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ものづくり・工場改善 地元企業編 ⑧ 出石焼窯元 上田製陶所

2015年11月10日 | ものづくり・工場改善 地元企業編

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 ブログ 「晴耕雨読 in 神鍋高原」
 第262回記事(2015年10月26日(月)配信)・・・・・毎週月曜日配信予定
 ものづくり・工場改善 地元企業編 ⑧
 
 出石焼窯元 上田製陶所 
 ~「一品入魂」で、純白の出石焼の伝統を今に伝える~
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◆はじめに◆
 豊岡市の旧出石町の観光客で賑わう市街から出石川を渡り、西に少し離れた福住地区を車で走っていると、山側に「これは何?」と思ってしまう奇妙なオブジェが見えてきます。それはレンガで組まれた徳利の形状をしたもので、なぜか屋根までついています。さてこれは何でしょうか?  
 
 それは出石焼を焼く窯でした。形状から徳利窯と言われます。かつて使用していたころは、徳利の先端には煙突用の土管が付いていました。焼き物を焼く窯と言えば、登り窯が有名ですが、全く形状が異なります。窯の中央部での外形は3.2m、残存する高さは4.75mと登り窯と比較すると小さめのように思われます。しかし、少ない燃料で高温に出来たようです。つまり、独特の形状は効率を考えたものなのです。
 この窯は昭和14年に築かれ、昭和45年まで使われていました。新聞記事にあるように、まさに「近代産業遺産」です。
 左側は、保存整備される前の窯
 この徳利窯で出石焼を焼いておられたのが「上田製陶所」さんです。そして今もこの場所で出石焼を焼いておられます。

◆出石焼の特徴と歴史◆
 出石焼の特徴は磁器の肌の「純白」さにあります。あるホームページには「その神秘的なまでの白さは他に例を見ないほどです。」とまで書かれています。また、「白磁の中の白磁」ともいわれることがあるそうです。白さの理由は、磁器原石である柿谷陶石が「白過ぎる白色」であるためです。我が家にも出石焼の焼きものがありますがその白さが際立っています。
 出石焼のもう一つの特徴が表面に施された精巧な彫りです。下記の写真では絹のような風合いの表面に実に精巧な花の模様が施されています。
 
現在、出石焼は出石そばの小皿・そば猪口などとして多くの出石そば屋さんで使用されています。
 
 出石焼と上田製陶所さんの歴史をまとめると以下のようになります。
 ①1789年 肥前の国の石焼職人の兵左衛門により磁器石焼が創始される
          (それまでの出石焼は土焼陶器でした)
 ②1876年 盈進社を中心に出石焼の改良が始まる
          (盈進社は明治維新の失職士族対策で設立された会社)
 ③1890年 上田製陶所創業(初代上田直蔵氏)
          (ちょうどその時に国会が開設されたので国会窯という)
 
 (参考資料②より。大正末から昭和初期の上田製陶所。中央に国会窯との記載がある。)
 ④1918年 出石焼隆盛を誇る(輸出が前年度の2倍に増加)
 ⑤1939年 徳利窯構築
 ⑥1980年 出石焼が国の伝統工芸品に認定される
 ⑦1994年 第4代上田実生氏が国の伝統工芸士に認定される

◆出石焼のつくり方◆
 出石焼は一般的には、
 土つくり→形つくり→加飾→素焼き→加飾蝋さし→施釉→本焼き→完成
の順番に行われます。(以下は参考資料③より)
 (1)土つくり・・・採石、砕石、脱鉄、脱水の工程があります。
  掘り出した柿谷陶石の中から良品を選別し、クラッシャー等で砕いて泥状にし、鉄分を除いて乾燥させます。
 とてもとても白いですね!
 (2)形づくり(鋳込み成形)
 鋳型に泥を流し込んで成型します。量産に向いています。
 他に、ろくろ成形の方法もあります。
 中央が成型品。両端が鋳形。
 (3)加飾(彫り)・・・・模様を彫り込む
 出石焼き特有の工程です。
 乾いた生素地を水で湿らせ専用の彫刻刀で模様を彫り込みます。
 右下に彫刻刀が見えています
 (4)素焼き
 約850度でゆっくりと時間をかけて焼成します。
 少し茶色っぽくなった?
 (5)加飾蝋さし
 削られた図柄に溶かした蝋を塗り、その部分だけに釉(うわぐすり)が付かないようにします。
 黄色い所が蝋です
 (6)施釉
 壷のなかにある釉を柄杓でかけます。
 
