Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

當麻寺 四天王立像

2020-02-29 |  その他
いつも服のことを考えてますが、旅行ではさすがにそんなことはありません。
例えば、有名な奈良・興福寺の阿修羅像を観ながら服のことを考えると、スリムな少年のようですから、きっと抑揚のないリクルートスーツみたいなのしか思いつかないでしょう。
マッチョな金剛力士像は、フィッティングが至難の業です。

奈良・葛城市の當麻寺(たいまでら)へ行って金堂の四天王立像を拝観した時、初めて服をイメージする像に会いました。
それらはいずれも2.2mくらいの像で、4体のうち特に広目天と持国天の顔貌・体躯は、メリハリのあるクラシックスーツを合わせたくなるようなお姿です。



上下とも広目天像。



當麻寺根本曼荼羅のタペストリーは、蓮の糸をもって一夜にして織られた、とされる中将姫伝説というのがあるそうです。
伊ロロ・ピアーナ社のビキューナ、ベビーカシミヤに続くプロジェクトはハスの繊維でしたが、繊細で採取が難しく織りもなかなか進捗しないところから、希少な獣毛にも負けない高価な素材だそうで、残念ながらそれはまだ触ったことがありません。


持国天像。
Comments (2)
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土産話

2020-02-27 |  その他
月初にイタリア出張に行った人が、無事帰って寄ってくれました。
まだその時点では、新型コロナウイルスの影響は緩やかだったそうですから、マスクしてるのも展示会に来ている東南アジアの人だけで、イタリア人でしてる人は見なかったそうです。
(ペストの時代の影響で、一緒の皿を分けたりしないし、マスクしてたら不審がられるという説を昔聞いたことがあります)
その後移動さえ困難になるとは予見出来ませんでしたが、タイミングよく帰れたとのこと。



今はまず価格があって、当然それに合わせて素材が決まってくる、と言います。
質は二の次、三の次という扱いで、「値段から入るからいいもの作ろうって方向に行かないし、モノ作る人は皆んな疲弊してるね」
バンチを繰りながら、「ポリばかり触ってるから手がそうなっちゃって、でもやっぱりウールっていいね、ほっとする」
笑わせるためではないと思いますが、英国のミルに相手が作らないような薄くて安いものをリクエストしたら、イヤな顔をされた話とか、次々面白い話を聞かせてくれました。

せっかく来てくれたので、滅多に見られない生地を並べると、「いいねェ」「いいじゃない!」と褒めてくれましたが、
「これいくらなの?  ふざけるなよー、そんな高い生地使った事ないよ!」
「でもそんなに変わらないのに、こういうモノ扱えるから店やってるんじゃないですか!」
と、相手は先輩ですが昔から遠慮ありません。
もともと量産と仕立服では使う生地の量が比較になりませんが、大手はどこも利益にシビアですから、聞く話はことごとく私の行き方と逆でしだいに可笑しくなりました。



ちなみに今春夏用に購入予定なのは、某ショップのポリエステル・スーツだそうです。
さっきの話と辻褄が合いませんが、昔から話題のものが好きなのを知っているので、あえて突っ込みませんでした。
商売がら相手に合わせて、そういうものにも理解があるという姿勢を示す必要もあるかも知れませんが、私だったらポリ100のスーツに6万出すなら、足してでもウールを探すでしょう。
貰っても着ませんが、これもまた見事に逆を行っててナイスです!

化学繊維の優れた機能性も出尽くした感があります。
それでもやはり、その人が好きだというA.フラッサーの本にあるように、

「スーツの生地を選ぶ時の原則はただ一つ、今も昔も変わりません。生地は自然繊維でなくてはならないということです。
(中略)
自然繊維をまとうことの一番のメリットは、何といっても肌を優しく刺激するその感触の良さにあるのではないでしょうか。自然繊維は柔らかでぜいたくな感じがします。第二の肌のように体に馴染み、暑い時には汗や体の熱を外に出し、寒い時には熱を外に逃しません」

私としては、こちらを尊重したいと思います。



読んだという話はまだどなたからも聞きませんが、A.フラッサーの最新刊はラルフ・ローレンについて書いたものだそうです。
画像はRizzoliから出ている"Ralph Lauren"から。
きっとアパレル・アーツで上のイラストを穴の開くほど眺めていたら、胸にフラップを付けたくなったのかも知れません。
先日の話の続きのようですが、ちょうど写真の向かいのページにR.ローレンの言葉でこうありました。
"Classic to me means things that are timeless and enduring, the things that never go out of style"
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Cashmere

