ようやく作業が落ち着き、久しぶりに"Classic shoes for men"を真似て遊んでみました。
最近はわかりませんが、以前は珍しいヴィンテージ靴を色々見ることが出来ました(利用したことはありません)。
そこで例えばFootjoy, Nettleton, Stetson, Edwin Clapp等のメーカー名をクリックされると、画像のような品も出て来ると思いますが、他の製品でも素晴らしいバランスの靴に遭遇するかもしれません。
言うまでもなく靴と服は不可分ですから、ちょっと時代がかったものには注意が必要ですが、何十年も変わらない普遍的なスタイルの靴はタイムレスな服を考える上でとても有効です。
* * *
1930年代の初めにはすでに大恐慌が始まり、景気は衰退し始めていました。
辛い現実を忘れようと、ますます多くのアメリカ人が映画館に通うようになりました。
男も女もこぞって、フレッド・アステアやクラーク・ゲーブル、ケーリー・グラント、アドルフ・マンジュー、ゲーリー・クーパー、フェアバンクス父子といったスターたちが最新のファッションに身を飾って、大きなスクリーンに登場するのを見ようと映画館に殺到しました。
またこれらのスターたちの写真はプリンス・オブ・ウェールズ、ケント公、作家のルシアス・ビーブ、社交界の名士アンソニー・ドゥレクセル・ビドルJrといったスタイルのリーダーたちの写真とあいまって新聞や雑誌を華々しく飾りました。
ついにアメリカの家庭にも正しい装いの仕方を教えてくれるファッションの「先生」たちが現れたのです。
このように、男たちの服装に対する興味は高まっていました。
彼らは粋に、エレガントに装う方法を、自分を最高に見せる方法を知りたがっていたのです。
この新しいファッションの気運を察知して1921年に『ジェントルメンズ・クォータリー』の前身である『アパレル・アーツ』が発刊されました。
『アパレル・アーツ』は多くの男性洋服店に置かれ、店用のカタログとして活躍しました。
そして大恐慌の真っ只中である1933年の秋、もう一つの男性ファッション雑誌『エスクァイア』がニューススタンドに現れました。
この雑誌の成功は、国の困窮状態にもかかわらず、多くの人々は恐慌に左右されない少数の裕福な人の着るものや、暮らしぶりにとても興味をもっているものだということを証明しました。
皮肉なことですが「エスクァイア・20世紀の男性ファッション百科事典』の言葉を借りれば、「大恐慌はファッションを、まだおしゃれをするだけの余裕がある人々の手に戻した」ということになります。
「スタイルは絶対的にイギリスが主流であった。なぜなら30年代の余裕あるアメリカ人とは、20年代にサビル・ローで買い物したアメリカ人と同じだったからである」
これらすべての要素が30年代に結集しました。
この時までにはアメリカの男たちはプリンス・オブ・ウェールズを通して、映画を通して、そして自分自身のヨーロッパへの旅行を通して、アメリカンスタイルとでも呼ぶべき一つの普遍的なスタイルを作り上げていました。
イブ・サンローランの最近の言葉を引用しましょう。
「1930年から36年にかけて創造された何種類かの基本的な服装の型は、すべての男性が自分自身の個性とスタイルを打ち出す上で、表現の尺度として今日でも十分通用するものである」
これらの原則、型とはいったい何でしょうか?
まず第一にアメリカ人にとって洋服とは、体を隠すものではなく、どちらかというと体に合わせて、結果的には男らしさを強調するものだということです。
同時に洋服は目立ちすぎてはいけません。着ている人の体の一部となるようでなくてはなりません。
洋服とは人を区別するものではなく(何世紀もの間、王や貴族たちはそのことを第一の目的として装ってきました)独立した個人の集団のなかでその人をその人たらしめるものなのです。
長い間続いたかさ張る、重苦しい衣服の下に体を隠した時代、そしてこれに続く、体の線をおおげさに強調するスーツなどの実験的な時代を経て、アメリカ人はついに洋服は自分を目立たせるためのものではなく、自分の良さを表現するためのものだということを学んだのです。
また別の尺度もあります。
洋服は着心地良くなくてはいけないということです。実際に着古しである必要はありませんが、それと同じように体に馴染むものであって欲しいということです。
洋服が体の一部となれば理想的でした。
つまり30年代のアメリカ人にとって洋服とは、体に従うべきもので、決してその反対であるべきではなかったのです。
フレッド・アステアはスーツが体にきちんと合っているかどうか確かめるために、いつも新しいスーツを着て2,3度店のまわりを歩いてみることにしていました。
彼は実際に歩いてみることでそのスーツに十分余裕があり、本当に着心地が良いかどうか確かめてみたのです。
この時代は注文服のテーラーと知識の豊富な客の協力によって、まったく新しい男性服の形式が作り出された時代です。この時代に蓄えられた男性服の型と全体のバランスの知識はラペルや、襟、ズボンの丈および幅、靴のスタイルにはっきり表れていますが、これらの知識は現在でも正しい装いの原則として十分通用します。
それに加えて、この時代には礼儀作法に関してはっきりとしたルールがありました。人々はある特定の機会にはそれにふさわしい特定の服装をするのが一般的でした。
その結果、30年代にはスポーツウェア産業が急成長するという現象がおこりました。カジュアルな機会にビジネススーツを着るのは適切でないと人々はみなしたのです。
