私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

見性体験(6)-見性後の意識変化など

2013年07月29日 09時27分12秒 | 私の体験
見性体験談の最後に、見性後の私の意識状態の変化などについて書かせていただきます。

見性による意識変化は比較的緩やかに生じる例が多いようでして、特に見性直後の場合、その前後の意識の変化について実感が薄い方も少なくないようです。
私の場合もまさにそうで、見性の前後で何か変わったかと見性直後に訊かれれば答えに困っていたと思います。

でも、変化を実感しにくいだけで、大きな変化はあったのです。

それは、大いなる存在の視点を得られたことです。

大いなる存在の視点とは、肉体の私の視点とは別の視点であり、私自身を客観的に観ている視点のことです。

大いなる存在の視点を得られたことの実感が薄く感じられるのには、理由があったのです。
それは、見性直前は大いなる存在の視点が肉体の私の視点と分離されて感じられていたのが、見性に伴って、大いなる存在の視点と肉体の私の視点とが融合し、一つになってしまうため、大いなる存在の視点に対する実感が一時的に薄れたからでした。

いまは、大いなる存在の視点を得られたことの意義の大きさについてしっかりと実感しています。
そして、その実感がじわじわと深まっています。

明け渡し後も、見性後も、相変わらず私にはいろんな考え、感情が起こってきます。
また、様々な出来事も起こってきます。
それによって、私が右往左往することもあります。

でもいまの私には、そんな私をいつも観ている大いなる存在の視点があるのです。
そして、例え何があっても、私はただそれらを観ていればいいんだということが分かっているのです。
起こってくることに対し、私がどういう対応を選択ようが構わないのです。
ただ観ていればそれでいいのです。
なぜなら、本質の私は例えどんなことがあっても傷つくこともないし、影響されることもないのですから。


余談として、明け渡しを経験した私がなぜゲートさんのもとで見性について学ぶことになったのかについて、現時点の私なりの考えを書きます。

先に書いたように、私にとって明け渡し体験による意識変化はあまりにも激しいものであり、日常生活に支障を来すほどでした。
明け渡し後、私は自閉症の長男の世話等の家庭でのことは何とか対応できるものの、仕事が殆ど手に着かなくなっていました。
今思うと、当時の私は、家族や仕事に対して自分がどうしたいのかが分からなくなっていたのかも知れません。
あるいは、日常生活から逃れたいという思いもあったのかも知れません。

また、私の心の中で、明け渡しの体験や、そのもとになったすべてを受け入れることに囚われてしまっている部分もありました。

当時の私にとって、そのままではその状態から抜け出すのは簡単ではなく、状態が落ちつくまでにはそれなりの期間が必要だったのだろうと思います。
しかし、私には自分の意識状態の自然な変化を待っている時間はなかったのです。

私は自営業を営んでいますので、もし今後私の仕事が変わっていくとしても、取りあえずはその仕事を維持し、お客さんにも極力迷惑をかけないようにする必要がありました。
また、家庭では家内と協力して息子たちを育てていく必要がありました。
このため、私は、明け渡し後、出来るだけ早く自分の意識を落ち着かせて、それらのことに対応する必要があったのです。

そのための手段として、私の場合、明け渡しから早期に見性を得るという道を選択したのだろうと思っています。

もっと踏み込んで言えば、私は明け渡しによって悟りを得たのですが、その悟りからも自由になり解放される必要があったのだろうと思っています。
それには、見性によるすべては考えであるという理解が有効だったのだろうと思います。

ただ、今年2013年4月に見性を得た後も、仕事に対する意欲が湧かない等の私の意識状態は直ぐには改善しませんでした。
状態が少しずつ改善し始めたのは、5月末にサイマーさんのイベントに参加し、さらにそれから2週間ほど経ってからのことでした。

私の体験談は次回で最後となります。
最終回は、今年5月末のサイマーさんのイベントに参加したときのことや、それに関連することを書かせていただきます。

次は今週水曜日にでも書かせていただきます。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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見性体験(5)-見性印可

2013年07月26日 09時17分02秒 | 私の体験
今日は、私がゲートさんから見性印可を頂いたときのことについて書かせていただきます。

私は今年2013年4月9日にゲートさんから見性印可を頂きました。
見性印可は、その日の講話の最後に頂きました。

実は私は、自分の見性印可が間近であることは分かっていたのです。
見性印可を間近に感じるようになる前は、私はいつもゲートさんの講話を一番前の席に座って聴いていました。
それが、見性印可を間近に感じるようになってからは、ゲートさんと目が合うと見性印可のことが頭によぎってしまい気まずい感じがして、わざとゲートさんから少し離れた席に座るようにしていたのです。

でも印可を頂いた4月9日は、講話が始まる直前になってもゲートさんの前の席に誰も座らず、席が空いたままになっていたのです。
せっかくの一番前の席が空いるのはもったいないので、暫くぶりに私はその席に座ることにしたのでした。
その席は、ゲートさんとリビングテーブルを挟んで向き合う本当に間近の席でした。

暫くぶりの距離感に戸惑ったのと、やはり自分の見性印可が頭をよぎってしまって気まずいのとで、私は殆どゲートさんの目を見ることができないまま講話を聴いていました。
それで、あることに気がついたのです。

それは、ゲートさんが放たれているエネルギーのことでした。
うまく表現できませんが、ゲートさんが放たれているエネルギーにメッセージのような、あるいはもっと抽象的な情報のような何かが含まれているような気がしたのです。

