百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

北信病院へ

2013年06月27日 17時47分34秒 | 健康

 歩 い て 世 界 一 周  6月27(木)雨後晴れ

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

        1 

4,776

3,345

 

今  月

27

460,611

322,428

17,060

今  年

178

3,058,576

2,141,003

17,183

2005年から

3,109

44,377,300

31,064,110

14,274

70歳の誕生日から

6,641

126,327,431

 

88,429,202

19,022

アイスランドを経てグリーンランドのアンダマダシャリクからコィアネホープに向かう、後376,785m

 朝のウオーキングで遂に転倒した。今朝も歩き始めると、次第に足早になる。足早になってはならないとポールを利かしてブレーキを掛けるのだが、心の動きとは反対にドンドンと早くなる。歩くのを止めて足に言い聞かすのだが、足は言うことを聞いて呉れない。それでまた歩く。斑尾ホテルの駐車場前まで来た時、遂に倒れた。しまったと思いながら慌てて立ち上がろうとした。

いくら焦っても、もがいても身体は動かない。周囲を見渡したが、こちらを見ている人の気配はない。度胸を決めて倒れたまんまになっていた。これは変だ、北信の脳外科の先生が「これで治療は済みました。大丈夫です。ですが偶には一月か三月頃になって容態が変ることもあります。その時は遠慮せずに来てください」と言った。そうだ!先生に見て貰おう!と思い、気力を振り絞って立ち上がった。

 立ち上がって見たものの、ツンノメッタし、ポールは手から離れないので、真面に顔と言わず手の甲と言わず。血だら真っ赤。この分では恥ずかしくてウォーキングは続けられない。直ぐに家に電話して応援を頼んだ。だが車は中々来ない。第一、眼鏡が何処にあるかも判らない。アチコチ血の吹き出て居る箇所を点検した。傷は浅い、骨に異常もない。眼鏡はレンズが欠けたかと思ったが、遠くに飛んでいて助かった。パパの車が見えたので姿勢を正して笑った。これが挨拶だ。妻のご機嫌は悪かった。近所から電話が来て出掛けた。10時まで待ったが戻って来ないので、「これから病院へ行く」と電話して車で北信に向かった。

 マスクを取った私のの顔を見て脳外科の先生は、看護婦に「形成外科と神経内科へ連絡。血液検査とCTの結果を知らせてくれ!」と。形成外科の先生は自ら麻酔を打って、「この指は神経が剥き出しになってしまったのでこのままでは直ったときに神経が吊る、そうならない爲に人口皮膚を被せます」治療の段取りを説明して呉れた。神経内科では、CT撮影と私の足を縦横に揃えさせて平衡感覚を調べて何かを悟ったようだ。

 やがて車椅子が用意され、脳神経外科の先生から「脳の内出血で脳が圧迫されていて、脳が右に偏っている。此の血を手術で排除して正常に戻す必要がある。7月1日午後手術をしたいので、午前10時入院して欲しいと宣告された。

 未だエンディングノートも記入してないし、今月末には日中友好育英基金を送金する予定もあるし、中野市の各小学校と栄村小学校の中国小学生の作品展の開催もしなければならない。今月末には常任理事会で最終決定をすることにしていたので後三日では大変だ。

 妻とパパに来てもらい、担当医師から病状の説明を聞き、手術の要領や退院予定が10日頃との事で納得して帰る。

※ 明日から当分の間(退院予定の7月10日間ほど)【百歳に向かってもう一度世界一周】のブログの書き込みは勝手ながらお休みとさせて頂きます。再開出来るようになりましたら手術後の回復状況などから始めたいと思って居ります。その節はよろしく!