◇夢か現実か、絶対はあるか◇
今日は、悟りに関係がなさそうで、実は悟り、それも深い悟りと繋がっていることがらについて書きたいと思います。
前置きは抜きで書いてしまいますと、次の二つの問いは、一見すると悟りのは何の関係もなさそうに思われるかも知れませんが、実は深い悟り、特に解脱の悟りに至る上で、とても重要な意味を持っています。
一つ目の問いは、この現実世界は夢か現実(実体)かという問いです。
二つ目の問いは、絶対と言えるものはあるのかという問いです。
私としては、悟り云々をやる前に、まずこれらの問いについて徹底的に考え、追求して頂きたいと思うのです。
ここをうやむやにしたままでは、解脱の悟りには決して至れないのです。
取りあえず悟りの道に入り、解脱の悟りに至るまでに追求するという方法も無いことも無いですが、多くの場合、それは成功しません。
なぜなら、悟りの道中では、如何にも絶対的に見え、又は感じる概念(幻)に触れることになりますので、上記の問いに対するしっかりとした追求を経ていない方は、それらの概念を絶対なものとして、信じ込み抱え込んでしまうのです。
そのような概念としては、ここで何度も書いていますが、真理、真我、根源、空、全体、ひとつのもの、神、涅槃、「私」などがあります。
そられの概念を絶対として抱え込んでしまうと、そこで悟りの行程は止まります。
上記の二つの問いについて、ぜひ考え追求してみて頂きたいと思います。
その上で、以下の文章をお読み頂きたいと思います。
まず、この現実世界が夢か現実(実体)かという問いについての答えを書いてしまいますと、この問いに対する結論は出ないのです。
多くの方は、この現実世界は本当に有る実体で、夜寝ているときに見る夢は単なる夢で、私という意識によってつくり出された幻だと、なんとなく思い込んでおられるのだと思います。
また、そう信じたいお気持ちも分かります。
しかし、この現実世界が実体であるという確固たる証拠は何処にも無いのです。
この現実世界が実体であるという証明も不可能なのです。
つまり、この現実世界の根幹は絶対のものではなく、揺らいでいるのです。
次に、絶対と言えるものはあるのかという問いについての答えを書いてしまいますと、上記のように、この現実世界が実体であると断言できないように、何一つとして絶対と言えるものなど無いのです。
そんなことはないよ、神こそが絶対だよと仰る方がおられるでしょうが、そのあなたの追求は甘いです。
絶対であると結論を出す前に、絶対であるとする揺るぎない根拠を見つけ出すべきです。
根拠も無いのに絶対であるという結論を出すべきではありません。
曖昧なまま安易に結論を出されるのなら、その甘さは、悟りの道を歩むあなたの足取りを簡単に停止させるでしょう。
突き詰めると、あらゆることがらに根拠がなく、絶対だと断言できることは一切無いことが分かるはずです。
これは、悟り云々をやる以前の問題です。
このように、一切のことがらに、実体性、絶対性が無いのです。
その一方で、この文章を読まれているあなたには、心の中に解決したい、あるいはスッキリしたい何かがあり、悟りを求める何らかの欲求があるのだと思います。
そして、あなたは、そのようなあなた自身の心を落ち着かせ、何らかの納得を得る必要があるという、あなた自身の課題に直面している訳です。
実体と呼べるものも、絶対と呼べるものも無い中、それでも、あなたはあなた自身の心を巡る課題に取り組んでいかなければならないのです。
どこから、どう取り組めばいいのか、ここが大いに問題になります。
そのような雲を掴むような状況の中、ひとつだけハッキリとしていることがあります。
それは、解決したい、スッキリしたい、あるいは悟りたいという課題を抱えた、あなたの心が「有る」ということです。
まさに、これについては、あなたが向き合い、取り組むべき対象としてしっかり「有る」のです。
だって、あなたの心はモヤモヤしていて、それをスッキリさせたいのでしょ?
悟りを求めてるのでしょ?