2020-02-22 | 生地
カシミヤは手触りが良いし軽いし柔らかいし...そう書くだけでイタリア人が挙げる良い服の条件と重なりますし、その価値を認めるにやぶさかではありませんが、偏重され過ぎるきらいがあったのも手伝って、「ウールで本当に良いものはそれに勝るとも劣らないですよ」という気持ちからあまり積極的に推してきませんでした。


川瀬巴水『鴛鴦』1950年

直接首に触れるマフラーなどはやはり質の良いカシミヤが手離せませんし、南イタリアの仕立屋さんが柔らかく仕上げたカシミヤ・ジャケットなんかは着てる事を忘れるようで、言うことがありません。ホーズに至るまで、たいてい何でも試してみました。

売る場合は着方やケア、耐久性を考えると、デリケートさゆえに苦慮します。
私共が想定しない、例えばバリスティック・ナイロンのショルダーバッグを肩にかけて穴が開きかけた、なんてのを実際に見ました。
(もちろん、これではウールでも穴があくのは時間の問題です)

またご存知のように、ここ25年くらいエスコリアル・ウールという並のカシミヤを凌ぐ細さの素材が現れ、生産量も質も安定してきています。


川瀬巴水 『真鴨』 1950年

少し前の記事のように昨秋カシミヤを探して以来クセになって、機会があれば見ています。
すると半年の間に3点ほど、眺めているだけで嬉しくなるような生地に巡り合いました。
グレードによってやはりエスコリアルもかなわない手触りで、春夏用で薄いにも関わらず打ち込みは強く、持ち重りする素材なんていう贅沢なのがあります。

F.アステアの歌に「干し草の中から針を探すようなもの」というのがありますが、色柄にこだわると、普通にバンチだけ眺めていてもこれはと思うものになかなか巡り会えなかったようです。
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"Classic is never boring"

2020-02-14 |  その他
綴りを間違えて、桑田さんがパーフェクトを出したのを記念して言ってる訳でも、井戸掘りについて語ってるのでもなく、今日のタイトルはユベール・ド・ジバンシィの言葉だと外国の方が教えてくれました。
「クラシックは決して退屈なものじゃない」
ツマラナイなんてことナクナクナクないんですよ、と言ってます。

私どもが作っている服は、クラシックと呼んでもいいし、トラディショナルと呼んでも構いませんが、もちろん伝統的な男性の服に則ったスタイルです。
ただ日本で「トラディショナル」というと、ある時代の特定のスタイルだけを連想されるきらいがありますが、もっと本質的な伝統の部分を言ってます。

アラン・フラッサーの言葉を借りれば、その時代を超越したスタイルは
「1930年代に発展し、それからずっと父から子へ、そしてテイラーから客へと受け継がれてきたもの」
だと言います。
さらに誤解をさけるため付け加えると、それを時代に合わせて先人が少しずつ進化させてきました。



よく使うL.フェロウズやL.サールバーグのイラストにはキャプションが付いていて、描かれた服のディテールが単にアメリカ的というよりもっと古くからある場合など、そこに注目するよう但し書きを付しています(キャプションはイラストレーターとは別の人)。
読者に、「ご存知の見慣れたものが、正統とは限らないですよ」と注意喚起してるようです。

A.ヘプバーン等の衣装を担当したジバンシィの服は、今日までデザインソースとしても繰り返し使われてきました。
外国の方がよく言う、"Timeless classic"に昇華した訳です。
ちょっと「腹痛がイタイ」みたいな感じがしなくもありませんが、とにかく流行り廃りを超越したスタイルになりました。

さらにジバンシィは、デザインした服が出来上がってきた時より発注した生地が出来上がってきた時の方が、もっと嬉しそうだったと言います。
何となく楽しい話ですね。



画像はいずれも既出で、ドレススタイルでもありません。
このC.F.ピーターズが描いた力の抜けたジャケットスタイルを思い出し、庭仕事の好きそうな様子から下の画像を連想しました。
チャプリン演じるヴェルドゥー氏のような雰囲気ですが、これはこれで素材・型ともこうした装いのクラシックスタイルと呼んで差し支えないものだと思います。



クラシックと言えばしばらく前のこと、昼食後少し昼寝した方が健康に良いなんて説がありました。
そうだこれを流しながら昼寝でも...と思ったら、まったく寝られないというか、なんか寝かせてくれないんですね。
誰も寝てはならぬ、とは言ってないので勘違いかと思ってもう一度試すと、演奏するロストロポーヴィッチの「気」が凄くて、昼寝どころか退屈するスキさえありませんでした。
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Ernest Francisco Fenollosa (1853〜1908)

