Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

ドイツで頑張るウッチーに因んで.....

2011-05-28 | Soul
 よく、五月が一番紫外線がつよいといわれます。
昨年に続いて、今夏も暑くなるなんていってますが、勝負は家に帰って風呂に入るまでわからないとチョーさんも言うとおり、その時になってみないと分かりません。

頭のサイズが小さいので、好みに合う帽子になかなか巡り合わないという家人が、久々に気に入ったものが見つかったと喜んでいました。
そう聞いて、パナマの滑らかで柔らかく弾力のある手触りが、懐かしい季節となってきたと思っていたら、その前に例年より早く梅雨入りしたそうです。
当分日除けは出番のなさそうな予報が並んでいます。

今回久しぶりに、画像にLPジャケット使ったら、重複してしまったようです。



内田さんという人が一時期、
「あぁたの連れは細い人が多いね」と事ある毎にいうので、
「そんなことないっス、中肉中背っス」
しばらくしてまた目撃されると、
「やっぱり細い人が多いね、女性はもうちょっとフクヨカなほうがいいですよ」とのたまうので、
「そうかも知れないけど、内田さんが見たコは中肉中背っス」
みたいな遣り取りを繰り返したことがありました。

数年して、その内田さんに、「昔、私が女性と一緒のところを見て、女性はもっとふくよかな方がいいってよく言ってたの憶えてます?」と尋ねると、
「えっ、そんなこと言った?ぜんぜん憶えてない。やっぱ、すっきりしてた方がいいでしょ」と高田純次もビックリの182°くらい正反対のご意見です。
昔から好みは変わってません、と言わんばかりの口吻をいぶかしんでいると、実はパートナーがフクヨカからスッキリに変わったらしい、と他所で聞きました。

服の好みでも、大筋は変わらなくとも細部では変化して、昔敬遠していたものを数年後には好んでいたり、良いと思えていたものが、意外にも時間とともに色褪せて見えたりすることがあります。
経験を積んだ方の中には、あまりに頑なに言いきってしまうと、後で自分自身の辻褄が合わなくなっちゃう、という記憶があるかも知れません。



路肩で見つけた野良スズラン 

 
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Colore Skippy

2011-05-25 | Rock
 日々、次から次に忘れていくものがありますが、読んだ事のある話なのにまったく思い出せないと、ちょっと不安になります。
先々月だったか、塩野七生さんの「男たちへ」を何年か振りで読みました。
日本の男性ももっとグリーンを身に着けてはどうか、という話のなかで、「森」じゃないんだからグリーンに茶を合わせたりすると、ファンタジーアのかけらもないという指摘がありました。
一度読んだはずなのに、このくだりをまったく憶えていません。まるで私の事を言われているようで、恥ずかしかったです。



そこまで書いたら心配になってきたので、正確を期するために本をあたると、先の話は「つつましやかな忠告二つ」というタイトルの話です。
その1980年代に書かれた忠告の一つ目というのは、脛をみせないようホーズをはきましょうという話です。ヨーロッパの子供たちが膝上までの半ズボンと膝下までの靴下というカッコなのに対して、日本ではそれぞれ正反対の丈の服で育つことがその一因かとあります。

そして、
『私は別に、洋服と呼ぶからといって、ヨーロッパ・スタイルをすべてまねせよ、と言っているのではない。ただ、基本は、お尻ぎりぎりの短パンや短いソックスにはないと言ってるだけである。そして、やはり基本は、なにか理由があって確立したものだから、それをくつがえすもう一つの基本スタイルでも創造しないかぎり、軍配は、従来のスタイルにあがりつづける、と言いたいだけなのである』
ともすると、妙なスタイルをクラシックと混同しようとする傾向にも当てはまる言葉です。

そして二つ目が、グリーンを勧める話でした。
仕事柄と申しますか、私のまわりにはもちろんそれ以前からグリーンを身に着けた方々がいましたし、以前書いたように、今では死ぬほどグリーンが好きだーっという方もいます。
あいにくここ数年の不景気と売り手側の委縮で、現在、黒っぽいもの一辺倒の観がありますが、塩野さんの提言の故か、グリーンも色だけならこの二十数年の間にすっかり浸透した感がありました。

今回のような色のスーツで、連想したのは、下の画像.....スキッピィのピーナッツ・バターです。森の発想と一緒?粒入りのスーパーチャンクは歯に挟まる?ごもっともです。
今回の合わせは、上の塩野さんのご指摘や、ましてスキッピィのパッケージを真似たわけではありませんが、三回ともブルー系を持って来ました。昔からあるコーディネイトです。

