はじめてのマンドリン

ある日突然、マンドリンの音色に恋をした
初めて手にした時から、ささかやかな感動を綴っています

本「希望ヶ丘の人びと」

2009-10-07 19:39:06 | 本・映画・ドラマ
重松清さんの「希望ヶ丘の人びと」を読みました。

重松さんの本は、どれも根底に温かさがある。
今回も、泣かせてくれた(^^ゞ
ジムでエアロバイクこぎながら、本読んで涙ぐんでるなんて、
冷静に考えると、かなり恥ずかしい図かもしれない

40歳くらいで、妻を病で亡くし、女の子と男の子の子供と一緒に、
昔、妻が住んでいて、“また住みたいな~”と言っていた、希望ヶ丘に引っ越した。
そんな家族をとりまく、人たちとの関係を描いている。
いじめ、つまはじき、家族の仲違い、などなど。

“折れ曲がろうが、ぼろぼろになろうが、「希望」ってサイコーに素敵”
って言葉と、
“子供の『もしも』は未来に向いている。でも、おとなの『もしも』は
過去にしか向かわない。”
って言葉が、印象深く心に残った。

私も、「もしも」って言葉を使うときは、未来に向けて使いたいものだ・・・と
少し反省した

重松さんの物語には、妻を亡くし、試行錯誤しつつ子供たちを育てていく中で、
こういう家族の形もアリなのだと教えてくれる物語が、多い気がする。
(私が読んだ本が、たまたまそうなのかもしれないけれど)
日本では、まだまだ、父がいて、母が居て、子供が居てってのが、“普通の家庭”だと思われていて、
悪気はなかったとしても、母の日には、学校では、
「お母さんに感謝して・・・」とか、普通に話されるのだろう。
お母さんがいない子供のことは、配慮される先生もいるのだろうけど、
まだまだ、そうではないような気もする。

そういうときに、ちょっぴり傷つく気持ちは、なんとなくわかるような気がする。
私には、子供がいない。
特に、なんとも思っていないつもりだけれど、話をしていて、
「子供さんは?」と聞かれると、「いないんですよ」と言える。
でも、
「子供さんいくつ?」と聞かれると、ちょっとトゲを感じてしまうのである。
その人の中で、“子供は居るのがふつう”だと思っているのを感じてしまうから。
悪気はないのだろう・・・とはわかっていても、
“ふつう”を決め付ける人には、距離を置きたくなってしまうのが正直なところ。

おっと、話が逸れてしまったけれど・・・
子供でも、大人でも、一人の人として、相手の気持ちを尊重して話すということは
とても大切なことなのだろうなと、改めて感じた(^^)

大切なことを改めて思い出させてくれる本でした(^-^)

コメント
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