それで、私はゲートさんのエネルギーに意識を向けてみたのです。

エネルギーに意識を向け始めてから数分が経ったころでしょうか、私は考え(思考)というものが何なのかが分かったのです。
私は、ゲートさんが放たれているエネルギーから読み取るようにして、それを理解したのでした。

私はそのとき、この宇宙(現実世界)が私自身が創った「考え(幻)」であることが分かったのでした。

私たちはみな、「考え(思考)」という手段を通して、各々の宇宙を創りながら、それと同時にその宇宙を感じ、経験していたのです。
だからこそ、私たちは考えの主になり、考えを使いこなせるようになる必要があったのです。

私はゲートさんが放たれているエネルギーから読み取るようにして、それを理解したのでした。

私はそれが分かった瞬間、「これは!」と思ったのですが、それをゲートさんに気づかれるのが気恥ずかしく、講話の前半部分が終わったときも、下を向いたままでいたのです(ゲートさんには私が考えていることなどお見通しなのですが、笑)。

すると、講話の前半部分が終わったときに、ゲートさんが私に、
「慧空さん、変わられましたね」
と、声を掛けて下さったのです。
なお、講話のときゲートさんは韓国語で話され、それを通訳担当のメンバーが日本語に通訳します。

声を掛けて頂いたときは、不思議と見性のことは頭をよぎらず、私の理解をゲートさんが分かって下さったことが嬉しくて、喜びに浸っていました。

その日の講話の後半部分では、今回の東京での講話セッションは、主に韓国の101キャンドルライトのメンバーの方々のご厚意で行われているというお話しや、ひとりの人の悟りがどれほど尊く、掛け替えのないものかというお話しがありました。
私は有り難い気持ちと、かたじけない気持ちで一杯になり、目を伏せてずっと泣いておりました。

そして、その日の講話の最後に、ゲートさんが、
「今日は二人の仏陀が誕生されました」
と仰り、メンバーのKさんの名前と共に、私の名前を挙げられたのです。

私は思わず、目の前のゲートさんと両手で握手し、さらに立ち上がってゲートさんに抱き付きました。
するとゲートさんは温かく抱擁を返してくださいました。

セッション会場で同席頂いた方々からも大きな祝福を頂きました。

その日のセッション会場での時間は、決して色あせることがなく、今でも輝きに満ちています。


続きは来週月曜日にでも書かせていただきます。
私の覚醒体験談はあと2回で終わる予定です。


<補足(2014年11月19日)>

私自身の見性のタイミングについて補足したいと思います。
この文章を書いた当初は、私自身の見性のタイミングについてハッキリとした確信がなく、ゲートさんから見性印可を頂く直前におきた、すばては考えだという確信的な気づきが見性印可に繋がったかのようか印象があったのですが、それは誤解だったのです。
この誤解に気づいたのは、1年近くも前なのですが、いままで放置してました。
今回そこを補足したいと思います。

私の見性のタイミングは、この記事の一つ前の記事(見性体験(4))で書いた、自分自身の考えや行動を「私」が起こしているんだという実感が起こったときなんだと思います。


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見性体験(4)-大いなる存在の視点の芽生え

2013年07月24日 09時28分39秒 | 私の体験
自覚ワークを始めてから3週間が過ぎたころだと思います。
肉体である私の視点とは別に、なんとなくですが、もう一つ私を観ている視点があることが感じられるようになってきたのです。

また、それまでは自覚のワークの中で少し無理をしながら、私の考えや行動を「私」が起こしているんだと自覚していたのですが、それらを「私」が起こしているだということにあまり違和感を感じなくなってきたのです。
そして、自分の考えや行動、そして周りのことも、自然に無理なく観ていられるようになってきたのです。
さらには、なんとなくですが、まさしく「私」が自分の考えや行動を起こしているような気がしてきたのです。

それは、私にとっての大いなる存在の視点の芽生えであり、創造主としての自覚の芽生えだったのでした。

そしてそのとき、私は自分の見性が間近に来ていることをなんとなく感じたのでした。

見性が間近に感じられたと言っても、自分ではまだ手応えがないというか、納得がいってないというか、そんな感じだったのです。

それで、私は自分が何となく感じる大いなる存在の視点や、創造主であることの自覚を確かめたいと思ったのです。
いま一つ、大いなる存在の視点を実感できなかったのです。

そんな中、キャンドルライトのメンバー掲示板で、メンバーのMさんが書かれた自分を愛するワークについての記事を読んだときに、ピーンと来たのです。
大いなる存在の視点を実感するという私の目的に、そのMさんが記事に書かれたイメージが使えることが分かったのです。

そのMさんの記事は、確か「小さな私と大きな私」というタイトルで、大まかには、それまで自分(Mさん)は気づかなかったのだけど、大きな私(大いなる存在)は小さな私(自我の私)のことをずっと見守り、世話してくれてたんだ、という内容だったと思います。

私はコレだと思い、そのMさんが書かれている小さな私と大きな私を自分に当てはめて、早速イメージしてみたのです。

結果は思った通りでした。
私は、小さな私である自我の私と、大きな私である大いなる存在という2つの私をハッキリと実感することができたのです。
Mさんが書かれていた通り、大いなる存在である私は、ずっと私(自我の私)に寄り添い、私を見守っていたのでした。
そして、それが分かった私は、大いなる存在である私とイメージの中で抱き合ったのでした。

そのとき私は、湧き起こる感動と感謝の気持ちの余りの大きさに驚きながら、大いなる存在である私と抱き合ったまま暫くの間泣いておりました。
そのとき、二人の私は一つになっておりました。

