宋斤「思い出の記」俳句の部 昭和十四年(二)
病院
看護婦等梅雨の廊下をしろしろと
しらしらと雲育つなる秋近し
灼け甃に水打ちつそこ跣足ゆく
うしろ組む手に白扇を庭の径
かまきりは小智に傾しぐ顔もてり
月明や窓の朝顔実だくさん
焼帛を霧のぬらせば伏す煙
露ぶかへさらと女の肩がゆく
壁を塗る見ておもしろし蝗飛ぶ
出来秋や山から水のひとすじす
柿實(な)るを見ては故郷がほしきかな
ダイヤより菊にうつりつ朝ごヽろ
露秋や猫はけだもの野をとべり
新薬師寺みち
バス避けて居れば町辻もみぢ散る
あまりしづかさ南天の実をさはりけり
枯れぬくヽなにかな迂り道したく
「宋斤思い出の記」は、祖父宋斤の七回忌(昭和二十五年年五月)に,父 要がガリ版刷りの手書きで 宋斤の俳句の部として記念発行したものです。大正十五年より 年ごとにご紹介しています
宋斤「思い出の記」俳句の部 昭和十四年(一)
凍鶴の嘴がぬけ羽を惜しみけり
春の眼が雲の晴れ間の星にある
室生重英の藤戸を観る
凍つさまに藤戸の母が泣き踞み
春の湖汽車のめぐりてなほ失せず
摘草の背いま曇る水も帆も
人はみな野良に唖なり鳥交る
桃の花雨はすかいにそれも消ゆ
蝌蚪(かと)に思ふチェッコ亡ぶ日なりけり
高野山吟
石楠の花こしらへて雪を著し
春の花何時更けしとも雪ながら
石と我いづれ春日あたヽかき
やかましい雀が虹を消しにけり
いまごろの洛北想う梅雨椿
石と我いづれ春日あたヽかき
「宋斤思い出の記」は、祖父宋斤の七回忌(昭和二十五年年五月)に,父 要がガリ版刷りの手書きで 宋斤の俳句の部として記念発行したものです。大正十五年より 年ごとにご紹介しています
宋斤「思い出の記」俳句の部 昭和十三年(二)
謹 詠
あかつきや天長節の松緑
靖国神社臨時大祭遥拝
黙祷す春雲いつとむらさきに
山川に大いなる夏定まりし
夏旦凡そ葉のもの風を生む
我れ寝ざり金魚時々夜を寝ざり
住吉御田神事
お田植や稚児の見参すでに雨
燈を闇をひとつあそべる蛾の凉し
日盛りの川を見てゐる書架を背に
白濱
雲秋や内海の波に面して
浜木綿は実を地に委して残暑かな
船虫のさヽやき交わし秋の風
巌敷にひたと蜻蛉太平洋
浦波のこヽに聞こえず盆燈籠
東行抄
バス降りてうかと往きしが利根の秋
水郷
鷺飛ぶはまことに白し蘆の花
霞ヶ浦
湖添ひや赤蜻蛉の人につく
穴太藤田 あのうとうだ/font>
秋草や村はならひの門ふかく
月細く穴太藤田の薮どころ
武田勝親の墓
竹春に武田源氏の墓ひとつ
竹春の奥の小春に縁ひろし
天王寺に今日何もなき冬日かな
竹春に武田源氏の墓ひとつ
街道へ野をあがりけり師走人
「宋斤思い出の記」は、祖父宋斤の七回忌(昭和二十五年年五月)に,父 要がガリ版刷りの手書きで 宋斤の俳句の部として記念発行したものです。大正十五年より 年ごとにご紹介しています
宋斤「思い出の記」俳句の部 昭和十三年(一)
昭和十三年
大旦にたヾに東方拝しけり
元旦や海のしたしさふかぶかと
たちまちに火も咲いてけり初竃
一丘にまつわる種神初日南
大寒を軍事郵便みな句あり
冬眠の眼はものを視て河鹿かな
女正月みなが旧師に甘へつヽ
凧の下林檎或は移るあり
初天神正月のなほ街にあり
寒土用水を動かし魚動く
病兵に芝若芝若となりきつる
草餅にふるさとを言ふ海彼方
美保ケ関にて
東風強し海鳥空にきりかやし
玉造船所にて
龍骨を見上げてぞ透く春の空
春の旅進水式より琴平へ
仁和寺をわきみちへ出て古すヽき
つばくろの高きひとつに野山かな
草餅にふるさとを言ふ海彼方
草餅にふるさとを言ふ海彼方
「宋斤思い出の記」は、祖父宋斤の七回忌(昭和二十五年年五月)に,父 要がガリ版刷りの手書きで 宋斤の俳句の部として記念発行したものです。大正十五年より 年ごとにご紹介しています