2008年10月19日、大分県国東半島へ講演会へ行ってきました。
小国から朝早く、車で向かう道のりの中で、国東半島の思い出を聞きました。
今から・・・36年前。
日本各地で展覧会をしていた須永博士、20代の頃は電車やオートバイで旅をしていましたが、30歳になり、念願だった車を手に入れました。
小さなライトエースに、作品をいっぱい積んで自分で運転し、会場に着くと一人で荷物を降ろし、夢いっぱいの展覧会場を作る・・。
展覧会の期間は、会場を訪れる人と出逢い、詩を書き、展覧会が終わると車に荷物とその土地での出逢いを積み込んで、また次の会場へ・・・。という日々でした。
そしてもうひとつの楽しみが、日本各地の展覧会のあと、自分で地図を調べて行きたいところへ行き、その場所で感じたことを詩に書くことです。
36年前の11月、北九州・小倉で展覧会があり、そのあと目指した場所が
大分県国東半島でした。
30歳の須永博士は、21歳の頃に苦しんだ対人恐怖症の自分ではありませんでした。
人に出逢うこと、自然に出逢うことがこんなにも輝いて見えるんだと希望にあふれている自分がいました。
行ったことのない場所へ初めて自分の力で行った時の感動が、詩集「青春まっしぐら」の後ろのページに続いています。
その中で国東半島へ行った時の詩があります。長い詩ですので、次のページで紹介します。
10月19日、36年振りに向かった国東半島、近づくにつれて、あの時の自分を思い出している様子が私にも伝わってきました。
私は国東半島の外周を走る国道を通って行きたかったのですが、高速杵築インターを降りて、ナビどおりに走ると、気づいたら国東半島の真ん中の山道に入り込んでました。走るうちに、山が深くなり、柿がたくさん実っていました。
詩の中では「柿の実ひとつ」とあります。
11月に訪れたと言っていましたので、今よりも熟した柿だったのでしょう。
じっと座っていたら、横にあった柿の木にたった一つ残っていた柿の実が静かに落ちてきたそうです。
山道を走らせると、大きな岩が突き出ている場所、仁王像が立っていたり、稲刈りあとの藁を組んだ田んぼ、この道に引き寄せられてきたかのような
あの36年前を須永博士に思いださせるような景色が広がっていました。
須永博士は今回、講演会というかたちでまたここに来れたことを心から感謝していました。
講演会でも多くの皆様が来てくださり、大成功に終わり、そしてその翌日、今回の講演を実現してくださった長尾さんに案内していただき、須永博士がどうしても行きたかった場所へ行くことができました。
その場所がこの写真の「熊野魔崖仏」(くまのまがいぶつ)です。
36年前に一人で訪れた場所でした。
その頃はカメラを持っていなかったので、写真も取れなかったこともあり、絶対に今回写真を撮りたいと思っていたそうでした。
小国に帰り、今回の旅の感想を聞きましたら、
「あの日の自分に逢えた」
と話していました。
66歳になり、いろいろなものを手に入れた今、もう一度あの日の自分を思い出したことは、とても大きなことのようです。
全てのことに純粋に感動していた自分、夢と希望がいっぱいだった自分、まだ自信をもって生きるには時間がかかっていたあの頃、それでも精一杯生きていた自分。
今回の旅で得たものが、また須永博士の次の旅へのエネルギーになりました。
すみません、結局長くなりました。
それでは、次は詩集「青春まっしぐら」に書かれている詩を紹介します。
小国から朝早く、車で向かう道のりの中で、国東半島の思い出を聞きました。
今から・・・36年前。
日本各地で展覧会をしていた須永博士、20代の頃は電車やオートバイで旅をしていましたが、30歳になり、念願だった車を手に入れました。
小さなライトエースに、作品をいっぱい積んで自分で運転し、会場に着くと一人で荷物を降ろし、夢いっぱいの展覧会場を作る・・。
展覧会の期間は、会場を訪れる人と出逢い、詩を書き、展覧会が終わると車に荷物とその土地での出逢いを積み込んで、また次の会場へ・・・。という日々でした。
そしてもうひとつの楽しみが、日本各地の展覧会のあと、自分で地図を調べて行きたいところへ行き、その場所で感じたことを詩に書くことです。
36年前の11月、北九州・小倉で展覧会があり、そのあと目指した場所が
大分県国東半島でした。
30歳の須永博士は、21歳の頃に苦しんだ対人恐怖症の自分ではありませんでした。
人に出逢うこと、自然に出逢うことがこんなにも輝いて見えるんだと希望にあふれている自分がいました。
行ったことのない場所へ初めて自分の力で行った時の感動が、詩集「青春まっしぐら」の後ろのページに続いています。
その中で国東半島へ行った時の詩があります。長い詩ですので、次のページで紹介します。
10月19日、36年振りに向かった国東半島、近づくにつれて、あの時の自分を思い出している様子が私にも伝わってきました。
私は国東半島の外周を走る国道を通って行きたかったのですが、高速杵築インターを降りて、ナビどおりに走ると、気づいたら国東半島の真ん中の山道に入り込んでました。走るうちに、山が深くなり、柿がたくさん実っていました。
詩の中では「柿の実ひとつ」とあります。
11月に訪れたと言っていましたので、今よりも熟した柿だったのでしょう。
じっと座っていたら、横にあった柿の木にたった一つ残っていた柿の実が静かに落ちてきたそうです。
山道を走らせると、大きな岩が突き出ている場所、仁王像が立っていたり、稲刈りあとの藁を組んだ田んぼ、この道に引き寄せられてきたかのような
あの36年前を須永博士に思いださせるような景色が広がっていました。
須永博士は今回、講演会というかたちでまたここに来れたことを心から感謝していました。
講演会でも多くの皆様が来てくださり、大成功に終わり、そしてその翌日、今回の講演を実現してくださった長尾さんに案内していただき、須永博士がどうしても行きたかった場所へ行くことができました。
その場所がこの写真の「熊野魔崖仏」(くまのまがいぶつ)です。
36年前に一人で訪れた場所でした。
その頃はカメラを持っていなかったので、写真も取れなかったこともあり、絶対に今回写真を撮りたいと思っていたそうでした。
小国に帰り、今回の旅の感想を聞きましたら、
「あの日の自分に逢えた」
と話していました。
66歳になり、いろいろなものを手に入れた今、もう一度あの日の自分を思い出したことは、とても大きなことのようです。
全てのことに純粋に感動していた自分、夢と希望がいっぱいだった自分、まだ自信をもって生きるには時間がかかっていたあの頃、それでも精一杯生きていた自分。
今回の旅で得たものが、また須永博士の次の旅へのエネルギーになりました。
すみません、結局長くなりました。
それでは、次は詩集「青春まっしぐら」に書かれている詩を紹介します。