もちろん、絶対に「有る」とは言いませんが、あなたの心の課題はしっかりと有る訳なのです。
それだったら、まずは、あなたの心のその課題に向き合い、取り組んで頂きたいのです。
現実世界のことや、神や真我や真理と言ったものに気を取られずに、まずは真っ直ぐに、あなたの心と向き合って頂きたいのです。
それでもし、そのあなたの心のモヤモヤがスッキリして解決できたら、他のことはもうどうだっていいじゃないですか。
そうでしょ(^^)
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
スピリチュアル ブログランキングへ
今日は、悟りに関係がなさそうで、実は悟り、それも深い悟りと繋がっていることがらについて書きたいと思います。
前置きは抜きで書いてしまいますと、次の二つの問いは、一見すると悟りのは何の関係もなさそうに思われるかも知れませんが、実は深い悟り、特に解脱の悟りに至る上で、とても重要な意味を持っています。
一つ目の問いは、この現実世界は夢か現実(実体)かという問いです。
二つ目の問いは、絶対と言えるものはあるのかという問いです。
私としては、悟り云々をやる前に、まずこれらの問いについて徹底的に考え、追求して頂きたいと思うのです。
ここをうやむやにしたままでは、解脱の悟りには決して至れないのです。
取りあえず悟りの道に入り、解脱の悟りに至るまでに追求するという方法も無いことも無いですが、多くの場合、それは成功しません。
なぜなら、悟りの道中では、如何にも絶対的に見え、又は感じる概念(幻)に触れることになりますので、上記の問いに対するしっかりとした追求を経ていない方は、それらの概念を絶対なものとして、信じ込み抱え込んでしまうのです。
そのような概念としては、ここで何度も書いていますが、真理、真我、根源、空、全体、ひとつのもの、神、涅槃、「私」などがあります。
そられの概念を絶対として抱え込んでしまうと、そこで悟りの行程は止まります。
上記の二つの問いについて、ぜひ考え追求してみて頂きたいと思います。
その上で、以下の文章をお読み頂きたいと思います。
まず、この現実世界が夢か現実(実体)かという問いについての答えを書いてしまいますと、この問いに対する結論は出ないのです。
多くの方は、この現実世界は本当に有る実体で、夜寝ているときに見る夢は単なる夢で、私という意識によってつくり出された幻だと、なんとなく思い込んでおられるのだと思います。
また、そう信じたいお気持ちも分かります。
しかし、この現実世界が実体であるという確固たる証拠は何処にも無いのです。
この現実世界が実体であるという証明も不可能なのです。
つまり、この現実世界の根幹は絶対のものではなく、揺らいでいるのです。
次に、絶対と言えるものはあるのかという問いについての答えを書いてしまいますと、上記のように、この現実世界が実体であると断言できないように、何一つとして絶対と言えるものなど無いのです。
そんなことはないよ、神こそが絶対だよと仰る方がおられるでしょうが、そのあなたの追求は甘いです。
絶対であると結論を出す前に、絶対であるとする揺るぎない根拠を見つけ出すべきです。
根拠も無いのに絶対であるという結論を出すべきではありません。
曖昧なまま安易に結論を出されるのなら、その甘さは、悟りの道を歩むあなたの足取りを簡単に停止させるでしょう。
突き詰めると、あらゆることがらに根拠がなく、絶対だと断言できることは一切無いことが分かるはずです。
これは、悟り云々をやる以前の問題です。
このように、一切のことがらに、実体性、絶対性が無いのです。
その一方で、この文章を読まれているあなたには、心の中に解決したい、あるいはスッキリしたい何かがあり、悟りを求める何らかの欲求があるのだと思います。
そして、あなたは、そのようなあなた自身の心を落ち着かせ、何らかの納得を得る必要があるという、あなた自身の課題に直面している訳です。
実体と呼べるものも、絶対と呼べるものも無い中、それでも、あなたはあなた自身の心を巡る課題に取り組んでいかなければならないのです。
どこから、どう取り組めばいいのか、ここが大いに問題になります。
そのような雲を掴むような状況の中、ひとつだけハッキリとしていることがあります。
それは、解決したい、スッキリしたい、あるいは悟りたいという課題を抱えた、あなたの心が「有る」ということです。
まさに、これについては、あなたが向き合い、取り組むべき対象としてしっかり「有る」のです。
だって、あなたの心はモヤモヤしていて、それをスッキリさせたいのでしょ?
悟りを求めてるのでしょ?
もちろん、絶対に「有る」とは言いませんが、あなたの心の課題はしっかりと有る訳なのです。
それだったら、まずは、あなたの心のその課題に向き合い、取り組んで頂きたいのです。
現実世界のことや、神や真我や真理と言ったものに気を取られずに、まずは真っ直ぐに、あなたの心と向き合って頂きたいのです。
それでもし、そのあなたの心のモヤモヤがスッキリして解決できたら、他のことはもうどうだっていいじゃないですか。
そうでしょ(^^)
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
スピリチュアル ブログランキングへ