Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

慧妙、中面。日蓮正宗。他宗教破折。破邪顕正の新聞。音楽はなし

2024年09月14日 10時46分53秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
慧妙、中面。日蓮正宗。他宗教破折。破邪顕正の新聞。音楽はなし 慧妙の見開き中面を主な記事を朗読。日蓮正宗に関する記事。他宗破折、破邪顕正の新聞紙。音楽は今回は無し。以上。よしなに。wainai 

慧妙、日蓮正宗。創価ニセ本尊の恐怖!体験談。フォークギター練習

2024年09月14日 09時18分14秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
慧妙、日蓮正宗。創価ニセ本尊の恐怖!体験談。フォークギター練習 慧妙は、日蓮正宗の機関紙でもなく、ただの同人誌的な意味合い、位置。大白法も法華講連合会の産物。唯一、大日蓮のみが、日蓮正宗の機関誌としてて言えると、視聴者の方の厳密な宗内の建て分け方を教わり、非常に為になった。成程。これを一字一句、疎かには出来ないな、と思った。以上。よしなに。wainai 

大白法、アメリカ発の体験発表。異流義破折創価学会。フォークギター練習

2024年09月13日 15時20分45秒 | 東日本大震災・震災関連・大地震・津波・世界・日本の災害・被災地事情
大白法、アメリカ発の体験発表。異流義破折創価学会。フォークギター練習 大白法、令和六年九月一日号。アメリカ人の折伏体験記。異流義破折は創価学会について。遂に久遠元初の仏も捨てた?!フォークギターは、自由に音を鳴らして、単曲で、チューリップや、君が代を演奏してみる。まだ下手には違わないが。やるだけやった気概は買って欲しい。以上。よしなに。wainai 

大白法、法華講学生部研修会参加して。2024年R6年9月1日号。ギター

2024年09月13日 14時13分29秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
大白法、法華講学生部研修会参加して。2024年R6年9月1日号。ギター 大白法、法華講、学生部、研修会に参加して。2024年R6年9月1日号。アコースティックギターの練習曲を大雑把に弾く。熱は下がったが、咳や鼻水が止まらない。以上。よしなに。wainai 

大白法の続きを読む。日蓮正宗。高等部編。ギター初歩からの一歩

2024年09月13日 11時20分00秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
大白法の続きを読む。日蓮正宗。高等部編。ギター初歩からの一歩 大白法の続きから読んでいく。日蓮正宗。高等部編。ギターもこの先が見えない。今が肝心な所か。フォークギターも奥深い。以上。よしなに。wainai 

今夜はギターONLYで!~練習を積むひと時~

2024年09月12日 21時01分45秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・ギター・電子ピアノキーボード
今夜はギターONLYで!~練習を積むひと時~ 夏風邪をこじらせてしまい、長い事、動画が出られなかった事を残念に思います。今日は本を読む事は身体が許さず、ギターの音のみです。それと途中咳の音が入ってしまい、お見苦しい所をお見せしました事、お詫び申し上げます。以上。よしなに。wainai 

このタチの悪い夏風邪も終焉が見えて来た、風邪への対処法、風邪をひかないために

2024年09月12日 10時47分19秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私が連日騒いだ、タチの悪い夏風邪も退治への潮時が来た。
 昨日9月11日水曜日夜。シャワーを浴びて暫くネットサーフィンをしている間に体温はPM11時半には37.2度。
 今朝方、簡単な朝食を摂り、朝の勤行唱題を果敢に進めて、ネットサーフィンしつつある、現在AM11時になろうとする前の時、体温を計ると、36.6度と、平熱に戻っている。
 しかし、せきや鼻水が非常にまだ酷い。だから今日も訪問看護の方には、熱はもう何とか正常平常モードだが、せき鼻水がまだ続くので、まだ我が家へは近寄らないように、と又もや言い渡してある。
 とにかく季節の変わり目。人混みの中や日中の寒暖差。これからは寒くなる季節に合わぬ薄着姿はまだ酷暑が続くので心配ないですが。又はこの時期特有の秋雨前線、台風等による、雨に打たれたままの服装で居られたりはしていないでしょうか。風邪の原因となりうるので濡れた衣服は乾いた服へと即交換。いつでも寒くなれば薄着から長袖へのチェンジ。外出時、羽織り一枚持つ心の余裕を ! 等々を即実行へ移しましょう。
 これが、今、絶賛、夏風邪でやられている、私からの渾身のメッセージです。
以上。よしなに。wainai 

