、それがここからよくわかります。
 
(2)ところで、この写真で私が注目したのは、日ノ出山の北尾根です。
 日ノ出山は4方向から登ることができ、どこから登っても最後は急登です。このうちの3方向はハイキングコースとして整備されているのにたいして、北尾根は、通行できるとはいうものの、いわば作業道と登山者が踏み固めた道という程度のものです。その道がある尾根が頂上から一気に切れ落ちていくようすが写真でわかります。

(3)先日の、御岳山ケーブル下のバス停から見えた「北尾根の登り始め付近」の写真をもう一度載せます。
   
 
 ここは、中野というバス停で降りてから少し歩くと、沢沿いに古いセメント製の階段があって、それを上がるとあとは踏み跡だけの本当の山道です。ぐんぐんと上がると、一気に高度を稼げて景色が開けます。快適なコースです。ここをかれこれ1時間この調子で登っていきます。

(4)しばらくして樹林帯に入ります。すると、ギンリョウソウやキノコ類も見られ、射し込む光を楽しめるやや平坦な道になり、少し落ち着きます。そして、それが過ぎると、冒頭の写真の左下の登りになり、一旦は降りますが、それからは景色を見るどころではない急登になります。ひたすら足の置き場の確保に注意し、転げ落ちないように木の幹や枝を掴んで上がります。

(5)そうしてしばらくすると、上の方が開け、やがて人の声が聞こえてきます。しかし、すぐには上がれません。息を整えてもう一歩です。
 上がりきると、先に頂上に着いている登山者たちが、柵があって立ち入りができないはずの草藪の方から、疲労した顔の人が現れますから、びっくりした顔つきをされます。

(6)このコースは、もともと入ることを避けてほしい道、ということのようです。これは、「入山禁止」の看板が建てられるようになった事情を知りたいと思い、年末に下の方の所有者の小沢酒造に問い合わせたところ、そのような説明でした。しかし、入山禁止にしたのは小沢酒造ではありませんでした。
 実は、このコースは下の方と上の方で所有者が違うのだそうです。
 そして、上の方の所有者が、何かの出来事を契機に入山を迷惑として「入山禁止」の看板を出すようになったので、入り口の方の所有者の小沢酒造も、上が禁止するものを下で許可するわけにはいかないので、入山禁止のロープを張ったたということでした。

(7)どうつながるかわかりませんが、ちょっと前に出版された山岳救助関係のある本を見ていたところ、この尾根を、登りでなく下りに使って遭難し、救助要請をしたグループがあったそうです。
 山は、急登を行き、平坦な道で降りを楽しむのが足の負担を考えた時のお勧めです。カミナリなどの緊急時でもなければ、急坂の下りは避けたいところです。しかし、ハイカーにとっては逆で、登りをゆっくり楽しんで、帰りの時間が短くできるのが魅力のようです。そのため、観光案内などで、平坦な道を登って急坂を帰るコースを紹介している例を見ます。
 オット、その遭難者ですが、救助隊が助けて下山させてから病院に搬送しようとしたところ、御嶽駅まで送ってもらえれば、あとは自分で帰れると言ったそうです。
 「そんなことで救助隊を呼ぶな~」とは私の弁。
 これが原因かどうかはわかりませんが・・・。ともかく、今は「入山禁止」です。
 今日もあらぬ方へ行きました。

【コレクション 150 遠山茂樹著作集】
 遠山先生の著作は、高校時代から、友人の刺激もあって読んできました。懐かしすぎて、遠すぎて、もう見えません。白内障の手術も無事終わって、かかりつけの眼科医のOKが出たメガネをかけているのに・・・。それでも見ようとすると、じわじわと涙が出てきます。

 このパンフは、優に30年以上前の、1991年10月7日に入手したものです。
 大きさは、B5判6㌻です。B5判大3枚分の横長の用紙を最初に左から3分の1を折り込み、ついで右から3分の1を折り込むとできます。
 全体は、1㌻と5㌻を下に載せました。
 2~4㌻ 内容紹介 遠山茂樹略年譜 
      推薦文 家永三郎 豊かな研究成果
          太田 堯 頑固でかつ柔軟
          宮地正人 徹底した民衆的視座
 6㌻ 装丁見本
    刊行案内 1991年11月刊行 体裁:A5判 平均400㌻ 岩波書店    
       1㌻


