◇自覚の手応えは腑に落ちるまで◇
ここ何週間か、自覚や私を捉えることの手掛かりについて、何かよいヒントになるものはないかと考えていました。
この点について、やっと今の私なりの結論に到達しましたので、書いておきたいと思います。
自覚とは、最も単純化して言えば、私に意識を向けることでです。
しかし、その肝心かなめの私は、あるとも無いとも言えない捉えどころのないものです。
ですから、そもそもところ、私に意識を向けることも、私を捉えることも、とてもやり難く、困難なことなのです。
そこを敢えて取り組んでいこうとするのが、自覚なのです。
ですから、自覚の行程は、ああでもない、こうでもないという手探り、試行錯誤の連続となります。
自分の感覚だけが頼りです。
しかし、そのような暗中模索の行程にも、時折、確かな手応えを得られるときがあるのです。
例えば、「私がこれをやっているんだ!」とか、「私が考えに囚われていたんだ!」とか、「私がそう考えていたんだ!」ということに、ハッキリと気づいたり、それが腑に落ちるときがあるのです。
これは自覚を続けていれば、必ずあるのです。
どうか、その手応えが得られるまで続けていただきたいと思うのです。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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