◇改めて幸福論と本心について◇
少し前に「幸福論と本心」というテーマで記事を書いたのですが、どうも今一つしっくりしないまま書いてしまい、そのままになっていました。
そのもやもやしていた部分が私の中でやっとハッキリしましたので、改めて記事にしておきたいと思います。
短刀直入に書くと、私という存在にとって本心が重要、もっと言えば本心だけが重要なのであって、それ以外はどうでもいいのです。
本心に悟りが含まれている場合は、悟りも重要になりますが、そうでないなら、悟りだってどうでもいいことなのです。
つまり、本心に向き合えているか、取り組めているかが重要なのであって、幸せかどうかなんてどうでもいいことなのです。
本当に自分にとって大切なこと、どうしてもやりたいことがわかっていれば、幸せかどうかとか、幸せになれるかどうかなんてことを気にせず、その大切に思うことや、やりたいことに取り組むはずなのです。
しかし、そうやって幸かどうか等を度外視して本心に向き合い、取り組むと、その取り組みそのものが揺るぎない幸福なものになるのです。
なぜそうなるのか、その理由についても、改めて考えてみると実は簡単なことなのです。
それは、私たちがどういうときに幸福感を感じるのか、その源泉というか、メカニズムに着目すれば簡単に説明が付くのです。
私たちは、起こっている衝動や欲求や衝動が満たされたときに満足感やそれに伴う幸福感を感じるのです。
私たちに起こってくる衝動や欲求は、浅い本能的といか動物的なものから、最も深い本心に関するものまで多種多様なものがありますが、それらの衝動や欲求の中で、私たちにとって最も深く重要度の高いものがやはり本心に関するものなのです。
ですから、私たちの中にあるその最も深く本質的な衝動、欲求である本心に向き合い、取り組むことで、自ずとそれによる揺るぎない満足感、幸福感が起こってくるのです。
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