これは、確かゲートさんから見性印可を頂く3、4日前のことだったと思います。

その間、創造主であることを自覚するワークの方も、自分なりに考えていろいろやっていました。
それについて少し紹介しますと、例えば、こうなって欲しいという未来の状況を思い浮かべ、私の周りの状況が思い浮かべたように調整されていく様子を確認していました。
但し、未来を思い浮かべるときに自分で難しいと思ってしまうことについては、あまりうまくいきませんでした。

その他のワークとしては、日常の中に変化を与え、そこから創造主である自分を実感するというワークもやっていました。
このワークでは、日常の生活の中で普段なら決してしないような変化を、できるだけ意表を突いたタイミングで起こします。
但し、その変化は実際に起こしてもいいし、起こそうと考えるだけでもいいのです。
例えば、ゲートさんの講話を聴いている最中に、席を立ってビールを買ってきて呑むという空想(考え)を起こし、一人悦に入って楽しんでいました。
他には、ゲートさんに浣腸(そうアレです、男の子が遊びでやるやつ)をする空想なんかもやっていました(笑)。

そうやって私は、自分や周りの状況が自分の意志の影響によって変化するんだということを少しずつ感じられるようになっていきました。

続きは今週金曜日にでも書かせていただきます。


<補足(2014年11月19日)>

私自身の見性のタイミングについて補足したいと思います。
この文章を書いた当初は、私自身の見性のタイミングについてハッキリとした確信がなく、この記事の次の記事に書いたように、ゲートさんから見性印可を頂く直前におきた、すばては考えだという確信的な気づきが見性印可に繋がったかのようか印象があったのですが、それは誤解だったのです。
この誤解に気づいたのは、1年近くも前なのですが、いままで放置してました。
今回そこを補足したいと思います。

私の見性のタイミングは、この記事の中で書いております、自分自身の考えや行動を「私」が起こしているんだという実感が起こったときなんだと思います。


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見性体験(3)-自覚ワークを始めたころ

2013年07月21日 08時45分42秒 | 私の体験
自覚ワークを始めたころは、自分や自分の考え(思考)を観るんだと言われても、どうやればいいのかよく分かりませんでした。
頑張って何とかそれをやっているときも、本当にそれで正しいのか手応えが得られず、まさに手探りという状況でした。
それでも教えてもらったことをがむしゃらにやっていました。

最初に私が取り組んだことは、「私」を意識することでした。
「私」がいまここにいるんだ、ということを意識するようにしました。
多くの方もそうだと思うのですが、私の場合、「私」という存在はあまりに当たり前になっていて、それまで「私」を意識したことがなかったのです。
そのため、この「私」を意識するということは、私にとって非常に新鮮だったのです。

「私」を意識すると、うまく言葉で表現できませんが、冷静に自分を観ることができ、気持ちの面でも落ち着いた大らかな気持ちになりました。

そして私は、この「私」を意識することと共に、自分の考え(思考)を観るワークを始めていったのです。

主なワークとしては、前述のようにこの自分を観るワークの他に、自分を愛するワークがあるのですが、自分を愛するワークの方は私にはあまりピンと来るものがなく、見性の直前まで殆どしませんでした。

自分の考えを観るワークでは、各瞬間ごとに自分が考えていることを観ていきました。
それを始めたころは本当に手探りの状態で、ちゃんと観れているのかよく分からないまま取りあえずやるという感じした。

そうやって頑張って自分の考えを観ていると、自分が起こしている考えを捉えられる瞬間があったのです。
そのとき初めて、考えを観ることに少し手応えが得られたのでした。

私の場合は、よく晩ご飯を材料にして考えを起こし、その考えを観察していました(このとき、晩ご飯は職場で食べることが多く、何かを買って来て食べたり、どこかへ食べに行ったりしていました)。
例えば、晩ご飯の選択肢(考え)を順番に頭の中(あるいは、心の中)で思い浮かべていき、その選択肢(考え)が思い浮かぶ瞬間や、選択肢(考え)が頭の中に留まって浮かんでいる様子や、消えていく様子を観察しました。
そのとき、そうやって考えを起こしているのも、その考えを観察しているのも、「私」がやっていることんだということを常に意識するようにしていました。

特に、「私」を意識することは日常の中で徹底的にやっていました。
歩いているときも、「私」が自分の左右の脚を動かしているんだということを意識していました。
左右の脚を前に送り出す度に、「右」、「左」、「右」、「左」という具合に、一歩一歩意識しながら歩いていました。
そして、道を曲がるときも、立ち止まるときも、「私」がそういう考えを起こしてそれを体の動きに繋げてるんだと意識していました。

食事のときもそうです。
例えば、ご飯を食べるのは、「私」がご飯を食べようという考えを起こして、自分の体を動かしてお茶碗のご飯を自分の口に運び、噛んで呑み込む様子を観ていました。
おかずを食べるときも、「私」が次に食べるおかずを選び、選んだおかずを口に運んで味わっている様子を観ていました。

そうやって少しずつ、私は自分や自分の考えを観られるようになっていきました。

また、私はキャンドルライトのメンバー掲示板(キャンドルライトメンバー用のネット掲示板です)への書き込みもやっていました。
自分の自覚ワークで気がついたことや思ったこと、分からないことなど何でも書き込んでいました。
書き込むとことで、自分や自分の自覚ワークを改めて客観的に観ることができましたし、私の書き込みに対する他のメンバーからの沢山のレスポンス(コメント)も得られ、そこから多くのことを気づかせて頂きました。

