根室本線は帯広貨物駅を過ぎた頃から高架を走り始めました。
列車が柏林台駅に停車すると、車両の下に、片側2車線の道路が見えます。
地図で確認すると、道道151号、通称弥生新道のようです。
南は帯広畜産大学方面へ、北は平原大橋を渡って道東道の音更帯広ICに至ります。
南の方角に高層階のマンションらしき建物が見えていました。
これ程土地に余裕のある帯広でも、高層マンションの需要があるのでしょう。
主要幹線道や公共施設の近くに住むと利便性が高いのかもしれません。
そして今回、帯広の市街地図を見て、帯広厚生病院が西13条に移転したことに、今気づきました。
私は1985年から5年間、札幌に家族を残して、常泊出張で帯広に通い、帯広厚生病院などの医療機関を訪問する仕事を続けました。
三男誕生の知らせを聞いて、知人の車を借りて札幌の自宅まで300kmの夜道を走り続け、朝の4時頃、翌日の仕事に間に合うように、帯広にとんぼ返りしたこともありました。
あの頃は、有給休暇が当たりまえに取れる時代ではなかったのです。
そんな時代に親しくして頂いた、帯広のK先生と今もお付き合いを頂いております。
今回お会いしたかったのですが、都合が付かなかったことが心残りです。
列車が帯広駅に近づくと、市内中心部が見えてきました。
しかし、線路が帯広駅に入る手前の帯広厚生病院が定かではありません。
この文章を書き始めるまで、私は何か変だな~と思い続けてきました。
まるで浦島太郎みたいな気分です。
そして列車は10時20分に帯広駅に終着しました。
それにつけても、その時の写真を見て改めて思うのは、帯広の空の青さです。
次に乗り継ぐ釧路行きの普通列車は、6分後に帯広駅を発車しました。
私の学生時代、そしてホテル住まいの頃も、根室本線は地上を走っていました。
しかし列車は今、高架線の上を走ります。
なので私が、こんな位置から帯広の街を眺めるのは初めてです。
そして多分、帯広の街もJRが高架化されたことで、道路網が再構築されたのでしょう。
見慣れぬ道路が、駅の南側から東へ伸びていました。
駅を出ると程なく、列車は札内川の鉄橋を渡りました。
河川敷に、ソフトボール場らしき緑の芝生が広がっています。
その先で列車は札内川の流れを越えました。
札内川は過去に幾度も「清流日本一」に選ばれています。
札内の名は、アイヌ語で「サツ・ナイ(乾いた川)」を意味し、夏に水が涸れることが名の由来ですが、渇水期に水は扇状地の砂礫下に伏流し、大部分が再び札内川に復帰します。
そして札内川の水は、十勝川流域の水道の半分近くをまかなっています。
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