Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

チンゲンサイは100万円!

2020-07-31 |  その他
先日よそへ伺うと、「最近はもう、下の方にある物をわざわざ取り出して着るような気力ないよ」なんて聞かされて、確かに5段に積んだドレスシャツのケースの下段から取り出してアイロンかけたりする気が起きなくて、何となく上の方にあるシャツを繰り返し着てることに思い当たりました。

自粛生活以降、出勤するにしてもあまり堅いカッコは何だかそぐわないような気がして、今までよりスポーティーな感じが増えました。
それでもジャケットを着て、ネクタイしてる日もあるので、気分的な問題かもしれません。

シャツもその時々できちんとアイロンをかける日もあるし、素材と着方によってはもう少しラフに見えるよう少し抜く場合があります。



20代の頃はシャツをクリーニングに出したり、自分でやったりを繰り返しました。
出勤の日はほとんど真っ直ぐ帰らなかったので、出した方が楽でしたが、その頃はまだたいしたシャツを着ていた訳でもなかったのに仕上がりに満足できなかったからです。
その後イギリスの色々な既製シャツを集めた時期があって、それを自分には着やすいパターンのイタリア製に全て切り替えてからずっと自分でアイロンをかけています。

独身の頃、終電で帰って風呂に入りいつのまにか眠てしまい、溺れかけたことがたまにありました。
こんなことを書いていられるのは、幸いなことにドザエモンというクラシックな名前をもらわなかったからですね。

で、そんなに飲んだ日でも夜中にアイロンかけ始めて、一枚かけ終わると、翌朝には違うものを合わせたくなるんじゃないかという思いが頭をもたげ、追加することがありました。
そんな調子ですから、休日の朝シルバーのペイズリーがしばらく視界を動き回るという時期が続きます。

その後、ボー・ブランメルという人が外出前に入念すぎるほど身嗜みを整える様が「狂気と紙一重」と評されたのを知って、寝不足の眼をこすりながら、レベルは違うけど生活習慣を改めようと思ったのでした。



上のシャツは、襟、カフ、前立て、の肌に触れない外側のみ薄くスプレーのりを使い、他は霧吹きを使ってスチームは使わなかった状態。
(もちろん全て霧吹きの水だけでもOKです)
ご存知のように、霧吹きで湿気を与え生地が伸びてから水分を熱でとばすのと、スチームを出しながらかけるのは似ているようでまったく別です。
スチームを使うと生地に蒸気が残るので、画像ほど伸ばしたくないという時には有効でしょう。

ここまで書いて来ましたが、最初に書いたタイトルと話がまったくリンクせず苦しんでおりました。
と思ったら、7月の日照時間が記録的に少ないことがニュースになっています。
青果も値上がりして、チンゲンサイは300万円くらいになってるかもしれません。
そのくらい雨が多かったですが、ようやく出口が見えてきました。

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The tracks of her tears.

2020-07-17 |  その他
疲れ果てて泣いたまま仮眠をとる看護師さんの映像が配信され、医療崩壊と言われた頃、イタリアは再生までどれだけかかるだろうと思われた方も多いと思います。

ところが、最近イタリアから送られてくる画像はみんなで思いっきり肩を寄せ合って会食するなど、超ミツです。
次を心配しながら、「何だかよく分からないけど、さすがの回復力」と感嘆しきり。

特に事態が深刻だったと言われるミラノの映像を見ると、どうしても昔のことを思い出します。

ある年、ブレラ絵画館方面へ向かっていた時のこと、交差点向こうの建物の2階に「A.Caraceni」とあるのが見えました。
まだパリのChristianiも存在してた頃でそんなに有り難いとも思わず、横断するとその1階にも服店があって、ウィンドウには良さそうな品が並んでいました。

とりあえず見せてもらうものを決めて店内に入ると、靴はエドワード・グリーンとジョン・ロブ、シャツはチチェリの既製、無造作に立て掛けたカルロ・リーバの生地がありました。
お会計を終えて、「上にあるのは仕立屋のA.カラチェニですね?」
と尋ねると、「そう、同じ会社なんだ。興味あるなら、社長を呼んであげるよ」
と紹介されたのが、カルロ・アンドレアッキオ氏でした。

まだベルルスコーニがブンガブンガなど話題を振りまく前でしたが、さすがに日頃そういう人を相手にしているせいか、アンドレアッキオ氏の物腰は年季を感じさせます。
フランス・フランもそうだったと思いますが、リラからユーロに切り替わる前の数年間、レートはすごい事になっていて、提示された3ピース・スーツの価格は日本円にすると現在の約3分の1でした。