これを読まれている方は、私の自覚ワークが順調に進んだように思われるかも知れませんね(笑)。
でも私の内面では、いろんな葛藤もあったのです。
ゲートさんと最初にお会いしたとき、ゲートさんは私のことを悟っているとは言って下さいませんでしたが、それでも私は悟っていると思っていましたから(笑)。
それに、明け渡しによって「自我の私」という意識が薄くなってましたので、「私」という存在を強く意識する自覚ワークのやり方に違和感を感じたのです。
自分はもう「自我の私」はないんだということを知っているのに、どうして「私」を意識する必要があのかと思ったのです。
もっと言えば、自覚ワークが自分の悟りに逆行するもののように感じられたのです。

でもそれは、私の誤解だったのです。
自覚ワークで意識する「私」は、「自我の私」というよりはむしろ、「大いなる存在である私」のことだったのです。
それが分かってくるにつれて、自覚ワークに対する違和感がなくなり、ワークに集中できるようになりました。

続きは今週水曜日にでも書かせていただきます。

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見性体験(2)-自覚ワークとの出会い

2013年07月19日 12時39分55秒 | 私の体験
最初のセッション参加のときは、ゲートさんの講話の後、他のメンバーの方々とあまり話をする余裕もなく、直ぐに帰宅してしまいました。
でも、2回目以降のセッション参加では、他のメンバーの方々とお話することができ、見性に向かうには自分を観る自覚のワークが大切であることなどについて、いろいろ話を聴くことができました。

以下に、私が101キャンドルライトで学んだ自覚のための主なワークについて簡単に説明します。
なお、自覚ワークについてのもう少し詳細な説明を後日記事に書かせていただく予定です。

自覚のための主なワークとして、自分を観るワークと、自分を愛するワーク(愛のワーク、又はロマンスのワークと言ったりします)があります。
どちらのワークも、自分に意識を向け、本来の自分を知っていくための大変有効な手段になります。

自分を観るワークは、その言葉の通り、ただ自分を観ていくワークです。
具体的には、私という存在や、私の感情、考えていること、行動等を淡々と観ていきます。
そのときのポイントは、常に「私」を意識するようにします。
「私」がそういう感情や思考等を起こしているんだということを常に自覚するようにします。

例えば、嬉しいときは、私がいま嬉しく思っているんだな~と観るとともに、
嬉しいという感情を「私」が起こしているだな~と自覚します。

また、夕食に何を食べようか考えているときは、
「私」が夕食のメニューをころいろ選んでいる様子を観ます。
夕食を食べるときも、「私」がご飯を口に運ぶという考えを起こして、それをお箸でご飯を口に運ぶという動作に繋げている様子や、
次にどのおかずを食べようかと考えている様子を逐一観ていきます。

自分を愛するワークは、自分に関心を持ち、自分のことを愛していくことにより、本来の自分を知っていくワークです。

その具体的なワークの手法は本当にいろいろあり、また人それぞれです。
でもどの手法も、自分に関心を持つことが基本になります。

例えば、自分の素直な気持ちや欲求を自分に尋ねてみます。
「今度の日曜何したい?」と自分に尋ねてみてもいいし、
「何か食べたいものはない?」と尋ねてみてもいいのです。
また、身体が辛いなあと感じたら、素直にただ横になるというのでもいいのです。

ともあれ、こうして私は、教えてもらった自覚ワークを見よう見まねで始めたのでした。

続きは来週月曜日にでも書かせていただきます。

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見性体験(1)-講話セッションへの初めての参加

2013年07月17日 08時07分59秒 | 私の体験
今回から暫く、101キャンドルライトでの見性のための学びや見性体験などについて書かせていただきます。

キャンドルライトのメンバーになった私は、3月14日からのゲートさんの講話セッションに参加することになりました。
セッション会場は、JR大久保駅近くのホテルの一室でした。
会場となっているホテルの部屋に入ると、ゲートさんがにこやかに微笑みながら私たち参加者を迎えてくださいました。
その部屋はとても広く、10数人の参加者とゲートさんや関係者の方々を合わせると20人くらいの人がいたのではないかと思います。

ゲートさんに初めてお目にかかったときの印象は、なんて優しい雰囲気の方なんだろうと思いました。
講話をされるときの雰囲気も、講話の内容も、基本的にとても優しいのです。
その講話を聴いていると、その場にいることの心地よさや幸福感で心が満たされ、お話しの内容はどうてもよくなってしまうような、そんな気持ちになりました。
なお、ゲートさんは韓国語で話されるので、通訳係のメンバーがゲートさんのお話しの内容を日本語に訳していました。

講話セッションに最初に参加した日、私はゲートさんに尋ねてみたいことがありました。
それは、私が悟っているのかどうかを観ていただくことでした。
スピリチュアルTVの過去動画に、キャンドルライトのメンバーのお話しがあって、その中で、ゲートさんは、観ただけでその人が悟ってるかどうかが直ぐに分かるというお話しがあったのです。
それで私は、それなら私が悟っているかどうかをゲートさんに観ていただこうと思ったのです。
そして、ゲートさんに私が悟っているのかどうか観てくださいとお願いしました。

私の問いかけに対するゲートさんのお答えは、確か次のようなものでした。
「せっかくのご質問ですが、私はあなたに対して、あなたは今そのままのあなたでしかないとしか申し上げられません。」
「なぜなら、あなたは本来自由なのであって、何も制限がないのです。」
「それになのにどうして、私があなたのことをどうこう言うことができるでしょう。」
ゲートさんは、優しく微笑みながらそう答えて下さいました。