『アパレル・アーツ』が30年代を評していった言葉があります。「30年代とは一般男性の財布は軽かったが、余暇の時間はたっぷりあった時代である」この余暇の時間を男たちはスポーツウェアを着て過ごしました。
スポーツウェアとはスポーツジャケット、帽子、ネクタイ、シャツそれにスラックスでした。
(中略)
こうして30年代の半ばには、アメリカ男性はまさに歩くエレガンスといってもよいほどになりました。彼らは仕立ての良い服を身につけ、礼儀作法を重んじたばかりではなく、自分自身の個性をつけ加える想像力ももっていました。これでなぜ1930年代が、アメリカの男性ファッションにおける頂点といわれているのかおわかりでしょう。
30年代は流行よりも、自分の体に一番よく似合い、一番着心地が良いという基準で人々が服を選んだ時代でした。
つまり、装いのバランスがとれていた時代、それ故エレガンスがその極致に達した時代といわれているのです。
「アラン・フラッサーの正統服装論」(訳者:水野ひな子)より
* * *
普遍的なスタイルについて調べていると、「大恐慌」は避けて通れない時代です。
私たちが生きている間にそれに匹敵する事態が出来しようとは思いもしませんでしたが、A.フラッサーの2冊目の著書にあるこのくだりを'80年代に読んでから、ずっと気になっていた箇所です。
RKOのF.アステアやパラマウントのG.クーパーの映画を観ているとそんなことを微塵も感じさせないのは、上に書かれているように、それが現実を忘れさせてくれる装置だったからでしょう。
「粋に、エレガントに装う方法を、自分を最高に見せる方法を知りたが」るような方はコロナ禍でますます希少になり、本文からお分かりのとおりスポーツウェアの概念も今日のそれとは大きくかけ離れています。
コロナ以前から、「さっきまで、それ着て寝てたんじゃないの?」と思うようなカッコがカジュアルという時代ですから難しいとは思いますが、普段からキチンとされていた方はワードローブをぜひフル活用され、今まで思いつかなかったような新しいコーディネートを工夫し続けていただきたいと思います。
もちろん今までと違うかどうか他人には分かりませんが、百人に一人くらいその気概に反応して「おっ、いいね!」という目をする人がいるはずです。
そんな方を見かけたら、もちろん心の中でジャンジャン「いいね」したいと思います。
最近はわかりませんが、以前は珍しいヴィンテージ靴を色々見ることが出来ました(利用したことはありません)。
そこで例えばFootjoy, Nettleton, Stetson, Edwin Clapp等のメーカー名をクリックされると、画像のような品も出て来ると思いますが、他の製品でも素晴らしいバランスの靴に遭遇するかもしれません。
言うまでもなく靴と服は不可分ですから、ちょっと時代がかったものには注意が必要ですが、何十年も変わらない普遍的なスタイルの靴はタイムレスな服を考える上でとても有効です。
* * *
1930年代の初めにはすでに大恐慌が始まり、景気は衰退し始めていました。
辛い現実を忘れようと、ますます多くのアメリカ人が映画館に通うようになりました。
男も女もこぞって、フレッド・アステアやクラーク・ゲーブル、ケーリー・グラント、アドルフ・マンジュー、ゲーリー・クーパー、フェアバンクス父子といったスターたちが最新のファッションに身を飾って、大きなスクリーンに登場するのを見ようと映画館に殺到しました。
またこれらのスターたちの写真はプリンス・オブ・ウェールズ、ケント公、作家のルシアス・ビーブ、社交界の名士アンソニー・ドゥレクセル・ビドルJrといったスタイルのリーダーたちの写真とあいまって新聞や雑誌を華々しく飾りました。
ついにアメリカの家庭にも正しい装いの仕方を教えてくれるファッションの「先生」たちが現れたのです。
このように、男たちの服装に対する興味は高まっていました。
彼らは粋に、エレガントに装う方法を、自分を最高に見せる方法を知りたがっていたのです。
この新しいファッションの気運を察知して1921年に『ジェントルメンズ・クォータリー』の前身である『アパレル・アーツ』が発刊されました。
『アパレル・アーツ』は多くの男性洋服店に置かれ、店用のカタログとして活躍しました。
そして大恐慌の真っ只中である1933年の秋、もう一つの男性ファッション雑誌『エスクァイア』がニューススタンドに現れました。
この雑誌の成功は、国の困窮状態にもかかわらず、多くの人々は恐慌に左右されない少数の裕福な人の着るものや、暮らしぶりにとても興味をもっているものだということを証明しました。
皮肉なことですが「エスクァイア・20世紀の男性ファッション百科事典』の言葉を借りれば、「大恐慌はファッションを、まだおしゃれをするだけの余裕がある人々の手に戻した」ということになります。
「スタイルは絶対的にイギリスが主流であった。なぜなら30年代の余裕あるアメリカ人とは、20年代にサビル・ローで買い物したアメリカ人と同じだったからである」
これらすべての要素が30年代に結集しました。
この時までにはアメリカの男たちはプリンス・オブ・ウェールズを通して、映画を通して、そして自分自身のヨーロッパへの旅行を通して、アメリカンスタイルとでも呼ぶべき一つの普遍的なスタイルを作り上げていました。
イブ・サンローランの最近の言葉を引用しましょう。
「1930年から36年にかけて創造された何種類かの基本的な服装の型は、すべての男性が自分自身の個性とスタイルを打ち出す上で、表現の尺度として今日でも十分通用するものである」
これらの原則、型とはいったい何でしょうか?