塩野さんの提言からくだること数年、森っぽい色使いもアースカラーという括りで活性化されました。それらはまたに致しましょう。

Comments (2)
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タンやオリーブのギャバディン

2011-05-23 | Rock
「そうですか、あなたのところへ行きましたか」
 と志水さんは言い、
「絵好きの持つ絵ですよ」
 と言った。
 絵好き、いい言葉だ。愛好家という便利な言葉があるが、どうもつまらなく高尚ぶっている感じで、言葉がネクタイを締めているみたい。更にこれを週刊誌なんかが書くように、美術愛好家の層が拡がったというふうに使うと、美術館で買った袋入りのカタログを持って地下鉄に乗っているOLかなんかを思い出してしまう。ついでに言うと、近頃はこの愛好家とか鑑賞層とかがむやみにふえたせいで、展覧会を見にいっても、入場券を買うだけでも並大抵でなく、会場へ入れば絵の前を蟹の横這いみたいに歩かされて、お互いにおちおち絵を見ることもできないという始末である。

あっ、こんばんは。レディー・ガガです。
洲之内徹さんの「絵のなかの散歩」の一節を引用しようと思って、機械的に写し始めたら止まらなくなって、あやうく丸写ししそうになってしまいました。
この話の後には、更にこんな一節があります。
                
 『蒐集家にはおいそれとはなれないから、絵が好きでも金がなければ、美術批評家にでもなるほかないが、これなら、金もなく、更に、絵が好きでなくても、なろうと思えばなれないことはない。一つ二つ外国語を自由に使いこなすことができれば、絵のことはわからなくてもなれるのが美術批評家である。画商に至っては、絵が好きでは画商になれないというくらいだ。』



三月末に白井さんから伺っていたので、翌月信濃屋さんに伺うと、夏にはこういう色を着るような男になりたいなと思わせるような、服好きが喜ぶであろう、きれいなオリーブグリーンのギャバディンのアットリーニがありました。

夏にはタンやオリーブのギャバディンを着るような、“遊び人の金さん”みたいに気持ちにゆとりのある人でありたいと思います。
謹厳なタイプの方には少しイメージが合わないかも知れませんし、グレーやブルーほど出番がそう多くはないかも知れません。そういう意味ではA・フラッサーの「Clothes and the Man」にもあるとおり“夏のスーツのなかでは最も贅沢な一着”かも知れません。

すっかり忘れていましたが、以前たしかE.Woodhouseのギャバディンで、三年塩漬けみたいな色のオリーブ(つまりグレーがかっていた)のヴェステッド・スーツを着ていた事を、帰りに突然思い出しました。今より季節を細分化して着分けていたしウェイトがあったので、それは春秋に着ていたものです。
タンも同系の3色で構成されたのを、夏には気に入ってよく着ました。
ご存知のように、意外と様々なコーディネイトが楽しめるのも、こうした色の魅力です。

  
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爽やかな季節に......

2011-05-20 | Others
 花の頃には桜のトンネルを楽しんだ後、若葉が繁って真下の通りに木漏れ日が斑模様を作っています。これも涼しげで花とはまた違った趣があり、たいへん気持ちの良い光景が楽しめます。



コンスタントに会ってるのに、最近面白いことありました?なんて聞かれて困る今日この頃、面白いことは中々ありません。
先週入った飲食店で、私が言ったんじゃないんですが「うちで食べた方がよっぽどマシだね」なんていう目に合いました。
こういう場合いつもの事ですが、食べながら「これは好みの問題で口に合わないだけなのだろうか」なんて考えます。しかしどう考えてもそういうレベルとは違うんじゃないか、なんて哲学させる味でした。

チャレンジしといて返り討ちに合うというので思い出しましたが、少し前に麻のシャツを買いました。
白でもB竹が透けないくらいしっかりしたウェイトでいいかなと思って、店の人にイタリアの店(そのブランドはイタリアに3店舗ある)で売られているものと同じサイズかどうか尋ねると「はい同じです」との答えに安心して買って帰りました。

帰って広げてみると、一か所糸が切れていましたが目立ち難い部分だったこともあり、面倒なのでミシンでたたいて直しました。
一回着て洗濯すると、もう一か所糸が切れています。ありゃ、と思いましたが、既に着てるし手も加えてあるので、そこもミシンでたたきました。
もし返品するとただのゴミになってしまうので、何とかしたい気持ちがあります。

しかし手を加えて直る部分はまだしも、一番困ったのは実際にはサイズが日本向けにアレンジされ、裄がオリジナルなら88cm以上あるところ87cmあるかないかで、身巾も少し細くなっていることでした。油断してこんなことになるなんてダメだなと苦笑させられます。

食べ物でも、TVで「素材を成仏させる」なんて表現する方がいました。
我が家では年に何度か、冷蔵庫にミイラ化した物を発見します。成仏させるをもじって「素材をお陀仏にする」と言って怖れられています。