再度、登場、J保さんの人柄の良さ、記憶力の良さ

2024年09月11日 16時52分20秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 今から三十年位前の、作業所時代の歴代の同じ仲間・人脈に、これはすごい人、J保さんという、学歴は中学校卒だが、中学卒業後、就職列車で東京まで働きに行った程の働き者であり、人格的にも非常に尊敬出来得る人がいた。

 彼の話は、数年前に当ブログ記事で、歌を一度聞いただけで誰よりも早くしかも正確に簡単に覚えてしまう特技を持っている。それを皆の前で暗唱して歌って見せる。ムードメーカー的な感じもあった、と書いた。

 私は彼と一緒に同じ作業所で働ける喜びを感じていた。御兄さんと慕っていた。この時、私、二十代前半。J保さん、四十代頃か。

 T橋とかいう、インテリぽくて、実際には真の両親じゃなくて、それら両親が遺した遺産で別の親代わりの人に育てられて、大学まで卒業してエンジニアになった男に、J保さんは中卒で就職列車に乗って東京へ行った、一体それはいつの時代の人なのかねえ、といってせせら笑われていたのが、私には非常に許せなかった。

 そして、そのJ保さんは、私の家の宗教にも非常なる理解を示した。

 私は、私の家の宗教が、当時は創価学会であったが、その時にはもう既に、学会は要らぬ騒動を惹き起こし御宗門からは破門となっていた。

 私達学会員も、その当時数年間は、一応、創価学会にも属し、日蓮正宗にも属する、という、複雑なる機構の歯車の軋(きし)みの中で、私の希望志望は、その頃の願望では、「日蓮正宗」が一番の伝統宗教でもあり、法灯連綿、唯我与我、血脈相承、法水写瓶、それらの教えが、当時の学会では教われなかったが、母からは見事に御宗門の御事をそれとはなしに聞いていた。

 母は常に、自分らは「日蓮正宗信徒」だと言った。御僧侶は大切にしなければならぬと。東京立川市にいたおばあちゃんも、母からもらっていたお小遣いで、定期的に総本山へ行っていた。おばあちゃんも人生後半は、大石寺御登山に打ち込む程の信仰厚き者の一人であり、それを後ろ楯で資金面で母が大事にサポート守護保護、親孝行を立派に努めたのだった。

 そんな環境の我が家だったから、創価学会という新興宗教なんかよりも、日蓮正宗という伝統宗教が私はその頃から大好きだった。

 大体、新興宗教の創価学会は「価値創造」の学ぶ会、なんて言って、当時から教えていた事は、打倒 ! 日顕(上人)宗、などと口汚く罵るチンピラ団体か、国家権力と結び付いて、横暴を振るう公明党を自分の手駒にしていた当時の池田名誉会長率いる悪党下等下衆集団の、極悪の邪教の創価と邪政治団体公明に日本の中枢部に段々と国民皆が静かに知らない内に忍び込ませて送り込み、最期最終段階は日本を乗っ取る。それを彼らは自身で「総体革命」と呼ぶ。実際事実、計画的にそうなってるのだから恐ろしい。

 これらを聞いてるだけでも何か胡散臭い。不穏な匂いがする。

 それに比べて、「日蓮正宗」という御名前の何と美しい事か。正に、日蓮の正しい宗なのである。

 あと、正宗の「正」の字は、一を止どめん、とも読めて、これは初心に帰れと言うことなのだろうか。

 しかし、私はその頃、今から三十年位前のころは、正宗式の祈りをまだ一度も祈ったことがなかったのだが。

 それは創価式の祈りも全く知らない。その頃の私ほど宗教に無頓着な人物はいない。

 ただ、福島県立安積高校でもらった、勝手に配られたギデオン協会の英語と日本語が両ページ載っている新約聖書は後生大事に抱え持っていて、時々読んでみては、重要な箇所に線を引きまるで本がボロボロ状態に。(のちに日蓮正宗無量山寿海寺に全ての邪教の本、勿論、旧・新人間革命他、聖書等何十冊、創価の書籍が一番多かった。それに神社等のお守り、あとはニセ本尊の類いは全て返納廃却した)。