私は、そのお答えを聴いて、納得できる部分と納得できない部分があって、正直少し複雑でした。
私は悟ってるはずなのにゲートさんのあのお答えはなんなのだろうとか、
もし私が悟ってないのなら、どうして悟ってないとハッキリ仰らずに、あのような曖昧な表現をされたのだろう、などと考えていました。

でもいまから思うと、自分が悟っているのかどうかを誰かに尋ねること自体が、自分に自信がない証拠なのです。
ゲートさんがあのような表現をされたのは、誰かに言ってもらおうとするのではなく、私が自分で自らを観て確かめなさいという意味だったのだろうと思っています。


続きは今週金曜日にでも書かせていただきます。

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見性に向けて(2)

2013年07月15日 09時11分43秒 | 私の体験
I先生とお会いした後しばらくの間は、引っ越し等いろいろ忙しくしており、引っ越し作業や引っ越し後の片付け等に追われておりました。

それでも、そんなドタバタの中、ネットにサイマーの動画があることが分かり、その動画を視聴しておりました。
そして、その動画が次の出会いに繋がったのでした。

私が観ていたサイマーさんの動画は、スピリチュアルTV(http://spiritual-tv.com/)という精神世界のことを専門に扱っているネット番組の過去データだったのです。
スピリチュアルTVの過去データにあるサイマーさんの動画を順番に観ていくうち、韓国のあるマスターの講話動画を見つけたのでした。
その方がマスターゲートさんでした。

私は、ゲートさんの講話動画を視聴したとき、その講話に釘付けになってしまったのでした。
そして、次に私が会うべき人はこの方なのだと確信したのでした。
それは今年2013年の2月末か、3月初めのことでした。

それで、ゲートさんのことをネットで調べていると、なんと幸運なことに、ゲートさんが東京に滞在中であることが分かったのです。
しかも、暫く東京に滞在されて講話セッションを開かれることが分かったのです。

このときは本当に嬉しかったです。
サイマーさんは5月末に東京に来られるし、ゲートさんはもう東京に来ておられて、おまけに講話セッションまで開いて頂けるのですから、これはなんてうまく出来ているんだと思いました。
まさにこれがシンクロというやつなのかと思いました。

ゲートさんの講話セッションは、確か当初3月14日から20日の7日間の予定だったと思います。
それで、早速そのセッションに申し込むことにしたのです。

ところが、そのセッションは、ゲートさんが主催する101キャンドルライト(http://101candle.jp/)のメンバー限定だったのです(但し、その後に追加された3月25日から4月13日のセッションは一般にも開放されたものでしたが、そのときは追加セッションのことは公表されてなかったのです)。
ゲートさんのセッションに参加するには、キャンドルライトのメンバーになる必要があったのです。

これには、私も少なからず引っ掛かるものがありました。
私には、メンバーになるということが、ゲートさんの弟子になることに感じられたのです。
誰かの弟子になるのは、まだ少しばかり残っている私の自尊心が抵抗したのです。
それに、私はもう悟っているものと思ってましたので、悟っている私がどうして誰かの弟子になる必要があるのかとも思いました。
そのため、直ぐにはセッションへの申し込みをせずに、どうしようかと暫く悩んでおりました。

私がそうやって悩んでいるころ、ゲートさんと101キャンドルライトの方々は、東京ディズニーランドのホテルで、メンバー向けの滞在型のセミナーを開催中でした。
そして、その様子が先に書いたスピリチュアルTVで動画配信されていました。

もちろん、私はそのセミナーの様子をネットを通じて視聴していたのです。
その動画を通じてセミナーの様子を観ていると、ゲートさんはもちろん、そのセミナーの様子や、そこに参加しておられる方々のことが、私には大変魅力的に見え、そして何よりそこに参加しておられる方々がなんとも楽しそうで輝いて見えたのです。
私のキャンドルライトのメンバーになることへの拘りも自然に解けていきました。

そして私は、キャンドルライトのメンバーになってゲートさんのセッションに参加することを決断したのです。
それは3月8日のことでした。

続きは今週水曜日にでも書かせていただきます。
次回からは、101キャンドルライトでの見性体験について書かせていただきます。

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見性に向けて(1)

2013年07月12日 08時43分20秒 | 私の体験
次に、明け渡し体験後、見性のための学びを始める前までのことについて書きます。

明け渡しから3、4週間くらいの間、私はネットでキーワード検索をし、ヒットしたサイトの文章を読むことを延々と繰り返していました。
検索すべきキーワードが順番に頭の中に浮かんでくるのです。
浮かんできたキーワードで検索すると、不思議と私の読むべきサイトが検索結果の上位に挙がってくるのです。

そして、ヒットしたサイトに書かれた文章を読んでいくと、そこに書かれていることを思い出すようにして知っていくのです。
そうやって、私は精神世界のことを急ピッチで学んでいきました。

また、明け渡しの直ぐ後から、私の頭の中に私が誰かと会わなければいけないのだという意識がありました。
その会うべき人は2、3人の方のようでしたが、それが誰なのか分からず、モヤモヤとしていました。

そんなモヤモヤの中、10年以上前にカルチャーセンターで気功を習っていたI先生のことがふと頭に浮かんだのでした。
その瞬間、私が最初に会うべき方は、そのI先生なのではないかと思ったのです。
なお、このI先生のことが頭に浮かんだのは、先に書いた同じく気功の先生であるH先生より前のことでした。

