釧路行きの普通列車は、幾多の川が海へ流れ込む河口を避けながら、霧にかすむ海岸を進んでゆきます。
音別町の市街地手前で音別川を渡り、
音別駅に停車発車し、再び波打ち際に戻りました。
茫々とした、とはこんな風景を指す言葉かもしれません。
列車は馬主来(バシクル)沼の畔を進みました。
馬主来沼は馬主来川が海に流れ込む河口の沼で、海の潮位よりも、堰き止められた沼の水位が高くなると水が海に流れ出す珍しい沼です。
馬主来(バシクル)はアイヌ語でカラスを意味し、この地名に関わるアイヌ伝説があります。
昔、小舟で西の方から来た青年が、霧の海に巻かれましたが、カラスの鳴き声に導かれて陸影を見つけ「パ(見つける)・シリ(陸地)・クル(影)」と叫んだそうです。
そして列車は白糠駅に停まりました。
私は地図を確認しながら記事を書きますが、ちょっと面白いことに気付きました。
白糠駅の住所は白糠郡白糠町東1条南1丁目ですが、今まで列車が走り来た音別の住所は釧路市音別町なのです。
つまり、釧路市音別町は白糠町を間に挟んだ、釧路市の飛び地だったのです。
列車が白糠駅を出発し、海岸線に出た辺りの地図で、石炭岬と記された場所に気付きました。
そして近くに「北海道石炭採掘創始の碑」があります。
気になってググってみると「5万分の1地質図幅説明書 白糠」というページがヒットしました。
そこに、
「白糠町石炭岬附近において安政 4年、徳川幕府は函館奉行の白糠出所をおき,同所附近の石炭を採掘したことがあり,これが釧路炭田開発の発端となっている。」と記されていました。
列車は国道38号線と並走しながら、東へ向かいました。
この光景を何と言えばいいのでしょうか?
国道脇の便利そうな土地がただの草地なのです。
普通なら田んぼや畑、あるいは果樹園などがあっても良さそうなのに、何もないのです。
もしかするとJRの所有地かもしれませんが、JRと国道に接する場所が草茫々です。
そんな景色を眺めていると、列車は西庶路駅に停車しました。
西庶路駅は庶路の西に位置するの意で、庶路は、アイヌ語の「ソオロ(滝・のところ)」が語源と考えられます。
庶路駅は1901(明治34)年の開業で、西庶路駅は1941(昭和16)年の開業ですが、庶路駅よりも西庶路駅周辺に住宅が多いそうです。
白糠町は2018(平成30)年に小中学校を統合し、西庶路駅から1.1㎞程の津波の被害を受けにくい場所に、全生徒数150人程の白糠町立庶路学園を設けました。
そして列車は、阿寒富士に源を発し、シシャモが遡上する川として知られる庶路川を渡って庶路駅に停車しました。
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