信長は尖鋭的な無神論者であり、神仏を否定した。秀吉はそういう思想はなかったにせよ、無信仰であった。家康はややちがっている。庶民的な浄土宗のよき檀徒であり、戦陣にも「厭離穢土・欣求浄土」という旗をかかげた。
‐司馬遼太郎著「覇王の家」より‐
すなわち
家康公は
中世的な世界観を体現していた。
ぼくは
知恩院の経営する学校(佛大)に行っていたので
知恩院の興隆に
家康公の家系がかかわっていたことに驚嘆した。
信長公、秀吉公は
近代人であり
信玄公、家康公は中世人の趣である。
そして
そのことが
盤石な天下人と
刹那の天下人の違いの
根本的な原因であったと
豁然大悟した次第であります。
おわり
高橋記(中世人)
‐司馬遼太郎著「覇王の家」より‐
すなわち
家康公は
中世的な世界観を体現していた。
ぼくは
知恩院の経営する学校(佛大)に行っていたので
知恩院の興隆に
家康公の家系がかかわっていたことに驚嘆した。
信長公、秀吉公は
近代人であり
信玄公、家康公は中世人の趣である。
そして
そのことが
盤石な天下人と
刹那の天下人の違いの
根本的な原因であったと
豁然大悟した次第であります。
おわり
高橋記(中世人)