列車は浜中駅に停車しました。
浜中町の浜中駅ですが、駅の周囲の集落規模は茶内より小さく見えます。
浜中駅を出た列車は、根釧原野の南東端の台地を見ながら根室を目指します。
緑以外に何もない台地が、地球と空の間に一本の境界線を描きます。
列車は時を忘れる景色の中を東へ走り、姉別駅に停車しました。
駅舎の中からルパン三世と銭形刑事が、こちらに銃を向けていました。
姉別駅の北では、姉別川「アネペッ(細い・川)」が根釧台地を浸食しながら風連湖へ流れ込みます。
ホーム横の草地に、ヒヨドリバナとゲンノショウコらしき花を認めました。
珍しい花ではありませんが、この辺りは高山植物を見ることもあるので、花を見たらシャッターを押すことにしました。
動き始めた列車の窓からサイロが見えました。
浜中町の酪農は、生産履歴(トレーサビリティ)が明確なシステムで生産され、高品質の牛乳は「ハーゲンダッツアイスクリーム」の原料にされます。
姉別駅を発車した列車は根室市の行政区に入り、厚床駅に停車しました。
厚床の地名は、アイヌ語の「アットゥクト(オヒョウニレ・伸びる・沼)」が由来とされます。
1989年(平成元年)までは、厚床駅から標津線が中標津まで通じていました。
2023年10月1日には代替バス(厚床駅-中標津間)も廃止となりました。
バスを運転する大型2種免許保有者の高齢化が進み、バスドライバー不足が深刻化したそうです。
現在開発が進む、車の自動運転システムの実用化を俟ちますが、
しかしその一方で、殆どの自家用車は座席を余らせ、全てを輸入に頼るガソリンを消費して走ります。
工夫次第と思います。 従来からの常識を疑う、新しい発想が必要です。
厚床駅から先の牧草地の広さは、我々の常識の範疇を越えています。
国土地理院の調査報告書によると、1950年頃の当地は殆どが森林でした。
しかし、1975年の厚床原野は、国営農地開発事業(パイロットファーム)などで大規模な畑地(牧草地)に変わり、畑地は2000年、更に拡大したそうです。
一台の乗用車が、列車とほぼ同じスピードで国道142号を並走します。
国道142号の横に広葉樹の森が見えます。
1950年以前の厚床原野はこのような森に包まれていたのでしょう。
列車は別当賀(べっとが)駅に停車しました。
別当賀は、アイヌ語で「ペットカ(川の・浅瀬)」の意だそうです。
この駅も、御多分に漏れず廃止が検討されているそうです。
そんな駅のホーム脇でハマナスが陽の光を浴びていました。
今は使わなくなったホーム跡に、「野鳥の宝庫風連湖 別当賀」と記した駅名標が見えます。
この駅から風連湖までは6km程なので、JRの駅としては一番近いのかもしれません。
しかし私は、地図を見ていて、気になる場所を見つけました。
それは「フレシマ湿原」。
そしてこんなブログを見つけました。
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