映画「悪人」を見てきました。
・・・何故愛したのか?何故殺したのか?誰が悪人なのか?・・・って、オフィシャルサイトには
書かれていた。
一言で言えば、とても哀しい。
感じたところによれば、悪人はいない。
殺人犯の清水くんは、愚かだ。
一緒に逃避行した光代は、哀しい人だ。
増尾は、軽薄だ。
殺された佳乃も、軽薄だ。
そう感じた。
生きるのが不器用な人が、軽薄な人に触れ、傷つけられて、どうしていいか
わからず、殺人を犯してしまう。
光代は、清水が殺人犯だと知っても、傍に居たいと願う。
その気持ちが理解できなければ、この映画は、なんとも空々しい感じがしてしまうのかも
しれないけれど、実に、自然に、“そりゃ傍に居たいだろう”って思わせてくれた。
一番衝撃的だった台詞は、逃避行中の光代が妹に電話した時の、妹の台詞。
「出会い系で出会ったような人が、お姉ちゃんのことなんか、本気で好きになるわけないじゃないの」という台詞。
その“おねえちゃんのことなんか”の“なんか”が、とてもぐさりと刺さったのだ。
妹と2人暮らしの光代なのに、妹から、そんな風にバカにされている・・・ってあたりで、
光代の行動が、とても自然なことのように思えた。
出会った形は出会い系にしろ、唯一自分のことを理解しようとしてくれ、向き合おうと
してくれている唯一の存在が、清水だとしたら、
ずっと傍に居たいと願うのは、ごく自然のことなのかもしれない。
佳乃の父の、語る台詞が、心に堪えた。
正確には覚えていないが、
“大切な人はいますか?その人の幸せな様子を思い浮かべるだけで、幸せな気持ちになれるような愛する人が・・・”
みたいな台詞。
もちろん、殺人は悪いこと。
でも・・・心が寂しい人が多すぎる世の中だから、何かがゆがんでいるのかもしれない。
いろんな気持ちが、溢れてきて、エンドロールが終っても、涙は止まらなかった。
・・・何故愛したのか?何故殺したのか?誰が悪人なのか?・・・って、オフィシャルサイトには
書かれていた。
一言で言えば、とても哀しい。
感じたところによれば、悪人はいない。
殺人犯の清水くんは、愚かだ。
一緒に逃避行した光代は、哀しい人だ。
増尾は、軽薄だ。
殺された佳乃も、軽薄だ。
そう感じた。
生きるのが不器用な人が、軽薄な人に触れ、傷つけられて、どうしていいか
わからず、殺人を犯してしまう。
光代は、清水が殺人犯だと知っても、傍に居たいと願う。
その気持ちが理解できなければ、この映画は、なんとも空々しい感じがしてしまうのかも
しれないけれど、実に、自然に、“そりゃ傍に居たいだろう”って思わせてくれた。
一番衝撃的だった台詞は、逃避行中の光代が妹に電話した時の、妹の台詞。
「出会い系で出会ったような人が、お姉ちゃんのことなんか、本気で好きになるわけないじゃないの」という台詞。
その“おねえちゃんのことなんか”の“なんか”が、とてもぐさりと刺さったのだ。
妹と2人暮らしの光代なのに、妹から、そんな風にバカにされている・・・ってあたりで、
光代の行動が、とても自然なことのように思えた。
出会った形は出会い系にしろ、唯一自分のことを理解しようとしてくれ、向き合おうと
してくれている唯一の存在が、清水だとしたら、
ずっと傍に居たいと願うのは、ごく自然のことなのかもしれない。
佳乃の父の、語る台詞が、心に堪えた。
正確には覚えていないが、
“大切な人はいますか?その人の幸せな様子を思い浮かべるだけで、幸せな気持ちになれるような愛する人が・・・”
みたいな台詞。
もちろん、殺人は悪いこと。
でも・・・心が寂しい人が多すぎる世の中だから、何かがゆがんでいるのかもしれない。
いろんな気持ちが、溢れてきて、エンドロールが終っても、涙は止まらなかった。