 私が本格的に祈り出すのは、1998年夏の八月の、栃木・福島で起こった大雨災害で、白河西郷にしごうで、福島県の障碍者施設・太陽の家が流されて幾人も亡くなられたのを契機に、忸怩たる思いと、これは何か天か仏様といったものが、自分に信仰を振るい起こせとばかりに、自ら思い至り自然と行い出した勤行唱題行であった。その時まで、時系列で、あと数年間は待たねばならぬ。

 それら以前から、我が家は日蓮正宗だ!といつしか私からは皆にカミングアウト、発表を大々的にする事になる。これはその当時でもまだ、学会員の正宗信徒の資格停止にはまだかなりセーフだったので、日蓮正宗創価学会は磐石で不滅と思われたが実際違くて残念至極だが、やはり創価は失敗してしまったが、その頃の我々学会員は、日蓮正宗を名乗る事も出来たし、日蓮正宗に移籍する事も自由だったのである。(これは今でも日蓮正宗に帰伏する事は立派に全て可能です。私自身うちの母含めてその一人一人ですから)。

 皆、驚く人もいれば、しかし、創価学会員の人なんかは多くて、ある人など、正宗の坊主は耳にヘッドフォンをして題目唱えて、その姿はまるでヘッドロックされたオウム真理教とやってる事はおんなじと、明らかにウソ・デマと判る事を大袈裟に語る学会員もいた。

 結局、皆、その場一同の前では、当時の私は教学が一切なく、本当にwainaiさんは日蓮正宗の信徒なの?と聞かれる度に、この先程登場したJ保さんが、私を守ってくれて、wainai君は日蓮正宗だよ、と極めて断定的に私の応援に回ってくれた。

 J保さんは、個人の宗教的遍歴が彼の人生上あったみたいで、立正佼成会にその頃最近は入っていたみたいで、その他、彼の車のバックミラーには神社の守りがいくつもある程、邪教にまみれてはいたが、創価の当時からの狂暴性には恐れを為していた模様だった。それに長年の勘で、彼は伝統宗教の日蓮正宗へは畏敬の念慮すらあったようだった。

 私があの当時、今位の日蓮正宗教学があるならば、必ずや、彼を折伏している筈だ。そうしてそれが実れば、その育成にも華麗に取り組んでいた所だろう。

 母が、ある精神科病院の老人病棟にいた頃、そこの売店は我々が元々いた作業所の系列の経営だ。

 ある日、これはコロナまがいなどが流行る前の事だが、その売店の店長格に当たる、その作業所の所長に会い、しばらくお話をした。

 すると意外な事が判った。

 先ず、亡くなってしまった人、一家離散した人、入退院を繰り返す者、ずっとあれから入院中の者等…。その成り行きは決して楽観視出来ないショッキングなものであった。

 しかし、なぜか、私は大方聞いて自分で何か胸にストンと落ちるものがあった。

 結局、この時、勿論、大変親しかった、J保さんの事を聞くと、もう同じ作業所には年齢的に通えず、遠方から車で来ていたがそれも廃車にして、今では遠方まで送り迎えしてくれる車で移動する、別の作業所だか、デイサービスに通っているという。

 私の日蓮正宗信徒狂言詐偽はその後、見事にバレたが、最もガッカリしたのが、そのJ保さんだったかもしれない。それ以前、日蓮正宗教学に疎い私に、特に学会員は罵詈雑言、悪口罵詈でいじめるような真似をした創価学会員達。(特に「日顕(上人)宗 !」などと言う)それに対して、wainai君は日蓮正宗の信者なんだかんない!と強い口調で私に応えていたJ保さん。

