東日本大震災から10年が経ち、風化する記憶をたどる3月11日。
被害が大きかったのは東北の太平洋沿岸で津波被害を受けた地区。
多くの犠牲者が出て町のすべてが津波で流され消失した映像を観てボランティアに行く決意。
だが大きな被害もない東京でも食料品やガソリンの入手も困難な生活が続き
仕事上でも入手困難な品物も出てしまい毎日走り回るような忙しさに見舞われた。
震災から1か月が過ぎ宮城県南三陸町にようやくボランティアセンターが開設され
ガソリン携行缶を買えたのは4月下旬になってしまったが準備も整い
ゴールデンウィークの合間に夜行日帰りの強行軍で行きました。
このフォトチャンネルは2回目のボランティアに行った時に撮影しました。
5月22日の南三陸町
この翌朝、出勤した父が脳梗塞を発症して救急搬送しボランティア活動は中断。
父の葬儀、四十九日法要と納骨も済み一人で仕事を続けるとともに
会社から買い上げた商品を支援物資として届けた様子が次のフォトチャンネルです。
2011年9月 支援物資運搬
これらの活動を加入する労働組合のかわら版で紹介してくれましたが
ブログの内容が教宣部の目に留まり名指しで批判を受けました。
日本共産党は被災地の事よりも原発反対集会に組合員を動員してましたよね。
他地域の労働組合青年部が被災地でボランティアをする様子が機関紙で紹介されると
江戸川支部でも慌てて被災地ボランティアを企画し震災から2年後に始まりました。
こんなこともあり日本共産党が大嫌いになりましたけどね~