気功を習っていたのがかなり以前のことでしたので、苦労しながらI先生のお名前を思い出し、そのお名前をネットで検索したのです。
すると幸いにI先生のメールアドレスが直ぐにヒットし、先生にメールを送ることができました。

I先生からは直ぐにメールのお返事を頂きました。
先生は、インドのクンバメーラ(インドで12年に一度行われる世界最大の宗教祭)に行かれる前でしたのでいろいろとお忙しかったようで、クンバメーラから帰られた後にお会い頂けることになりました。

I先生とお会いできたのは、今年2013年の2月中旬でした。
お会いしたとき、先生はクンバメーラのお土産と言って、小さな袋に入れらたビブーティ(神聖灰)を私に下さったのです。
それは、聖者サイマーさんのビブーティでした。

その頂いたビブーティは、何とも言えないよい香りがするとともに、気のようなエネルギーを放っていたのです。
そして、そのエネルギーを感じた瞬間、私が会うべき人はサイマーさんなんだと分かったのでした。

その後、サイマーさんには、今年2013年5月31日から6月2日の東京でのイベントで、セッションを受けることになりました。

続きは来週月曜日にでも書かせていただきます。

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明け渡し体験について(3)-明け渡し後の意識変化

2013年07月10日 09時05分54秒 | 私の体験
私の明け渡し体験の最後に、体験後の私の意識状態の変化について書かせていただきます。

先に書いたように、明け渡し体験からの1、2週間くらいは、24時間常に至福の中にあり、ふとしたことで有り難い気持ちがわき起こってきて、その度に大泣きしておりました。
世の中の景色がこんなに美しかったのかと思うほど、何もかもすべてがキラキラと輝いて見え、愛おしく思えました。
普段使うホッチキスなどの文房具や、自転車、自動車など、果てはトイレの便器にまでも、愛おしくて思わず語りかけていました(笑)。
街で見かける人たちにも、何とも言えない愛おしさを感じるようになっていました。

それまでの私は結構我の強いところがあり、街で人とすれ違うときにも私と相手のどちらが道を譲るのかをいつも意識していました。
でももうそんなことを意識することはなくなっていました。
意識しなくとも、自然に道を譲り合えるようになっていました。

しかしそのときは、自分に起きた意識の変化にあまり気がついてなかったのです。
それに気がついたのは、明け渡しから3週間くらい後で、ネット検索で見つけた気功のH先生にお会いした後でした。
先に書きましたように、明け渡しの後の私には、自分が誰かと会わなければならないという意識がありましので、それは誰だろうといつも考えていて、ネット検索等を続けていたのです。

そのH先生とのお話しの中で、H先生が私に
「あなたには願望がない。何か願望を持ちなさい。」
「願望は、あなたに生きる希望や活力を与えます。」
と仰ったのです。

H先生からそう言われたときは、そうか私には願望がないのかぁ~、確かにないよなぁ~と思う程度で、あまりピンと来てなかったのです。
でも自宅に帰って言われたことを改めて考えていて、ハッと、それが大変大きな変化であることが分かったのです。
そのとき初めて、自分に欲望も願望もなくなっていることに気がついたのです。

そして、私は変わってしまった自分や、まだ小さい息子たちのこれからのことを思い、また泣きました。
欲望も願望もなくなってしまって、どうやって現実社会で生活していけばいいのか分からなかったのです。
そのときの私には、自分がそれを出来るとは思えなかったのです。
事実既に、私は仕事が殆ど手に着かなくなっていたのです。

H先生にお会いした次の日、ネットでいろいろ調べた結果、私の欲望や願望がなくなってしまっている状態がいわゆる悟りであるらしいことが分かりました。
それで、悟った人がどうやって日常生活を暮らしているのかをあちこち調べたのです。
私が日常を生きていくために何か役に立つ情報はないかと思ったのです。
そのとき調べた範囲内では、有効な情報を見つからず、むしろ反対に、欲望や願望がなくなってしまうともう日常生活は無理で、出家するしかないということが書かれたサイトが2つほど見つかっただけした。

私はやっぱり日常生活は無理なのかと思い、もう出家するしかないのではないかと思ったのでした。
そのちょうど数日前に、東南アジアのバングラデシュか何処かの国の寺院で出家生活を送っている日本人に関するネット記事を読んだばかりでしので、その影響もあったのかも知れません。

それで、私は出家しようと思い、出家先を探し始めたのでした。
そして、ネットで見つけた東南アジア系の瞑想協会の日本支部で何か情報を得ようと、そこに電話しようとしたのです。

受話器を取り、電話番号をプッシュしている途中で、私の中で何か引っ掛かるものがありました。
本当にそれでいいのか、という心の中の声を感じたのです。
その声は、
「家族を残して自分だけ出家して、本当にお前はそれでいいのか」
と言っていました。

よくないことは最初から分かっていました。
私は一時の衝動に駆られて、自分を見失っていたのです。

そして私は、日常の中に留まって家族と生きることを決めたのでした。

でも、現実の生活は簡単ではありませんでした。
子供(特に、自閉症の長男)の相手や世話をするなどの日常の最低限のことはなんとかこなせるものの、仕事が殆ど手に着かない状態は、その後何ヶ月も続きました。
何とか少しずつ仕事が出来るようになってきたのは、明け渡しから半年近くが経った今年6月に入ってからのことでした。