 彼こそが法華経の諸天善神の一分ではなかったかと、今更ながらに思う今日この頃だ。

以上。よしなに。wainai 、長文失礼。

体温が平熱に戻って来た。せきはまだ出る、でも大部少なくなって来た。鼻水は今の所止まってる。全てはシャワーでサッパリしたお蔭

2024年09月10日 21時30分24秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 今日の格言。風邪の時でも、時こそ、風呂シャワー類を活用すれば、新陳代謝が活発になり、症状が断然改善する。
 体温が、平熱に極めて近い、37.4度と、段々下がって来た。
 これは、私は、ここ数日間と言うもの、全然風呂、シャワーの類には無縁の生活を送っていたが、今日という今日は我慢がならずに、シャワーの御蔭で、かえって体温があっけなく下がってしまっている。
 そして、私は、数年前に、二回目だか、三回目は打たなかったのか、覚えていないが、コロナワクチンを打った時に、これも、救急車を呼ぼうか、と思う程の、関節の節々の痛み、やはり熱が出てのぼせて、汗をかき、吐き気と、体が熱いのに悪寒と、これはもう、やっぱりシャワーだわ、と一目散に風呂場へ向かった。そうして出て来て、体温計で計ると、その通りに、体温が下がっていたのだ。
 この時に、私の折伏主でもあられる、G元講頭さんと、一つの盟約を交わした。このワクチンは何かがおかしい。私(G講頭さん)はそう思う。それにしても、この一回の注射だけで、二週間~一か月間も床の中で横たわらせたこのワクチンが憎いと。普通のワクチンではないと。効き方がおかし過ぎると。
 そして、彼女、G元講頭さんは、只だからって、打つのが危険な場合がある。或る方など、生活に苦しんでいるが(今はどこの家もそうですが…)立派に、三度目のワクチンはやらない、と私(G元講頭さん)にハッキリ告げて、それを見事実行に移したという。
 それじゃあ、私らも、とその私の折伏主のG元女性講頭さんも、私らは連合を組んでいるみたいに、我も我もと、そんなインチキワクチンのお世話になんかならない、と宣言するかの如くに、取り止めた。
 私は、あのワクチン自体が、コロナウイルスというのが仮にあればの話だが、あれが培養されて、無毒化が果たして出来たのかどうか。私には判らない話である。
 とにかく、昨日よりも、今日の晩の方が、気持ち、楽になって来たので、ほっとしている。世の中、人様を、コロナ感染者扱いして、それによる差別もコワいし、私は一人暮らしであり、誰も、私一人を守ってくれる人などはいないのだから。これも私の不徳と致す所。
 何とか、快方に向かいたいと望んでいるし事実、向かっている。何か、希望の星が一つ輝いているのが見えた気がした。
 結構今日は終日家で過ごしていても、素晴らしい日であった。明日もシャワー浴びよう。

 ※編集後記
九月十一日深夜三時近くに起き出して、体温を計ると、36.7度である。最早平熱である。
これに今の私のせきやら、鼻水さえ
治って頂ければ、これ以上の幸いはない。
以上。よしなに。wainai

コロナのせいだけじゃないと思う。これは悪い夏風邪だ!!

