歩 い て 世 界 一 周 2月12日(月火) 晴れ
日 数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩) |
|
今 日 |
1 |
16,141 |
11,299 |
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今 月 |
12 |
199,996 |
139,997 |
16,666 |
今 年 |
43 |
710,541 |
497,379 |
16,524 |
2005年から |
2,974 |
41,029,260 |
29,420,482 |
14,132 |
70歳の誕生日から |
6,506 |
123,979,396 |
86,785,577 |
19,056 |
ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 522,381m
「漁夫の利」という諺は知っていたし、その意味も判っていたが、今から2千年も前の話で、それが【燕】と【趙】とに纏わる話だとは知らなかった。漁夫というから何処かの海についての逸話だろうと思って居たが、燕・趙に関わる話だと判って取り上げることにした。
私の通訳を良くやって呉れて居た支西君さんから電話で「河北省が”燕趙友誼章”を作って河北省に貢献された人に差し上げることになりました。先生が推薦されました。」と言ってきた。私は「中国政府から友誼章は頂きましたから辞退します。大学の卒業証書を持って居る人は高校の卒業証書は要りません。」と断ったが、飯山から河北省へリンゴの指導に行っていた塩崎さんがリックサックで”燕趙友誼章”を担いで持って来てくれた。
それで”燕趙”とは河北省の事だと判った。”燕”は北京を中心に河北省の北部、”趙”は邯鄲を中心にした河北省の南部、合わせて”燕趙”とは河北省の事なのだと知った。長野県が”信濃の国”と云うが如しだ。
趙且伐燕。蘇代爲燕謂惠王曰、「今者臣來過易水、蚌正出曝。而鷸啄其肉。蚌合箝其喙。鷸曰、『今日不雨、明日不雨、即有死蚌。』蚌亦謂鷸曰、『今日不出、明日不出、即有死鷸。』両者不肯相舎。漁者得而并擒之。今趙且伐燕。燕趙久相支、以敝大衆、臣恐強秦之爲漁父也。願王之熟計之也」。惠王曰、「善」。乃止。
【訓読】
- 趙まさに燕を伐たんとす。蘇代、燕に為りて惠王に謂ひて曰はく、「いま臣来るとき易水を過ぐ。蚌まさに出でて晒す。しかうして鷸その肉を啄む。蚌合はせてそのくちばしをつぐむ。鷸曰く、『今日雨ふらず、明日雨ふらずんば、すなはち死蚌有らん』と。蚌もまた鷸について曰く、『今日出ださず、明日出ださずんば、すなはち死鷸有らん』と。両者、相すつるをがへんせず。漁者、得て之をあはせとらへたり。今、趙まさに燕を伐たんとす。燕と趙久しく相支へ、大いに衆の敝するをもちて、臣強秦の漁父となるを恐る。願はくは、王、之を熟計也」。惠王曰わく、「善しと」。すなはち止む。
【訳文]
- 趙は、今にも燕に攻め込もうとした。蘇代は趙の惠王に説いて言った、「今私が来るときに、易水で見たことです。どぶ貝が身を曝していたところ、鴫(しぎ)がやってきて、つついて食べようとしました。どぶ貝は貝をとじて、鴫の嘴をはさみました。鴫は貝に『今日も明日も雨が降らなければ、干からびて死んでしまうぞ』と言い、貝もそれに応え『今日も明日もものが食べられなければ、死んでしまうぞ』と言って、お互い離そうとしませんでした。そこに漁師がやってきて、ともに捕らえられてしまいました。今、趙は燕に攻め込もうとしています。長期に交戦することとなれば、両国は大いに疲弊することでしょう。ここで強国である秦が漁父となるのを私は恐れるのです。惠王さまにも、そこを熟慮願いたいものです」、と。惠王は「なるほど」といって、すぐに派兵を止めた
※ 今日の歩数が昨日より1歩しか多くないとは驚いた。これは奇跡だ。
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