          5㌻

 以上です。
 ちょっと遅くなりすぎました。
 今日はここで。

   
    ロウバイ
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No.389 150歳まで生きる

2025-01-25 00:18:52 | 閑話
(1)今日、テレビを見ていたら、100歳の女性が小学校を訪問したことが紹介されました。途中からなので、詳しいことはわかりませんでしたが、自分で歩いて積極的に子供たちに話しかけて何かを指導している様子は、「80歳」と言って通用する元気な風貌でした。

(2)感心したのはそれだけでなく、インタビューに200歳まで生きたいと答えたことです。凄~い。
 私は常々150歳まで生きると言ってカミさんの嘲笑をかっています。カミさんは、また言ってるという風にこっちを向いて、「私はそんなに生きられないから、一人になっても困らないように、家のことをもっとやってください」などとイヤミも言います・・・。

(3)「150歳まで生きる」というのは、その頃には今考えていること全部を終わらせる自信があるので、「なんとか頑張らねば」ということです。
 まあ、学者・研究者は50~60は「洟垂れ」、そこで土台を作って70~80からが本領。それなのに、雑文や論文をちょこちょこ書くなんてアリバイ作り・・・。今の大学はそんなことばかり・・・。オット!
 「いま出されている本の大半はゴミになる・・・。」
 これは、知り合いの出版社をやっている人が言ったことです。
 まあ、ファウスト博士もいろいろと悩みました。だから、人によりけり・・・だ・よ。

(4)またまた話がズレますが、私がその「本領」に入って「貧乏でも時間がある方がいい」と考えてたころ、あれはコロナ蔓延の前ですが、ある人が挨拶に来ました。しかし、すでに「一期一会」と決めていましたから、名刺交換を辞退し、必要なら遭った時に話しかけてください、と言いました。そして、ネットでその人の論文を読んでいましたから、その誤りを指摘しました。

(5)ひとつは、この人は自分の論文のテーマになっている場所の地形図を独自に集めず〔もともとのものが誤っていたのに気付かず〕無批判で引用していました。さらに、別の箇所でも、指し示している位置・方向もまったく違う方向だったのに、それにも全く気が付いていなくて、私の指摘を聴いて、キョトンとした感じで「間違っているんですか?」と。
 要するに、調査地の近くにある博物館までは資料集めに行ったものの、旧御料地の現地には足を運ばなかったわけです。

(6)一般に天皇問題は話題性があって注目されます。皇室財産や御料地は範囲も広く、実態をまとめたものもありません。そのことがかえって好奇心を呼びます。よくわかっていないことが、余計に関心を引く原因にもなっています。
 かくいう私も、ここまで来て「ようやくいくらかわかってきました」。何がわかってきたかというと、「非常に大変だ」ということです。
 本当に150歳くらいまで頑張らないと全部を捉えた説明はできないだろうということです。

【コレクション 149 速記録・会議録】
 これは帝国議会の速記録・会議録です。見て楽しいというわけのものでなく、文字通りの刊行案内です。
 大きさはB4判6㌻です。B4判3枚分の用紙を最初に3分の1を折り込み、次に右から3分の1を折り込むとできます。
 全体は、1・2㌻を下に載せました。
 3㌻ 昭和編第2期分の刊行予定箇所の一覧
    貴族院の方は、37巻各巻税込み12,360円。衆議院の方は、37巻各巻税込み16,480円。
 4㌻ 昭和編第1期分案内
    貴族院の方は、各巻税込み12,360円。衆議院の方は、各巻税込み16,480円
 5㌻ 内容見本
 6㌻ 刊行案内 体裁:A5判 貴族院平均33㌻。衆議院平均500㌻  
         1993年4月より配本。東大出版会。 
           1㌻


           2㌻

 伊藤氏は2024年8月19日に91歳でなくなりました。私は、伊藤氏の業績の一部を『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の編纂の際に利用させていただきました。
 伊藤氏の学者としての足跡は、 『朝日新聞』9月13日付に古川隆久日本大学教授(日本近現代史)による追悼文が掲載されていますので、それをご覧いただくのがよいでしょう。
 伊藤氏は、ちょうどこの本が刊行された頃に東大を退官されましたが、その後の伊藤氏の行動を見ていて、平常の伊藤氏を知らない私などには、異様な論客と見えていました。あとからはいくらかわかるようにまりましたが、学者は、自分の利益や主観で行動し始めると、学問対象に対しても、自分に対しても正直な対応ができなくなるようです。
 今日はここで。