2024年09月10日 06時57分48秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇

 昨日、モミの木クリニックへ本当に久し振りに行き、コロナの検査を受けた。
 すると、陽性、コロナです、と先生からは言われた。
 私は、高熱が今の所も出ていて、これは、三十八度台の高熱のままなのだが、私は、コロナなんて、この世には敢えて、無いものだとも思い至っている。
 いわゆる、達観、という奴である。
 しかし、人にはうつし兼ねないので、本当に医師から勧められた通りに、五日間は外出を控える。確か、マスクは、自分が相手からウイルスを受け取るのは避けられないが、自分のウイルスはまき散らさなくて済む、というのは本当だかどうだか、判らないが、その関係で、五日目から十日目までは、マスク姿、となるのか。非常に情けなく、カッコ悪いなあ、とも自身忸怩たる思いである。
 私のお寺の人にも、その事を私の事情を話すと、私はずっと、マスクはつけてなかったし、付けても、使いまわしの、カッコだけのマスク姿であり、それじゃあダメ、とは言われたが、あのマスクの、繊維の網の目のどこに、それら本当にウイルスを防げようというのだろうか。 その根本を私は問いたい。
 だから、私は、これは、コロナという名の、悪い夏風邪なんだと思う事に今決めた!誰に何と言われようとも。
 私も思い出してみて、高校を休学中の、1990年代、高二の時にも、私は駅前の映画館に入り、空気が十分換気がされずに、汚い空気だな、と判っていたのだが、その場に一時間余りいて、たまらずに出て来た。
 その後に、私は今、と同じように、その時は四十度を超す高熱を出した。しかも、当時の我が家の体温計は、今は電子式が主流だが、その当時は水銀式の体温計で計ってもその温度だから大したものだと思う。
 その時、母が手配してくれた、タクシーに乗り込み、当時、コスモス通りにあった、本宮医院という、主治医の所まで、母と運転手さんが私を抱えて、やっとの思いで担ぎ込まれた。
 母は、思い切って、私が入院する事も覚悟したようだったが、現代のような熱下げ止め等は確か出さずに、茶色のあれは何て言う名前だろう、これも確か「ルゴール」のようなものを塗って、ハイ、一丁上がりとばかりに、薬も極めて少なく出した。おそらく、せき止めすら出されなかった気がする。
 母は、熱を出すのは、体が病気と戦っている証拠なので、冒頭の入院を望んだ話とは矛盾するが、熱下げ、せき止めの類いは要らない主義だったので、この医院を選んだ。しかし、今の時代は(その当時は)どこもパパみたいな交通事故の重傷にでもならないと、助けてはくれないのね、といつも私が入院出来ないのを悔やんでいた。(まあ、この時代の古い世代の母にとっては、熱冷ましせき止め薬すら認めない、現代だったら虐待で訴えられかねない、古風な人間だったと言うことだ)。
 しっかりと、私の異常が見つかれば、親心から、何でもしてやりたい、そんな気丈で優しい母でもあった。
 あの時は、私は自転車の旅に出ていて、北の南福島、松川などの、福島市方面へと、自転車旅行をして、その帰りに、疲れている、抵抗力がない所での、その悪い空気に触れてしまったのだった。
 それだから、今とは違って、原因ははっきりとしている。しかし、私の今現代の様なそれを、「コロナ」などと大声で叫んでマスゴミ等が発表などは決してしてはいなかった。
 あの頃のマスコミと、今のマスゴミとの、両者の間には乖離があるのだろう。 
 そういえば、私が初めて高二の留年が決まり、詰まりはその翌年にも、今度は、星ヶ丘病院に入院が初めて決まった時にも、私は高熱を出し、大病をした事がある。(やっと母の望んだ入院という形とはいえ悲しい話だが。余り今日の所は自分を責めたくはないので皆様許して欲しい)。
 私はその頃は、男子校特有の手の付けられないヤンチャ坊主のようであり、少し暴力的でもあった。
 それが、打って変わって、トイレに行くのも、壁伝いで、やっとこさ行く状況であり、私が、おむつは出来ないのか、と訴えると、そんな若い人で、おむつする人はいない、と看護婦さんに即、却下された。
 とにかく、この時も、似たような、夏の高熱が出た、これを今でいえば、「コロナ」となり得るであろう。この時の私も、四十度近くの高熱だったのであるからして。
 そして、私の他害の気分もやっと収まり、私は、その風邪によって、気分も収まり、性格も温和となり、その病室の仲間たちとも、非常にフレンドリーで仲良しになれたのである。
 これを、私が同じ作業所で知り合った、J保さんは記憶力が非常に良くて、あの時wainai君は高熱出していたばい。僕らは皆で心配してたんだよ、と仰ってくれた。彼とはその後、日蓮正宗の件で話したい事が沢山あるから、今日はこの位にする。
 本来ならば弱り目に祟り目であり、私の普段から人を見下した態度をなじられて、いじめられてもしょうがないのに皆さん何て良い方ばかりなんだろう、という御話しだ。
 しばらく、私との面会謝絶が続き、うちの母は非常に心配していたようである。やっと母に会えるようになったのは、私の誕生日が過ぎた、九月間近かそれ以降の、今頃であった。
 これなども、二年連続で私は、夏風邪の、高熱を四十度を超えて出していたのだ。これは、これすらも、その当時、悪い風邪が流行っている、とマスコミが報じれば、それがその時のマスコミは、まだかしこかったから、ちょうどバブル景気の時でもあり、日本が最も盛り上がっていた時であり、コロナなどとは、呼ばれなかった。
 とにかく、私はどんなに高熱が続こうと、結果が出て、貴方はコロナ、の烙印を押されようが、私は正々堂々としたい。
 ただ、うつしたらまずいので、訪看さんその他には、我が家に寄らないように、との打診だけは出している。
 とにかく、私は、今は苦しいが、いつかは治るもの、そんなに騒ぎなさんな、と、気分も大きくおっぴろげて、他の人にはうつさないように、気を付けたいと思う。
 以上。よしなに。wainai、長文失礼。

