6、7年前のことですが、生長の家の勉強会で或る信徒の家を訪問し、そこの主人に「生長の家」を信仰し始めたきっかけについて尋ねたことがありました。するとその主人は、まだ小学生の時の戦後間もない頃の話だといってこんな話を聞かせてくれました。
その頃、お母さんは病気で臥せっていた。どんどん痩せて行き、おばあさんがもう助からないだろうといっていたのを覚えているという。
そんなある日、見知らぬ一人の男がやって来て、「少しでいいから話を聞いて欲しい」と言う。父親が忙しいからと再三断るが、その男はしつこく「少しでいいから聞いてくれ」と言うので、玄関先で少しだけ話を聞いた。どんな話をしたかは知らないが、最後に男は「今の話が分かったら、大分気分もよくなっている筈だ」と言って帰って行ったという。
父親が臥せっている母の元に戻ると、母が「何だか今、急に気分がよくなった」と言う。それで父親が先ほどの男の話をすると、母は「その人の話を聞きたい」と言うので、父親はすぐその男の人を探しに行った。が、見つからないので近所の人に、「こんな話をしていった男がいるが知らないか」と尋ね歩いたが、誰も知らないという。
それ以後も心当たりを探し、やがて戦後東京の方から疎開してきた若林という隣村にいる人だとわかった。
それで若林さんの家を訪ねて、事情を話して再び自宅まで来てもらい、話をしてもらうことになった。
おばあさんは、「こんな病人にどんな話をするのだろう」と心配そうだったという。
若林さんが来ると、臥せっている母親の近くに寄り、最初「ありがとうございます」は言えるかと聞いた。
母親は「それ位なら言えます」と答えた。
若林さんは「それは良かった」と言い、次のように話した。
「これから毎日、目がさめている間、ご先祖様やお父さん、お母さん、それからお世話になったすべての人々を思い出しながら、ありがとうございますと言いなさい。それが出来たら、今度は障子や柱、畳や天井、目に見えるもの凡てに「ありがとうございます」と唱えながら感謝しなさい。きっとよくなりますよ」と、およそこんな話をしていった。母は言われた通り、「ありがとうございます」口で、疲れれば心で唱え続けた。
そして、3日後、それはお彼岸の日だった。見ると仏壇にお供えしてあったお彼岸団子が目に留まり、それを食べたいと言い出した。家のものが心配して、もう少し良くなってからという者もいたが、結局、その団子をうまいと言いながら食べた。その後急速に回復に向かい、やがて買い物にも出かけるようになった。
村の人たちが良かったねと言ってくれるので、お母さんはその経緯を話す。すると、村人たちも若林さんの話を聞きたいと言い出し、それでまた若林さんを呼んで話をしてもらった。その時集まった人の数は80人だったという。その時の話を父は次のようにメモしている。
①大自然、太陽系、宇宙の創り主は誰か?
太陽、地球、そして夜空の星は一定の法則によって精確に運行されている。
②地球上の「人間を頂点とする凡ての生き物」は誰が創造したのか?
③いのちある生き物は神によって創られている。特に人間は神の最高の自己顕現であり、「神の子」である。
④だから私たちは一切の人々に感謝し、天地の万物に感謝し、心からありがとうございますと合掌すれば、そこに神の愛が顕われ、病は消える。神様は病気を創り給わず、病気は本来ナイからだ。
⑤人間は神の子・仏の子であり、大自然・大宇宙を創造した大生命を頂いている。
天地すべてのものと和解した時、そこに神――神の愛が――顕れる。
今まで感動させられた話はたくさんありますが、この話ほど深い感銘を受けたことはありません。
若林さんは有名人ではなく、言ってみれば名もなき人であるが、世の中には、こんな人もいると知ったことはとても大きく、それ以来、若林さんは遥か遠いながら、私の「あこがれ」の人になりました。自分の名前を「若林」と変えたいぐらいに。(笑)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これからの人生を1歩でも近づくことを思いつつ、書かせてもらいました。
遠い遠い夢ですが、私も若林さんのように見知らぬ家を訪ね、「僕の話を聞いて下さい。きっとよくなりますよ」といえるようになりたいと思います。
まあ、夢のまた夢ですが。
丁寧で、わかりやすい随筆をありがとうございます。
和解と感謝と「待つ」が人生のテーマに感じます。
初心にもどり素直に実践したいと思いました💫
感謝します(*^^*)