折角の生地であっても、おさえるべき所を外してしまうとオダブツになりかねません。
以前書いたように、適切なカフのゆとりと腕の可動範囲を鑑みると、サイズにもよりますが(裄の)実寸より私の場合6cmは必要です。
A・フラッサーも三冊目の著書からようやくこのことに触れ始めたくらいなので、事ある毎に吹聴してもこの着方は意外と周知に到りません。

シャツ姿って意外に見る機会がありませんが、「シャレード」とか「昼下がりの情事」を観るとよく解かっていただけると思います。

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高けりゃ良いってもんでもないです。

2011-05-17 | Blues
 ある年ミラノの中心から少し離れた店で、日本人と話すのは初めてと言われながら一通り商品を見せてもらうと、そこのシャツはB.Dとホリゾンタルだけでした。
理由はよく憶えていませんが、他であまり扱ってないからとか、それがうちのスタイルだからとか言っていたかも知れません。
レジの脇には訪れて来た同業者の名刺が貼られ、特にドイツのものが多かったように思います。



その頃、彼らの着ていたスーツやジャケットのゴージは意外に下がっていて、ホリゾンタルとの相性が今ひとつに見えました。
逆取材を受けて色々感想を聞かれるので、つい思った事を口にしてしまい、下がり気味のゴージとホリゾンタルはバランスとしてどうかと言うと、そんなこと言われたことないと返って来ました。
想定内の言葉で言い争うような話でもありませんので、細かい物を買って帰りました。
数年後、店の前を通り過ぎようとすると、日本の雑誌の取材等ですっかり日本人慣れしたのか、スタッフが片言の日本語で呼びかけてきます。
折角なので久しぶりに一通り見せてもらうと、重衣料ではラ・ヴェラ・サルトリア・ナポレターナとか南のメーカーでゴージ高めの製品など、品揃えは多少変わっていました。

かといって今回の画像のように極端にゴージが高く見えるのは、決して良くありません。
頭の大きさに応じた肩幅の確保による体型補正効果と同じく、仕立て服が普通だった時代には、ゴージの高さも本来着る人の身長により按配されていたそうです。
見上げるほど長身の人がゴージの高い物を着ると、反り返ったように見え、高身長を助長して大巨人になってしまいます。
ですから身長190cmくらいのゲーリー・クーパーのワードローブは、175cmほどのアステアのものより理論上ゴージが下がっていたと思われます。「Dressing the Man」等でご確認いただけるでしょう。

店のオーナーの写真が見つからないので、こんな感じという画像を作ってみましたが、シャツの衿型はもっと水平だったので、極端にいうと衿からゴージが垂直に繋がるイメージでした。



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先月聞いた話

2011-05-14 | Others
 更新が滞っております間に暦の上では立夏を迎えましたが、今週は天候が不順で、ちょっと雨が続くと気分は下の画像みたいになります。





その間に色々面白い話も伺ったのですが、次々と忘れていく中とりあえず思い出した話の一つは.......
こだまでしょうか.....いぇ、あるバイヤーの話だそうです。

海外の展示会へ出張した際たいへん気に入った店があり、勢い込んで上司に売り込み、自分達の店に立派な売場を作ったものの、鳴かず飛ばずで契約期間を残して閉めたそうです。
こうして書いていると、別に目新しくもない話ですが、聴かせてくれた方が上手に面白おかしく言うのには、自分達の会社も間に入った会社も「みんな大損しましたよ」とのこと。
それじゃ三方一両損どころか、逆大岡越前状態でしょうか。

その主人公は、外すことにおいては以前から定評があったそうです。
幸いまったく存じ上げない方ですが、私が知っていた中にはプロパー売上での消化率20%以下という金字塔を打ち立てた輩もいます。

そんな人に限って、間違った事を声を大にして押す傾向がありました。
それをジャッジする機能が働かないと、こぞって逸れた方向へ突き進んでしまいます。会社の規模によっては命取りになりかねません。

件の店は、現地に出来てほどない頃、たまたま見たことがありました。
ピラミッド状に分布するグレードの中で、もっと良い店があるはずですが、残念ながらそこは買いたい物が一つもないような店でした。
日本で展開した時期が、あいにくユーロ高に振れた時期に重なり、内容の乏しい商品に不釣り合いなプライスを付けざるを得ない事情も災いしたかも知れません。何れにしても誰に売りたいのかよく解らない中途半端な商品でした。

同じ仕事でも謙虚な方がある日、「これなんかもっと売れると思ったんだけど、意外に残っちゃって」なんて聴かせてくれたことがありました。でもSALEともなれば一つ残らず売れていたので、その方の眼に間違いはなく理由は他にあったのでしょう。