福祉の恩恵にあずかっている私、高熱を出してしまい…。

2024年09月08日 19時05分24秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
これはみずみずしい梨である。一個は既に食べてしまった。それ程にお腹が空いていた。そして、下は、黒糖かりんとまんじゅう二個と、ゆべしである。

 昨日の晩から、37.6度、38度台後半、遂には、今日の午後二時には、39.1度まで行ってしまっている。九月九日深夜二時近くには、39.6度である。(参ったなあ!?)
 これを安易にコロ〇とは断定できないが、私の相談先の訪看さん、訪問看護の方は、それは、立派なコロ〇じゃないの?この一週間どこ行った、と聞かれて、それはそれは、八面六臂の活躍で、或る時は郡山駅前の旧国道四号。病院関連関係。それから、私には、近所のコンビニ、母の施設等々、沢山の場所、場面を潜り抜けて来た。
 これを、一概にコロ〇とは断定できないが、明日、内科の、以前お世話になっていた所、病院に行ってこようとも思っている。
 まあ、たとえ、コロ〇と診断されようとも、ショックは受けない自信がある。かどうかは、今後次第で、全く良くは分かっていない。
 何のために、皆様のブログで研鑽を積んで勉強して来たのか、訳が判らない。とにかく、薬というのも、対症療法の、効いてるんだかどうだか判らないのが、医学の世界だとは思っている。 

 それでも、私には応援団が沢山いて、福祉相談室が、本来ならば、休日中は、サービス停止の状態なのに、わざわざ、夕方、私の家に寄ってくれて、冷たく冷えた梨とおやつ、何か、黒糖かりんとまんじゅうやら、ゆべしを届けてくれた。これには、非常に助かった。何しろ、私は昨日の歌会以来、どこへも外出してはいなかったからだ。
 その御恩恵を私は一身に受けている。近所という事もあるが、私は極めて地の利に富んだ住宅街に住んでいる。時折、私のお題目が大きいと迷惑を掛けてしまい、妨害にも遭うが。だから今では、小声でお祈りしている。
 それにつけても、福祉の人たちは皆、優しい。それも紙切れ一枚の契約書に書き表わされていて、それが、様々な縛りがあるのだが、それらを度外視したって、私は福祉の応援団に護られていると、ひたすらに感ずる。
 日頃の私を見守る、福祉関係者の皆様に、最敬礼!