 (7)本焼き
 器を磁化させるて純白の器肌を得るため還元焼成をします。約1300度の温度で焼成します。
 
 (8)完成
  やっと完成です。ここまで1~2ケ月かかります。

◆出石焼の伝統の継続と革新◆
 一般的に伝統工芸品の伝統の継続は厳しいものがあります。出石焼でも平成20年に8軒あった窯元も現在(平成27年)4軒に減ってしまっています。理由は、需要自体の低下と、土器よりも高価格になる点と、後継者がいないといった事です。
 出石焼も江戸時代に興隆期がありましたが、明治初期には衰退していました。それを再度の隆盛に導いたのは桜井勉氏(日本の各地に気象測候所を設置するよう働きかけ、気象観測網の基礎を築いた人)を中心に盈進社という会社を興し、各地の陶工を招いて技術の向上を図ったからです。その結果、1904年開催のセントルイス万博博覧会では金賞を獲得するまでになりました。
 現在は、景気が厳しい中で、事業をされている窯では上田製陶所さんが一番長く(明治23年から)事業をされています。現在の第4代目の上田実生さんは、現在61才で、1994年には国の伝統工芸士の認定を経済産業省から受けられました。つまり、40才の若さで伝統工芸士に認定されたことになります。
 上田さんに作陶に当たっての信条をお聞きしてみると、
「出石焼の一番の良さはその白さです。この白さにこだわっていきたいと思っています。」
との答えが返ってきました。
 また、
「私自身、鋳込み成形よりも、ろくろ成形が好きで、鋳込みで同じ形のものを作るのではなく、ろくろで一つ一つの器の形にこだわって成形していきたいです。」
とのことでした。
 この2つのこだわりから、私は一つの言葉が浮かんできました。

 「一品入魂」

 これからも出石焼の火を絶やさず、出石焼の伝統を継続して、出石焼の技術を後世に伝えていっていただきたいと思いました。
 作業場での上田さんの作業風景

 作陶をされている作業場とは別に、出石町の市街地の店舗(下記地図参照。大変有名な辰鼓楼の近くです。)で色々な出石焼を販売されています。店舗に伺ってみると、出石焼の白さを生かしながら、現代の二―ズにマッチするように、新たな出石焼にも果敢にトライされているようように感じました。
 店舗内の商品陳列(1)
 店舗内の商品陳列(2) 

よろしかったら、一度立ち寄ってあげてください。

                                              井上三右衛門(記) 

参考文献
①出石焼:豊岡市商工観光部商工課、H20年3月発行
②出石焼の徳利窯:豊岡市立出土文化財管理センター、H25.3
③出石焼陶芸館(ドライブイン出石敷地内)展示 
④「ザ・たじま」但馬辞典:但馬ふるさとづくり協会、2013年版
⑤出石焼:フリー百科辞典『ウィキペディア(Wikipedia)』

PS
 「上田製陶所」さんは、現在は「上田陶磁器店」さんの名前で事業活動をされていますが、歴史的な点や伝統を守るといった点を考慮して「上田製陶所」さんの名前を今回は使用させていただきました。

上田陶磁器店さん住所・連絡先など
 住所:兵庫県豊岡市出石町田結庄21
 TEL:0796-52-2002(FAXも同じ)
 代表:上田実生
 地図
 
               

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