Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

Born in the wrong era.

2019-09-20 |  その他
今日のタイトルは外国の方が使っていた表現で"Born in the wrong era"、つまり違う時代に生まれてきてしまった人、例えば22歳なのに1960年代に憧れてその当時の風俗が好きで好きでしょうがないなんて人達をいうらしいです。
でも、遡りすぎてジュラ紀とか白亜紀が好きとかだと、たぶん別ジャンルで「考古学」とかそっちの方でしょう。

私も古いものの画像をよく使うので、たまにそっちの方かと思われることがあります。
以前も書きましたが、現代に生きているメリットは過去まで俯瞰できることですね。
大雑把には1930年代に現在の男性のスタイルが出来上がったというのは、ちょっと興味がある方なら誰でも知ってる事ですが、何でもかんでも良い訳ではなく、例えば'30年代のイラストレーターが描いた男も色々でそのままでは参考にならないのもたくさんあります。



まだ男の着るものがオーソドックスで、今日いう「クラシック」なんて概念の生まれてない時代(いうまでもなく当時の人には「今」だった)、オーダーでないというだけで手縫いの箇所もやたら多い既製服が、アメリカではそのずっと前から作られていたそうです。
戦後さらに拡大しファッションとして消費される対象になると、様々なスタイルが作られては消えを繰り返して来ましたが、たいていそれに流されて何となく皆似たカッコに収束して行きます。

そんな中、A.フラッサーの言葉を借りれば「1930年代に続く時代にもその当時の流行に流されず、自信をもってエレガントな装いをし続けてきた人たちは、少数ながらいました。彼らの例は特筆に値します。1930年代にはその他の時代に例を見ないスタイルとエレガンスが確立されました。そしてそのスタンダードは現在でも、われわれの努力を測る尺度として立派に通用するのです」

ということで、エッセンスをいただいたり折にふれ一つの尺度として活用させてもらっていますが、そのままなぞろうとは思いません。


「このL.フェロウズの画はフラッサーの言葉を裏書きするような一枚で、映画(例えば E.ルビッチの『人生の設計』1933年)などでも真似の出来ない雰囲気を捉えています」

ここ10年くらい、仕立屋さんを詳細に取材した洋書がいくつか出ました。
そこに写る顧客の姿をよく見ると、何十年も経っているのに思わず「いいね」と思うのと、その時の流行りを取り入れて時間に洗われた今は古く見えるのとあります。
もちろんその人物を知りませんが、何となく着る人に合っているように見えるのは、それはサイズだったりバランスの積み重ねなのかも知れません。
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とれたボタン

2019-09-16 |  その他
30年前買った半袖シャツのボタンが、この夏初めてとれました。
以前は夏でもほとんど半袖を着なかったので、着はじめたのは20年くらい前からです。
それでも一夏に何度も洗濯を繰り返すので、さすがに糸が傷んで当たり前で何の不思議もありませんが、本体に劣化を感じないのがかえって不思議なくらいです。



勤めていた会社のその部門は、大量の製品を作っていた時代も、丈夫で良心的と言われていたことを思い出しました。
もちろん何もせずそうなっていた訳でなく、今思うと要所要所にしっかりした人がいたのですね。
現場の人も、会社で買って自分で着た人も、何かあればフィードバックして、問題があれば物作りの人も自分の事のように反応して改善を先延ばしにしない、普段はユルく見えてもそんな空気がありました。

知り合いの生産管理の人や、顔しか知らなかった人、レベルを保つ為に頑固だった人、またデザインした製品の行き着く先にまでプライドを持っていた人、そうした人々によって品質が支えられていた事を、30年前のシャツは思い出させてくれました。


(国内縫製、生地はイタリア)
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鉄コン・キンクリート

2019-09-14 |  その他
京都をあちこち歩いていると、多くの木が苔などの地衣類に覆われているのに気づきます。
昔から酒造業や豆腐も有名ですが、それを支える豊かな水脈が地下にあるそうで、それも一因でしょうか。
鎌倉の私がいる辺りも同様に、トンネルを抜けると苔のついた街路樹が増えてきます。
谷戸と呼ばれるところがいくつかあるので、湿気の抜けにくい土地なのかも知れません。



店が入ってる建物は、いわゆる「コンクリート打ちっ放し」と言われる作りです。
一般的な特徴として「冬寒くて夏暑い」と言われますが(そのまんまやないカーイ!と聞こえてきそうですが)、それだけでなく、コンクリートから水分が抜けるのに最低3年くらいかかる為、それまでは湿度とのたたかいでもあると言います。
今年は梅雨が明けてからもずっと蒸し暑かったので、どちらによる湿気なのか、まったく分かりませんでした。