そして、初めての方なら仮縫いを4回はお願いしたい、と言います。
「次はいつ来られます?」
と尋ねられましたが、その時つぎの年のことはまだ考えていませんでした。
色々喋ったり見せてもらったりして別れ際、
「ミラノに来たら必ず寄って」と言われ、結局毎年寄って4年後くらいに、「あの時作っていたら、もう出来上がったのに」なんてイジられたり、気さくで楽しい人たちでした。
何人もいるのに、着こなしが並以上の人が2~3人しかいないのも奥床しい。



ミラノの中心地サン・バビラから地下鉄なら一駅目、ベネツィア通りとパレストロ通りがぶつかる角にあったジャンニ・カンパーニャの店。
パラッツォ・カンパーニャと呼ばれたその贅沢な店内から、ベネツィア通りに向かって撮った写真が出て来ました。
その金満ぶりは地方の仕立屋にも伝わっていたのか、名前を聞いただけで眉をひそめる人もいたくらいです。

ある頃からアラブやロシアの富裕層がイタリアの仕立屋を自家用機で送り迎えして、まとまった注文をしているという話は聞いていましたが、ある年訪ねると、「さっきロシアから戻って、もう空港に着いたと連絡あったから、もう少し待って」ということもありました。
しかし一年毎に人がかなり入れ替わったり、従業員にとってはあまり良い職場環境ではなかったのかもしれません。

これはまたまた別の話ですが、その昔グッチ一族内で利権争いから映画顔負けの暗殺事件の現場となったのが、このウィンドウを左手に折れたパレストロ通りだったと思います。
結局自分たちはそのブランド名を名乗れない、という皮肉な結果をまねく凄惨な事件を聞いていたせいか、その通りをぬける時は何か臭うような気がしました。

と思ったらそれは犬ので、気をつけてないとすぐ踏んでしまうくらい、条例が出る前はけっこうヒドかったのでした。

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The O'Jays * Back Stabbers

2020-07-15 | Soul
今こうして読んで頂いていても、本当はそれどころじゃないんだけど、という方もいらっしゃるかも知れません。
鎌倉駅をおりて少し行くと、「◯月◯日をもって閉店致しました」というような貼紙が目立つようになってきました。
他人事でなく、本当にたいへんだろうと思います。

でも、せっかく寄って読んでくださるのに、一瞬でもそんなことを忘れられるような話はないかな...

仕事中に後ろで流れている音楽は、例えば昨年へんなことで話題になったプラシド・ドミンゴが、イツァーク・パールマンと「エストレリータ」など子供の頃聴いたことのあるような曲を演ったのもあるし、知らなければ一生聴く可能性がなかったような南米の音楽もあります。

昨年から作業の時よく流しているC.C.Rのベスト盤がありますが、細かいことを考えていると、そうした荒削りな音を欲するのかなと思いました。

前にも取り上げましたが、最近も聴けば聴くほど凄いなと思うのが、下のオージェイズです。
1972年、フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオ録音で、曲によりロニー・ベイカー、トム・ベル、ノーマン・ハリス、ボビー・マーティン、レナード・パクラがアレンジを担当しています。

ヒットしたタイトル曲もかすんでしまうほど、全体のレベルが尋常ではない出来です。
この時期の出来の良いものに関して、人権問題が改善されそうな時代の気運が後押ししたという表現がよくありました。
ストリングス、ホーン、リズムセクションそして歌が一体となり、所々神がかっていることを思えば、あながち違うとも言い切れません。
出来上がった音は隙なく洗練されているのに、部分部分は非常に職人的です。
そこへ歌がのって、リードがスイッチする瞬間などはかなりスリリングな瞬間が味わえます。
一つ問題なのは、暑さを助長する可能性大なことです。くれぐれもご注意願います。



タイトル曲が懐かしくて踊るために買った方も、検索して試聴してみようという方も、6曲目からラストまでの怒涛のような展開にぜひ耳を傾けて頂くと、洗濯機の中の洗濯物になったように、あるいは瞑想で呼吸だけに没入する人のように、一瞬現実を忘れるかもしれません。

リズム・セクションのアール・ヤング、ロニー・ベイカー、ノーマン・ハリス等は3年後にトランプスとして、"The Legendary Zing Album"という、これも楽しいアルバムを作りました。
「私、脱いでもスゴイんです!」というのが昔ありましたが、歌わせてもナカナカなことを証明します。



いずれも聴き飽きないばかりか、着るたびに愛着の増す服のような、ドンドンヨクナルホッケノタイコ的な音楽です。
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◯◯の男

2020-07-08 | 映画
おうち時間に、お洒落と関係なくても何かスカッと楽しいものはないかな、と観たものの一つが「リオの男」。
フィリップ・ド・ブロカ監督、1964年の作品で、特に名作でもないし...と書いて...、ケースをひっくり返して見ると、

『公開当時、歴代フランス映画の興行記録を更新する空前のヒットを記録後、世界中で大好評を博し、日本が誇るアニメ・シリーズ「ルパン三世」や、スピルバーグ監督作「レイダース/失われたアーク」等の元ネタとも言われており、多くのクリエイターに多大なる影響を与えた歴史的名作』