私の悟後のことについては、これからこのブログに書いていきたいと思っています。
私もまだ過渡期でして変化の途中ですし、私以外の家族もまた過渡期にあるようで、そんな我が家のことも書いていきたいと思っています。

続きは今週金曜日にでも書かせていただきます。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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明け渡し体験について(2)

2013年07月08日 08時38分12秒 | 私の体験
私の明け渡し体験の続きです。

そのような至福のときのなか、私の頭の中では明け渡しの瞬間から、ダイナミックな変化が起きていました。
私の哲学や宗教に関連する拙い知識や概念がダイナミックに繋がり出したのです。

その繋がり合った概念は、ある一つの概念に繋がっていました。

その一つの概念を言葉で表現するとすると、
それはこの世の調和であり、この世のすべてであり、この世そのそのものでした。

そして、私は、この世のすべてのものは一つであることを理解したのでした。

それに伴って、この世に存在するすべての事象は、役割が異なるだけでみな等しいんだというともを理解しました。

そのとき、私の頭の中に、
この世を構成するすべての事象が、この世の調和のもと、個々の役割を持って互いに関係し合い、遷ろっているイメージが現れたのでした。

明け渡しが起きてからその夜床に付くまでは、明け渡しの瞬間、2つ、3つの概念が繋がり、続いて複数の概念が連鎖的に繋がったのだと思っていたのですが、
朝起きたときには、哲学等に関連する概念だけでなく、幼児のころの遠い記憶まで含めて、無数の知識や概念が明け渡しの瞬間に連鎖的に繋がっていたことが分かりました。

例えば、明け渡しのあった翌朝、目が覚めた瞬間に、私はうっすらと前世の記憶があることが分かりました。
私は、今生と同じ人生を何度か経験していると思ったのです(なお、私が本当に同じ人生を何度も経験しているのかどうか、本当のところは分かりません)。

それまで私は輪廻転生を信じてませんでしたので、少し戸惑いながらも、そうかそうだったのかと強く納得しながら、私は何度も生まれ変わってきて、またこの人生を経験するだと思ったのでした。
そして、それでも構わない、この人生に何度でも取り組んでやると思ったのでした。

しかし次の瞬間、次の人生はもうないことが分かったのでした。
理由はありません。感じるようにして分かったのです。

そして、もう次がないと分かった私は、この現実世界に対して言い様のない切なさを感じ、暫くの間泣いておりました。

なおこのとき、私以外の家族は既に神奈川に引っ越してまして、関西の自宅には私だけの一人暮らしでした。
職場も従業員はおらず、私一人きりの個人事業です。
このため、自分や周りを見つめて悟りを得る環境としては整っていたのだと思います。

また、私は既に書きました通り、スピリチュアルな世界のことは殆ど何も知らない状態で明け渡しを経験しましたので、明け渡しが生じた瞬間は、自分に何が起きたのかよく分かりませんでした。
そのときは、何となくこれは気づきの一種なのではないかと思っただけでした。

その体験が悟りだとある程度分かったのは、体験の3週間後でした。
また、それが悟りだと確信できたのは、マスターゲット氏から見性印可を頂き、明け渡しから約5ヶ月が過ぎたころでした。

続きは今週水曜日にでも書かせていただきます。

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読んで頂いてありがとうございました。

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明け渡し体験について(1)

2013年07月05日 09時10分46秒 | 私の体験
今日は、私に明け渡しが生じたときのことについて書きます。

明け渡しは、2012年12月20日の午後11時に訪れました。
私はブログを書くのが好きでして、その日の夜もブログのお友達に教えてもらいながら、ニーチェについて考えていました。

ニーチェは、青春時代から少し気になっていて、高校時代に一度図書館で借りてそのまま読まずに返したことがありました。
でもその後、なぜか理由は分かりませんが、ニーチェに対して嫌悪感を感じるようになり、
お友達のブログでニーチェの名前を目にするまで、ニーチェのことはずっと記憶の彼方に忘れてしまっていました。

それがお友達のブログ記事にニーチェのことが書かれているのを見て、ニーチェに対する興味が呼び起こされたのです。
そして、お友達のブログのコメント欄に質問を書いて教えてもらったり、ネットで調べたりしながら、ニーチェやその思想について考えていました。

するとなぜか、ニーチェの思想が感じるようにして分かり出し、ニーチェに対して不思議と親近感が湧いてきて、ニーチェが自分ととても近しく感じられるようになってきたのです。
それとともに、それまで仏教のことなど考えたこともなっかたのですが、ニーチェの現実主義的な思想が仏教の思想と近しいことも分かってきたのです。
さらには、仏教が自分と近しいものとして感じ始めたのです。
そのとき、なぜか仏教という思想というか存在が、無神論者である私も包み込んでくれるようなそんな感じがしていました。

いま思うと、このとき既に私の意識の変容が少しずつ始まっていたんだと思います。
そのときの感覚は、言葉にうまく表現でいないとても不思議なものでして、
後から考えると、私とニーチェが時空を超えてシンクロしているようなそんな感覚じでした。

そうしてニーチェや仏教について考えている一方で、夜8時ころだったでしょうか、私が書いているブログに、別のブログ友達からコメントの書き込みがあったのです。
いまから思えば何気ない普通のコメントだったと思うのですが、そのときの私には、そのコメントがなぜか理不尽に感じられて少しカチンと来たのです。
そのコメントをくれたお友達は、普段とても優しい方なのに、今日に限ってどうしてそんな理不尽なコメントを書くのだろうと思いながら、そのコメントに対して取りあえずの返事コメントを返したのです。