   
    御岳山の参道
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No.388 いい話

2025-01-23 23:48:49 | 余録
(1)今日は、予定通り、出かけてきました。楽しかったけど、だいぶくたびれました。やっぱり家で作業をしているのがいちばんラクです。
 週に一度は山へ行くか町へ行くか、とにかく動くことにして、ここのところ皆勤賞です。やっぱり、出れば出たなりのことはあります。

(2)ひとつは、資料収集のほかに、偶然ある人と話すことがありましたが、そしたら、その人は『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)をご覧になったようで、ずいぶんのお褒めのことばをくださいました。
 えっ、なんといったか?
 それは、自分では言いにくいものです。まあ、婉曲に、丁重に、です。ありがたいことです。

(3)もう一つは、車中です。
 家にいると机にしがみついて作業ばかりで、どうしてもアレコレの本を読むことがなくなってしまいがちです。その点、電車に乗ると本が読めます。
 暮れから先日までは、若山牧水『みなかみ紀行』(中公文庫)を持って出て、もう何べん読んだか・・・。群馬のことが出てきますし、沼津や天城のこと、とくに御料地や御猟場という言葉が出て来るところがありますから、けっこう繰り返して拾い読みをしました。

(4)今日は内田洋子『モンテレッジョ 小さな村の旅する本屋の物語』(文春文庫、2021年)を持って出ました。内容は読んでのお楽しみとしましょう。
 もうお読みになった方もあるでしょう。私はだいぶ前に買って、積んでおいて、時々写真だけ見たり、拾い読みしたりしてきましたが、今日は前から4分の1くらいまでいきました。
 テレビでドキュメンタリー番組でも見ているかの印象の本です。今週はこの続きをキチンと読む時間を作るつもりです。

【コレクション 148 女子青年界】
 キリスト教については、群馬県の甘楽教会や安中教会のことをどこかで書いたと思いますが、神足勝記の関係でもかかわりがあり、一時期ずいぶん調べました。今でも注意しています。
 特に、熊本出身の徳富蘇峰・蘆花、竹崎順子、その関係の矢島楫子、大久保真次郎・音羽・久布白落実などの活動の影響は大きく、群馬県に遊郭や赤線がなかったのはそのことが大きいといわれています。今でも内村鑑三の胸像を飾っている病院があります。
 
 このパンフは、大きさはB5判8㌻です。B4判の用紙2枚を重ねて二つ折りしてできています。
 1・2㌻ 下に載せました。
 3㌻ 内容見本 
 4~6㌻ 写真と推薦文
      山口光朔 女性史の資料としても
      関屋綾子 先達の誠実な歩みを辿る
      水田珠枝 女性史研究の幅を広げる
      笠原芳光 自由で快活な精神
      一番ヶ瀬康子 真髄をふまえた活用を
 7㌻ 関連雑誌の宣伝
 8㌻ 刊行案内 全3巻・別冊1 体裁:A5判(1~32巻)、B4判(33巻)
         ページ数21,866 本体揃価格748,000円 別冊22,000円
         1992年刊 不二出版

        1㌻


         2㌻


 以上です。
 今日はここで。

   
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今日はお休みです

2025-01-22 22:37:59 | 休業
(1)今日はお休みする旨を昨日のブログに書きました。
 それを読まずに?不幸にして開けてしまった人のために、上の朴の写真〔再録〕と【コレクション】を一つ載せておきます。

(2)これは、B4判5枚を重ねて二つ折りしてできています。つまり20㌻の小冊子です。
 全体は、各県から5~10項目の民俗行事・事項をとりあげて簡単な内容紹介をつけた体裁ですが、これだけでもなかなかの読みごたえがあるパンフです。おまけに挿絵も多数つけられていて、これを見るだけでもかなり楽しい。しかし、そのためにここでは紹介しきれません。そこで、表紙と、「民俗誌」の歩みが求められた3~5㌻だけを載せておくことにしますから、興味を惹かれたという向きにはぜひ図書館に足を運んでみていただきたい。
 私の関心としては、こういう民俗的生活と御料地問題がどう関わるかということがありますが、そこは全国の郷土史家の総力を挙げないとできないので、ひたすら自分の課題をやって郷土史家の食指を誘引するように努めています。微力ながら・・・。
      1㌻