とあっては、ハハーッと平伏するしかありません。

主人公は車を奪われたり彼女を拐われたりすると、とにかく走って泳いで自分の脚で追いつこうとします。
後の影響の件は分かりませんが、バスター・キートンとかサイレントの冒険活劇を連想しました。
確かに50年以上前の公開当時だったら、かなりスピード感があったかも知れません。



フランソワーズ・ドルレアックはこの作品と前後して、F.トリュフォー監督「柔らかい肌」にも出演しました。
そして、'67年の「10億ドルの頭脳」を撮った後の6月のある日、自らの運転によって空港へ向かい事故で帰らぬ人となります。
遺作となった映画の中で、殺されかけたり出し抜かれたりしたマイケル・ケインも、きっととても悲しんだに違いありません。

姉の死にショックを受けてから何年も経過し、ようやく語れるようになった妹のカトリーヌ・ドヌーブのインタビューによれば、姉の子供っぽい面が捉えられているのは「リオの男」、一番素の本人に近いのは「柔らかい肌」だそうです。

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老舗

2020-07-05 |  その他
梅雨の晴れ間、30℃を超えてやはり蒸し暑い日でしたが、用事をまとめて片付けようと久しぶりに都内へ出かけました。

歴史があったり、看板があったりという所で仕事をしていたので、いくら個人で三十数年のキャリアと言ったところで、老舗の暖簾の前ではものの数ではないことを痛感する日々ですが、その日はそんなところへ。



まず、傘の修理で日本橋へ。
ハンドルの材、生地、長さを選んで注文したもので、使っているうちに愛着がわいて、10年ほどの間で2度目の修理です。
そこの既製の傘も使っていますが、それでいいから売ってくれと言われ、お二人に譲ったことがあります。
残念ながら今はありませんが、以前はChurch'sの靴やLock&Coの帽子も扱っていました。
今も扱いのある傘の修理代金は、けっこうな大手術に見える修理内容でも数千円と、取り継ぐ手間も出ないような値で、池波さんの言う「持続の美徳」を感じます。



次は銀座へ。

時節がら、事前に連絡したり新しい生活様式に相応の気を使いながら、老舗と言われるところのオーダーはどんなだろうと、シャツを注文しに行きました。
他の人にメジャーを当ててもらうのはイタリア以来...じゃないかも知れませんが、「力抜いて楽にして下さい」なんて言われながら、その日はお客さんになりきります。

これまでたびたび書いて来たような服の着方は、私が発明したわけでなく、これまで会ってきた着こなしの良い方々のエッセンス、そのまた抽出物です。

ですから他所へ行ってみて初めて感じることですが、私のリクエストは日本での一般的な注文とかなり違うそうです。
一応、要所要所説明を加えて、理解してもらえたのではないかと思います。
5週間後、質の高い仕事に出会えますでしょうか。



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6/2(火)

2020-07-02 |  その他
6月2日火曜日はブラックアウト・チューズデイで、海外の人があげる画像は黒一色でした。

ジョージ・フロイドさんの死をきっかけに、アメリカの音楽業界では「仕事から離れ、コミュニティと再びつながる日」を設けようとの声が上がり、今回の事件まで繋がってきた歴史的背景にもう目をつぶらないという意思表示が、あちらこちらで静かな抗議になりました。
あまり語らなかった前国防長官のJ.マティスさえ、「国民を一つにできないばかりか、分断している」とトランプを非難しています。

相手の警官が事件後すぐ解雇されて逮捕起訴されたとか、日本とはだいぶ違うので理解し難い部分があります。
そして「時期は重なっていないかも知れないが、フロイドさんとその警官が同じ会社の警備員をしていた」という情報の一節を聞いて、33歳で亡くなったサム・クックのことを思い出しました。



サム・クックが亡くなった'64年という年は公民権法が制定され、法律上は差別がなくなりましたが、衝突はさらに激化しキング牧師が暗殺されたのは4年後のことです。
またケネディ暗殺は前年の'63年と、物事の解決に暴力が横行していた時代でした。

サム・クックの死は時間が経って真相はもう闇の中ですが、殺害に関わったのは非番の日に警備員をしていたような警官だったという有力な説があります。
直接の殺害の理由も、差別とかでなく金銭絡みなど卑近なものらしいですが、命が軽んじられていたという意味で、ある程度の知名度があった歌手でさえその埒外ではありませんでした。

しばらく前から、サムが立ち上げたSarレーベルの録音を集めたものをよく聴きます。
ソウル・スターラーズなどゴスペルが大半で、若いジョニー・テイラーなどいずれも和むものが多く、本人が歌っていなくてもサム・クックワールド全開です。
生きていたら、その後ももっと多くの歌手に影響を与えるような素晴らしい歌を残したことでしょう。





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