花咲線の釧路発根室行き普通列車は、定刻の13時25分に釧路駅を発車しました。
花咲線は根室本線の一区間、釧路駅-根室駅間の愛称です。
根室本線は1921(大正10)年に西和田駅-根室駅間が開業し、滝川-根室間が全通しています。
しかし花咲線は根室本線の一部ですが、特急や急行は走らず、快速列車が運行されるのみです。
私が花咲線に乗車するのは多分1972年以来と思いますので、51年振りのことです。
しかし私は、花咲線が走る根室半島を、車で幾度か訪ねていますので、この地が半世紀振りという訳ではありません。
そんな花咲線の旅がいよいよ始まりました。
釧路駅発車した根室行き普通列車「道北 流氷の恵み」号は釧路、根室を含めた17の駅を経由し、135.4kmを2時間32分かけて走り通します。
釧路駅を発車した列車は4分後、釧路と網走を繋ぐ釧網本線の起点となる東釧路駅に停車しました。
しかしこの時、私は「花咲かにめし」弁当の昼食中でしたから、東釧路駅の写真はありません。
列車は東釧路を発車した2分後に武佐駅に停車しました。
武佐駅は1988(昭和63)年に釧路市東部の新興住宅地の利便性を図り、線路脇に一面のホームが設けられた駅で、武佐はアイヌ語の「モサ」、「モセ」、「ムセ」などがイラクサの意なので、同じ趣旨の由来だろうと説明されます。
列車は武佐駅を出て1~2分で釧路町に入りました。
今回初めて知りましたが、釧路町は釧路市に接する、釧路市とは全く別の行政区なのです。
釧路町が誕生した経緯は、1920年に行われた北海道区制施行に遡ります。
釧路が区となる為には、総面積に比して人口が集中する市街地の割合が大きい必要があり、釧路は市街地以外の郊外を切り離しました。
分離したのは釧路川以東の別保(ベッポ)地区と湿原区域の雪裡太(セチリブト)で、この地域と昆布森(コンブモリ)村が合併した後、1980(昭和55)年の町制施行で釧路町が誕生したそうです。
釧路町の約80%が海抜100m前後の起伏のある山間地帯で、約20%が西部の平野と泥炭地です。
花咲線は釧路町に入り、山間部を流れる別保川に沿って川岸をウネクネと蛇行します。
そして私はまたも、「花咲かにめし」弁当に気を取られ、別保駅を撮り損ねました。
別保駅を出て暫く走ると、車内に蛍光灯が灯り、列車はトンネルに入りました。
この辺りに線路が設置されたのは1917(大正6)年ですから、なるべく工事がし易いルートを選び、トンネルで繋いだのでしょう。
今の技術を持ってすれば、ほぼ一直線にトンネルを穿つルートが選定されるはずです。
そして列車は上尾幌(かみおぼろ)駅に停車しました。
上尾幌の名は尾幌川の上流にあることが由来です。
2023年8月21日、上尾幌駅の花壇にコスモスの花が揺れていました。
北国の駅の突然の秋の気配に、遥かなる旅路を意識させられました。
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