         3㌻

  
        4㌻


  では、ご苦労さん。

  今日よりも明日の方が余裕がないかも・・・。
  いいよ、「明日は明日の風が吹く」さ!
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No.387 朴葉 

2025-01-21 23:46:56 | 余録
(1)昨日の大岳山からの降り、ケーブル・カーに乗らずに参道を歩いたことを書きました。
 昨年12月3日にこの参道を歩いて日ノ出山に上がった時は、山影だったのと、まだ陽が射し込むも時間になっていなかったのとで、おもしろい景色に出会えませんでした。もちろん、ときどきは休んで呼吸を整えながら周りを見わたしましたが、だいたいは下を向いて喘いでいたせいでしょう、よい景色に気付きませんでした。しかし、昨日は、参道沿いに立ち並ぶ800本もの杉の大木の間に傾いてきた陽の光が差し込む絶好の時間帯だったのもあって、おもしろい写真も撮れました。これはどこかで載せることにしましょう。

(2)しかし、参道の終わりにくると、そこはもう谷間です。幻想的な光景が見えなくなったばかりか、陽もわずかに山の端を照らすだけになって、寂しくなりました。
 そのころ、下の方にケーブル駅の駐車場が見えてきたので急いでいると、上から大きな葉が落ちてきました。見ると朴葉でした。
 朴は私の思い出の木ですから、「どこにあるんだろう?」と探すと、下の写真の光景が目に入りました。左右の杉の大木の向こうに何本も朴の木が見えます。そして、そこから落ちた葉が、風で吹き飛ばされたり吹き寄せられたりということもなく、そのまま、敷き詰めたように広がっています。凄いですね。一面の朴葉です。 

 里山を歩いていると、朴葉が群がって落ちているのを見ることがありますが、これほどのすごいのは見たことがありません。

(3)ここは、私の聖地になりそうです。4~5月には、きっと、風を誘って悠然と揺れる朴の花を見ることはできるはずです。
 興味のあるかたはぜひどうぞ。場所は、ケーブルの滝本駅から参道を入って100mくらい歩いたところ、駐車場のすぐ上にあるカーブの付近です。
 〽は~るよ来い!は~やく来い!

【コレクション 147 毎日新聞】
 1970年は70年安保でにぎやかでした。友人に誘われて、代々木公園から青山通りを抜けて国会をへて新橋あたりまでたどるというデモ行進に何度か参加しました。青山通りを歩いたこはありません?が、デモ行進のときに車道から青山を見たことはあります。
 その年の冬のこと、東京の飯田橋の赤ちょうちんで友人とテーブルをはさんで向かい合って飲んでいると、相席となった隣の二人が毎日新聞の人でした。
 そのときの話の筋は覚えていませんが、「もっと批判的な記事を書け」と批判めいたことをいったところ、ソ連びいきと思われたのか、「プラウダとイズベスチャの違いを知ってる」と言い出して、ケムに巻かれたことだけを覚えています。
 もう何年も竹橋で降りて宮内公文書館に閲覧で通ってきましたが、改札口を出ると右が毎日新聞社です。そちらへ向かう人を見ながら、あの頃を思い出すことがあります。

 このパンフレットは、毎日新聞の元になった『横浜毎日新聞』の復刻を知らせるものですが、右上に「93.3.24」とメモされていますから、32年前に収集したことになります。
 大きさは、A4判、4㌻です。A3判の用紙を二つ折りしてできています。
 全体は、1~2㌻を下に載せました。ご覧ください。
 このほか、
 3㌻は第1期配本の概要。
 4㌻は第2期配本概要。刊行案内。
    体裁は、A4判、17000㌻。価格:第1期87万円、第2期123万4千円
    刊行:1992年~。不二出版 
        1㌻

       2㌻


 以上です。
 今日はここで。
 明日は、調査の準備のため、休みます。

   雨の後のロウバイ
   

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