2020-02-09 |  その他
これを読んでくださる方の中にはイタリア好きとか、いゃ英国でしょとか、アメリカ好き、という方がいらっしゃると思います。
あるいはいいとこ取りで、それぞれ良いところはどこでも好き、という方もいらっしゃるかも知れません。

TVでは最近、日本好きな外国人の願望をかなえる番組など、インターネットで勉強して普通の日本人が知らない知識や趣味をもった外国人が増えていることが分かります。
それは今に始まったことでなく、例えば、大戦中に京都を空襲しないよう進言した人などもそうだったかも知れません。

学校で日本史を勉強すると、近代の部分は駆け足になったり、たどり着かなかった印象があります。
フェノロサ、岡倉天心についても、以前は2〜3行の知識しかありませんでしたが、京都からなんとなく琵琶湖周辺の芭蕉の足跡をなぞったり、奈良へ行き来していたら、気がつくとフェノロサにも重なりました。

アメリカ、マサチューセッツ州セーラム出身のアーネスト・フェノロサは哲学の教授として来日しましたが、異文化を理解する眼を持っていたのか、神仏分離令と廃仏毀釈で古いものを全て否定し、西欧化へまっしぐらだった流れに歯止めをかけるのに間に合います。



今日多くの外国人が日本を訪れる動機となるような文化遺産の多くが、最初の衝動こそ分かりませんが、フェノロサの行動によって救われたと言います。
また今では文化財と呼ばれるような品々が、手放さざるを得なくなった人々から海外へ流出しましたが、何年か前ボストンでリサーチされて話題になったように、地球上から消失してしまうことを免れました。

大きな寺でも無住となって荒れるにまかせていたという話もありますから、すでに廃棄されたものもあったかも知れません。
フェノロサは仏像とギリシャ彫刻を同等に見做したそうですが、日常は美術とか文化として見られていなかったでしょうから仕方ないことです。仮に見た人ももちろん故人でスマホとかない時代ですから、今日誰もその存在について分かりません。

琵琶湖湖南の西側、三井寺(園城寺)から少し歩いた法明院にフェノロサ、友人で日本美術の蒐集家ビゲロウ医師(修復の必要な寺に寄進もしていた)や親しくしていた方々の墓があります。



洋の東西を問わず美しいものを評価したフェノロサの審美眼にあやかりたいのか、単なる好奇心か、自分でも意識せずそこまで行った帰り家内が言うのには、
「これじゃ、墓マイラーと一緒だね」
確かに。
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眼福

2020-02-01 |  その他
ある外国人の方が、書いていた話です。
服好きだった父親を亡くした女友達から「良かったら好きなの使って」と、残された大量のネクタイを前に言われたそうです。
見せてもらうと中に数本とても気に入ったものがあり、もらって帰って眺めていると、故人の趣味の良さが偲ばれたと言います。



少し前に飲んでいた時のこと、
「その生地、本当にいいですよね」
と、私のジャケットを見て連れの方が言ってくれました。
「本当に」というのは、ご本人も同じ生地で作ったのを持ってるからです。

以前も書いた気がしますが、自分が着ているものは自分で全体が見えないし、鏡に映った像はもちろん映ってはいるのでしょうが、質感など肉眼でダイレクトに見るのと違います。
ですから、目の前の人が良い生地でバランスの良い服を着ていると、私の眼も喜ぶ気がします。

また店にある古い雑誌をご覧になる方で、見落とさないよう1ページ1ページ丁寧にすべてご覧になる方は、やはり相当好きな方だと思います。
でないとなかなか集中力が続きません。
業界の方が2人、飲食の方が1人、「面白い、面白い」と仰いながら端から端までご覧になってました。

そのような感覚を持っていらっしゃる方なら、細かいことは言わずとも通じるような気がします。
例えば、生地の質感とか色合いは複雑で多岐にわたるので、結局最後は言葉ですべては伝わらないんですね。
色々見て、着て、どうなるとか、感じてもらうしかないかなと思います。
...と書いていること自体に限界を感じ、気がつくとブルース・リーの有名なセリフみたいになってました。



画像は、あまり馴染みがないかも知れませんが、以前取り上げたJ.C. Leyendeckerと同じくらいの時代にフランスで活躍した、Bernard Boutet de Monvelという画家(イラスト等色々にまたがるので、ご興味ある方は検索お薦めします)です。
たまにクラシックなものを扱う店で、知らずにこの人の作品をディスプレイしてます。
今で言うセルフィー、つまり鏡にうつった姿を描いているので上の絵がオリジナルですが、見るたび何だか落ち着かなかったので、邪道ですが左右を反転させてみました(下)。どうぞお間違いなきよう。
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