でも、そんな事を考えていたら仕事と共通する部分に思い当たりました。
例えばこれからの季節、ギャバディンはジャケットの下に合わせる素材として最適ですが、一般的な流行りの細いシルエットで作ってしまうと、せっかくの生地の動き(揺れ)が死んでしまって、その良さの半分も生かされません。
麻も同様で、細く作ってしまったら、ただシワっぽくなるばかりなのはご想像の通りです。
受け身な商売ではありますが、こうした方がより良いという場合があります。

建物は注文主の要望や受ける側の得手、また価格も桁違いですから、服ほど単純な話ではないでしょうが、私がもし建てる側だったら、駅からの道の変化を見たり周辺の家々の塀にむす苔を見て、湿気の多いところに湿気が抜けにくい工法は勧めない気がします。

さきほど書いたのでついでに、ギャバディンは春秋にとても快適ですし、そのあとならウィップコード、キャバリーツイルなどカバート系の生地は、各々の季節のジャケットとボリュームが合いますし、細すぎなければ少しハードに使ってもフランネルよりひざが出にくい等、一度はくと手放せなくなるくらい快適な素材です。


ツィード・ジャケットにも好相性の、しっかりしたCavalry Twill.
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twenty flight rock

2019-09-04 |  その他
9月3日の夜はスマホの警報がけたたましく鳴って驚かされました。
テレビで見たような水害が、遠いところのものでないことを思い知らされます。

ある日、私の所より鎌倉の海に近い方にお住まいの方がみえた時のこと、開口一番「ここだったら、大丈夫そうですね!」と仰いました。
言うまでもなく、いつ来るかと言われている震災のことです。

鎌倉駅西口を出て、真正面「KINOKUNIYA」の交差点の所が海抜7.3m、直進した先のトンネルを抜けると「雪」...じゃなくて海抜14.6m、表示がそれぞれ歩道上にあります。
その先を山側に折れた私の所は、海抜20m近くでしょうか。

そう申し上げると、「うちの方より安心ですね」と仰います。
やはり人によっては、常に頭の片隅にあるのでしょう。
私も勤めの頃は 都内から家まで大きな川を越えて帰る必要があり、台風でもたまに電車は徐行するくらい増水しましたから、歩いて帰るのは状況により厳しかったと思いますが、ヘロヘロになりながらも鎌倉なら何とかなりそうです。



今回のタイトルは夭折したエディ・コクラン(1938〜60)の可愛らしい歌からです。
高層階に住む彼女ができたんだけど、エレベーターが故障したままで通うのがもうたいへん
20階に着いた頃には足がガクガクで何も出来ない
という内容の、階数に合わせた数え歌のような歌詞です。

もちろん本人のが一番で、二番はブライアン・セッツァー、変わったところではたぶんライブでしか演ってないと思いますが、エミルー・ハリスがメドレーで取り上げています。


20Fより高いでしょうか。 名取洋之助 1937年 シカゴ
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8月のランチ

2019-09-03 |  その他
暑い8月も終わりました。
今年は梅雨があけてもずっと湿度につきまとわれているようで、気候変動で今後毎年のようにこの暑さが常態化したら、なんて考えるとたまりません。

そんな暑い盛り、既製服メーカーをやっていらっしゃる方が見えてお話を伺うと、展示会に向けての準備に追われて、ようやく一段落ついたところだそうです。
「あぁ、そんなのもあった」なんて思うのも、体内時計が意外に早くリセットされているからか。

その前後の辺り、陽射しのきつい昼にピッツェリアに行きました。
私のところから徒歩圏内に、知ってるだけでも4軒あります。
少し昼を外れていたので席は空いていて、しばらくすると70近くに見えるご夫婦が隣のテーブルにつきました。
私のに少し遅れて、お二人の注文「水牛のモッツァレラのマルゲリータ」が出てくると、
「あれ、これが水牛のヤツ?」
「前は、肉がのってたんじゃない?」
何やら囁いて、店の人に「これが水牛の?」と聞いています。

「はい!」という返事だけだったので展開はありませんでしたが、もしかするとお二人は
水牛=肉
と勘違いされているのかなと思い当たりました。
肉というのはサルシッチャか何か、たのんだ事があるのかも知れません。

もしそうだとしたら相手が恥ずかしい思いをしない言い方はないかな、なんて思いましたが、間もなく静かに分けあって食べ始めたので余計な事を言わずにすみました。



偶然その頃、ジャクソン・ブラウンとザ・セクションが久しぶりに共演という動画をたまたま見つけたら、みんながまるで翁のようになっていて、一瞬「玉手箱を開けてしまった浦島太郎」みたいな心持ちで、泣けました。
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