百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 6月04 日(水)晴れ
1989年6月4日、今日《天安門事件》が起きた。翌年のゴールデンウイークに河北省科学技術委員会の方々が見えて、「東京に来たら会社も役所も休みで行く所が無い。先生にご案内をお願いしたい」という。
私は一度は断ったが観光案内を引き受けて名所旧跡を案内した。最後の晩、酔いも回った所で、《小平という男はとんでもない奴だ。人民解放軍に命じて人民に発泡させた。許せない!」とやってしまい、大論争となってしまった。
「小平が命じたからこそ、暴動は鎮圧されて、平穏な生活に戻ったのだ。正当な行為だ、何が悪いか}という。私は安保騒動で宮城前広場の群衆が大歓声を挙げて警察官と衝突し、死人も出た時、時の岸総理・佐藤幹事長は共に内閣に立て籠もって居て、身の危険を感じたが、最後まで自衛隊に出動命令は出さなかった。どちらが立派か?と迫ったが結論は出なかった。
後で聞いた話だが、この一行は《私の人物評価」のために来たのだという。私は65歳になったら、《第二の人生は中国に迷惑を掛けた罪滅ぼし》に役立ちたい。《農民のともしび》とならん!の信念だ。農民の生活の向上無くして中国国家の安定はない。》と唱えてきたが、これも水疱に帰したか?と諦めていた。
すると、一月ほど経った頃、財団法人ジャパン。シルバー・ボランティアズから登録して欲しい。河北省科学技術から長期の招請状が来た。
「8月15日から15日間涼しい承徳地区、9月1日より15日間南の邯鄲地区、残り15日間を石家荘地区を廻って気づいた事があったら指摘して欲しい」というのだ、身震いする程の感動と驚きを覚えた。
中国での待遇は国賓でもこれまでは?と思う接待で、思いもしない手当を頂き、許可無く入れない未開放地区を案内され、浦島太郎が龍宮城で生活したような饗しを受けた。オマケに帰国に当たって、「栄誉証書」まで頂いた。これが小平を批判した見返りだったのだろうか?
中国から尊敬の眼で見つめられていた日本。中国を助けて一日も早く立ち上がって欲しいと願っていた日本。あの頃が懐かしい。今はどうか?形勢逆転?均衡か?神経ピリピリ!戦闘態勢まで準備しなくちゃ安眠もできないような緊張の仲、イヤなムードだ。 でも私は、嘗ての朋友とは今も電話で歓談してるヨ!
百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 6月04 日(水)
日数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩 |
|
今 日 |
1 |
21,329 |
14,930 |
|
今 月 |
4 |
81,231 |
56,962 |
20,308 |
今 年 |
155 |
2,985,989 |
2,090,192 |
19,264 |
2005年から |
3,412 |
49,902,513 |
34,931,759 |
14,626 |
70歳の誕生から |
6,944
|
131,852,644 |
92,296,851 |
18,988 |
北大西洋グリーンランド島からカナダに到着。ケベックに向かう。あと715,241m