まず第一にアメリカ人にとって洋服とは、体を隠すものではなく、どちらかというと体に合わせて、結果的には男らしさを強調するものだということです。
同時に洋服は目立ちすぎてはいけません。着ている人の体の一部となるようでなくてはなりません。
洋服とは人を区別するものではなく(何世紀もの間、王や貴族たちはそのことを第一の目的として装ってきました)独立した個人の集団のなかでその人をその人たらしめるものなのです。
長い間続いたかさ張る、重苦しい衣服の下に体を隠した時代、そしてこれに続く、体の線をおおげさに強調するスーツなどの実験的な時代を経て、アメリカ人はついに洋服は自分を目立たせるためのものではなく、自分の良さを表現するためのものだということを学んだのです。
また別の尺度もあります。
洋服は着心地良くなくてはいけないということです。実際に着古しである必要はありませんが、それと同じように体に馴染むものであって欲しいということです。
洋服が体の一部となれば理想的でした。
つまり30年代のアメリカ人にとって洋服とは、体に従うべきもので、決してその反対であるべきではなかったのです。
フレッド・アステアはスーツが体にきちんと合っているかどうか確かめるために、いつも新しいスーツを着て2,3度店のまわりを歩いてみることにしていました。
彼は実際に歩いてみることでそのスーツに十分余裕があり、本当に着心地が良いかどうか確かめてみたのです。
この時代は注文服のテーラーと知識の豊富な客の協力によって、まったく新しい男性服の形式が作り出された時代です。この時代に蓄えられた男性服の型と全体のバランスの知識はラペルや、襟、ズボンの丈および幅、靴のスタイルにはっきり表れていますが、これらの知識は現在でも正しい装いの原則として十分通用します。
それに加えて、この時代には礼儀作法に関してはっきりとしたルールがありました。人々はある特定の機会にはそれにふさわしい特定の服装をするのが一般的でした。
その結果、30年代にはスポーツウェア産業が急成長するという現象がおこりました。カジュアルな機会にビジネススーツを着るのは適切でないと人々はみなしたのです。
『アパレル・アーツ』が30年代を評していった言葉があります。「30年代とは一般男性の財布は軽かったが、余暇の時間はたっぷりあった時代である」この余暇の時間を男たちはスポーツウェアを着て過ごしました。
スポーツウェアとはスポーツジャケット、帽子、ネクタイ、シャツそれにスラックスでした。
(中略)
こうして30年代の半ばには、アメリカ男性はまさに歩くエレガンスといってもよいほどになりました。彼らは仕立ての良い服を身につけ、礼儀作法を重んじたばかりではなく、自分自身の個性をつけ加える想像力ももっていました。これでなぜ1930年代が、アメリカの男性ファッションにおける頂点といわれているのかおわかりでしょう。
30年代は流行よりも、自分の体に一番よく似合い、一番着心地が良いという基準で人々が服を選んだ時代でした。
つまり、装いのバランスがとれていた時代、それ故エレガンスがその極致に達した時代といわれているのです。
「アラン・フラッサーの正統服装論」(訳者:水野ひな子)より
* * *
普遍的なスタイルについて調べていると、「大恐慌」は避けて通れない時代です。
私たちが生きている間にそれに匹敵する事態が出来しようとは思いもしませんでしたが、A.フラッサーの2冊目の著書にあるこのくだりを'80年代に読んでから、ずっと気になっていた箇所です。
RKOのF.アステアやパラマウントのG.クーパーの映画を観ているとそんなことを微塵も感じさせないのは、上に書かれているように、それが現実を忘れさせてくれる装置だったからでしょう。
「粋に、エレガントに装う方法を、自分を最高に見せる方法を知りたが」るような方はコロナ禍でますます希少になり、本文からお分かりのとおりスポーツウェアの概念も今日のそれとは大きくかけ離れています。
コロナ以前から、「さっきまで、それ着て寝てたんじゃないの?」と思うようなカッコがカジュアルという時代ですから難しいとは思いますが、普段からキチンとされていた方はワードローブをぜひフル活用され、今まで思いつかなかったような新しいコーディネートを工夫し続けていただきたいと思います。
もちろん今までと違うかどうか他人には分かりませんが、百人に一人くらいその気概に反応して「おっ、いいね!」という目をする人がいるはずです。
そんな方を見かけたら、もちろん心の中でジャンジャン「いいね」したいと思います。