「いいえ誰でも」とはならず、やはり向き不向きがあるようです。

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あと一歩だけ前に進もう 

2011-05-06 | Blues
 「あと一歩だけ前へ進もう......おっ、スガシカオの歌か?こんな所へ書くなんて洒落たことするなー、復興アクションか」と思ってよく見たら、「もう一歩だけ前へ、ご協力ありがとうございます」とあったのは駅のトイレでした。



80・20運動と聞いたアパレルの人なら、この時期ウールとモヘヤの混率かと勘違いしそうですが、「80歳になった時、自分の歯を20本残そう」という運動のことです。

半年毎にお手入れしていても、突然具合悪くなったりするのが歯です。
ヴィスコンティの映画で貴族をあつかった題材のものは、どの作品もみんな歯痛の場面がある印象があります。
もちろんこれは勘違いですが、歯痛は一種の贅沢病だったのでしょうか。

以前書いたように、昔は甘いものを受け付けなかったので心配していませんでしたが、イタリア的な食生活に冒されて以来、甘味に親しむようになって安心してもいられません。
食べたいだけ食べた後は、下のチェスター・バーネット氏、通称ハウリン・ウルフのように積極的に検診を受ける他なさそうです。

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Royal Wedding

2011-05-03 | Jazz
 目の前を歩いていた十代の子達が別れ際に「さよなライオン!」と言うので、思わず波平君みたいに「ポポポポーン」と口ずさみそうになる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
お座敷がかかると、先約のある場合と拠所ない事情以外はよろこんでお付き合いさせていただいているので、本当はヒマなのに間遠くなっております。



震災でそれどころではありませんでしたが、世界情勢が日々急速に変化を続けています。
そんな中で、一番どうでも.....じゃなかった、軽いのが先週のロイヤル・ウェディングのニュースです。

あまり馴染みがなさそうですが、アステアが壁や天井を歩いたり踊ったりするトリックを使ったのが映画「恋愛準決勝戦」、原題が「Royal Wedding」でした。
先のトリック撮影のシーンは「That's Entertainmant」にも抜粋されていたように思いますので、そこはご存知の方も多いかと思います。
映画には、チャーチルの娘だか孫だかが出演していたはずですが、アーサー・フリードとスタンリー・ドーネンのコンビ作品にもかかわらず、他のMGM作品ほどの華がなく少し印象がうすいです。

下はもちろんロイヤル・ウェディングの記念撮影ではありません。ルイの足元はなんだかマイケルみたいです。

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Scratch my back.

2011-05-02 | Jazz
  職場の好青年が転職するということで送別会をひらいた大泉さんが、良い店だったので今度行こうと誘ってくれました。
神楽坂で魚介を専門にたべさせる店で、どれも美味しかったけど、一番良かったのは店の人が皆親切で気持ち良かったことだといいます。
あらっ、大泉さんはそんなこと気にするタイプの人じゃなかったのに、と意外に思いました。
でも、以前は経営者だった時期もあり、聴いたらきっと「何いってんの、俺はそういうの気にするよ」と返ってくるに違いないのでスルーします。



少し前に泊りがけで出掛けた先で、味だけでなくそこの奥さんの接客が評判だからと聞いて、好奇心もあって訪ねた店があります。
他愛ない話をはさみながら注文を終え、喉を潤していました。
そこへ、死角になって見えませんが外国人が電話番号のメモを片手に、待ち合わせをしたのだがこちらの店ではありませんか、と訪ねて来たようです。
すると店の奥さんは、「この番号はうちのじゃない」の一点張りで、馴れない外国人には取り付く島もないように聞こえたに違いありません。

寛いでいたはずが、メモの番号に電話して場所を聴いてあげればいいのにとか、解決策を巡らせて気を揉む始末です。
詳細は聴き取れませんでしたが、結局、追い返すようなかっこうになってしまったようです。

その対応が何となく後味の良くない結果だったからというのでもありませんが、料理は何れも並で、特段のことはありませんでした。
帰りに「評判でなかなか予約がとれないそうですね」と聴くと、たぶん料理のことだと思いますが、「でも今日で化けの皮がはがれましたでしょ?フェッ、フェッ、フェッ」とライトニン・ホプキンスみたいに笑ってました。店を出ると、こちらが角を曲がって見えなくなるまで見送っているから早く行こうと、振り向いてしまった妻が言います。

例によって何か釈然としません。
隔靴掻痒というか、背中が痒いのに脚を掻いてもらってるような、しかも背中が痒いのは私じゃなくて隣の人だったみたいな感じでしょうか。
普段、身の回りにいる親切な方々の好意に接しているせいか、何時までも見送るような事より、困っている人にこそ親切はないのか、とつい思ってしまいます。

見送る行為自体は、こうあって欲しいと思うようなマナーでしたが、この件に関してはやはり仏作って魂入れずと申しますか、かたちだけでない残心を望みたいところです。

背中を掻いてもらってウットリの図?

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