でも、ニーチェのことをネットで調べたり考えたりしながらも、そのコメントのことが気になるのです。
そのお友達はどうしてあんなコメントを書いたのかと気になるのです。
そうやって2、3時間が経過しました。

そして、そのコメントのことがどうしても気になり、あのコメントには何か意味があって、自分に何か大切なことを伝えようとしているのではないかと考えているときでした。

そのとき、私はハッと気が付いたのです。

私に対するすべての働き掛けは、みな意味があって大切なのであり、有り難いんだということが分かったのです。

その瞬間、私はこの世のすべての存在を受け入れたのでした。

明け渡しが生じた瞬間は、
大きな愛に包まれているような、何か大きな存在と繋がっているような感じがして、
言葉では到底表現できない至福が訪れ、ただただ有り難くて、
2時間くらいずっと泣いてました。

このような至福のときは、明け渡しから3、4週間続きました。
特に、最初の1週間は、何とも言いようのない有り難さと感謝の気持ちが何度も何度もこみ上げてきて、始終泣いておりました。

続きは来週月曜日にでも書かせていただきます。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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明け渡し体験までの歩み

2013年07月03日 09時10分32秒 | 私の体験
今回から暫くの間、私の覚醒体験について書いていきます。
まずは、明け渡し体験までの私の歩みについて書きます。

私はこれまで幸せよりも苦労の中から学ぶことの方が多かった多かったのだろうと思います。
そうやって私は、苦しみの中から自分や自分の人生と向き合うことを学んできたんだと思います。
なぜなら、私の場合、真我に目覚めためには、自分や自分の周りの環境と向き合えるようになることが重要な要素になっていたからです。
これは私だけでなく他にも当てはまる方が多いのではないかと思っています。
人は幸せなときよりも辛いときの方が、自分や周りのことをしっかり観て考え理解するものですから。

私が経験してきた苦労について箇条書きに書き出せば、次のような感じです。

生まれた家(父の実家)では、家庭内の諍い絶えませんでした(主に曽祖母、祖母、母の間で諍いが絶えませんでした。父の死後、私の母は私と弟を連れて父の実家を出ました)。

11歳のときには、父の交通事故、そして父の自死がありました(交通事故の後遺症を苦にしたものでした)。

その後の母子家庭という家庭環境(私の生まれ育った田舎では、当時母子家庭はまだ珍しく、父親不在による影響はいろいろありました)。

18歳ころから19歳ころの1年余りの間のいわゆる思春期鬱(すべてが無意味に感じられ、何もやる気せず家にこもっていました)。

結婚後の長男の障がい、それに伴う負担など(長男は重い自閉症でして、世話がとても大変なのです。家族にとっては一緒に近くにいるだけでも大きな負担になります)。

この程度は大したことないよと仰る方もおられると思いますが、私には辛かったです。

特に、結婚後の長男の障がいは、本当に辛かったです。
長男が自閉症だと分かったときよりも、その後の長男の世話や、
それによる負担の方がずっと辛かったです(この状況はいまでも続いています)。
長男は睡眠障がいの他、重い情緒障がい、摂食障がい、種々の行動障がいがあり、長男が起きている間はつきっきりで世話をする必要があるのです。
そんな状況の中、家内は長男の世話と、まだ小さい次男の世話で、心労により、鬱病になってしまいました。
私も仕事と家のことで、気が変になりそうでした。
いや既に気が変になっていたのかも知れません。
精神的に不安定になり他害行為や排泄行為等の問題行動を繰り返す長男を拳で殴りつけ、殺めてしまいそうになったことも何度かありました。

2012年の冬から春にかけて、私たち家族は苦悩のどん底にいました。
夜中に家内と一家心中について相談していました。
当時の家内と会話は、もう少し頑張ってみてどうにもならなくなったら、そのときは家族全員で一緒に死のうというものでした。

でも、その頃から私の心は少しずつ変わろうとしていました。
それまでは、他人と自分の境遇を比べてばかりで、自分の境遇を恨めしく思ってばかりいたのですが、自分の境遇や人生と少しずつ向き合えるようになってきていたのです。
そして、それは自分の境遇や人生を受け入れる姿勢へ変わっていき、さらには取り組む姿勢へと変わっていきました。

このころ、なぜそう思うようになったかは不明ですが、この自分の人生は自分の課題だと思うようになっていました。
自分の課題なんだからどれ一つ取りこぼすことなく、自分で取り組みたいと思うようになっていました。
また、私は冒険好きのチャレンジャーなんだと思うようにもなっていました。
もし生まれる前に自分の人生を選択することができなら、
きっと私は一番困難な人生を選択したに違いないと思うようになっていました。
これは、おおよそ2012年の夏から秋のことでした。

そして、その年の12月に明け渡しを体験することなります。


なお、自閉症の長男を児童福祉施設(入所施設です)に預けるという方法も考えはしたのです。
でも、長男を手放したくないという私たち夫婦の思いが強いのと、その当時私たちが知っていた入所施設では親から縁遠くなってしまった子供たちが多く、その中に長男を入れるのはどうしても抵抗があったのです。
それと、長男の情緒障がいや問題行動があまりに激しいので、当時私たちが住んでいたところの周辺には、長男の障がいに対してある程度適切な対応が見込める施設がなかったのです。

次は5日にでも書かせていただきます。
次回は明け渡し体験について書かせていただきます。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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