以上。よしなに。wainai

歌会・郡山短歌研究会「群山」その2。二〇二四、R6年9・7(土)AM十時、於:大槻公民館

2024年09月07日 17時37分31秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
淡海(あわうみ)をまなかにおきて雪渓をのこす飯豊は朝のけぶり(先生作)

「淡海」(あわうみ)=猪苗代湖。みずうみ。海はしおうみか?淡水と塩水の違い。
「七月の歌」
「朝のけぶり」の「に」作者が見ているな、という歌となる。
もや、けむりが流れて来るような。

「写生」自分の考えなしに作った歌。

ここで私から先生には質問、アンド提案。

今日持って行った、岩波文庫の、「子規歌集、土屋文明編」から、表紙を飾る、歌の解説を、是非にと、頼んだ。
それは、

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽針やはらかに春雨のふる

であった。
これに対して先生は、

理屈では解釈できない。

この「」が何を意味するのか。
多分、ここで切れる。
いつの歌か。(私は本の索引のページをサッと探って、一応、明治33年4月21日の歌と判る)
正岡子規は、1867年に生まれて、1902年に亡くなっている。先生は大体、明治35年9月19日没、と調べた。
子規は、自分の(子規の)人生の余生、最期に差し掛かり、病床で伏していた時の歌、自分でも死ぬのは分かっていた。

正岡子規は、「写生」を重んじて、提唱した。
古今集・新古今集をも、「写生」で批判した。

その、短い人生で、言い足りなかった部分を、
伊藤左千夫、斎藤茂吉、土屋文明らが、受け継ぎ、補足、継承、発展させた。

(生徒さん)
さくら花咲き初む()あの日われを待ちつつ母は逝きたり

この歌を「仙台本部に直された」()と。
」を入れなければ終止形なのでここで止まる。人によってはここで止める人もいる。
(生徒さん)やっぱり「」は入れた方が良いと思う。
(先生)切れ目がない歌。感動を表す為、切った方が良いのでは、と思った。(先生談)。
先生は、「われを待()」の方が良いと。

文語文法のおさらい。(生徒さんの古文法の先生への質問)
初(そ)む 
そめ ず(ば)未然形(そめたらば)
そめ て   連用形
そむ     終止形
そむる とき 連体形
そめれ ば  已然形(⇒現代語に訳すと、「ので」)
そめよ    命令形

(私の先生へ質問)
短歌結社「群山」という名前の由来を知りたい。
(先生)万葉集から取った名前。
扇畑忠雄東北大学教授の命名。
長歌の中の一節。
扇畑先生の意図、意向は判らないので、
今度調べて来ます(先生)。
先生から、先生のお父様の当時の昭和52年6月26日発行の、著者、國分清雄先生の立派な体裁の御本をただで皆で頂戴した。
奥付から、その御名前、住所等が書かれ、私と同じく、旧制中学、福島県立安積中学校、(現福島県立安積高等学校)卒業後、福島県師範学校(現福島大学)を卒業されて、短期間兵役に就き、その後、郡山市立金透小学校教諭を出発点として、昭和四十二年三月三十一日、郡山市立大槻小学校校長として、私の我が母校を最後として、満三十七年の教職を去る。
歌を作り始めたのは昭和五年。店頭で初めて手にした「アララギ」であり、それに投稿しつつ、斎藤茂吉先生の選を受けた。時に十九歳であった。
戦後、昭和三十八年、「群山」に入る。
正統な茂吉の流れを受け継いでいる、正に正統派である。
今、生きていれば、115歳位。65歳で亡くなられた。
もう少し生きていれば、群山の発展に寄与したのかも知れない(先生談)。
その間も病魔と闘い、寿泉堂総合病院主治医先生にお世話になりつつ、人生の大半が闘病生活であった。後書は、昭和五十二年五月二十四日に書かれている。

とにかく、私自身も、こんな風な、立派な歌人になりたい!と望む者である。
それにもまして、私の所属するこの歌会、郡山短歌研究会「群山」の東北アララギ派の流れを立派に汲んだ、凄い流派だという事に、今まで気付けなかった自身の愚かさをひたすらに自重しつつ反省し感ずる次第である。

要するに、修行、特に「仏道修行」が足りない私である。これが今後の最大一の、問題、課題となる事は必定と見えて候。

以上。よしなに。wainai
これが國分滿先生のお父様の、國分清雄先生の御著書、歌集である。『軒の葡萄棚』とあり、当時、送料は著者負担で、本の値段、1,500円、とあった。
以上。よしなに。

歌会・郡山短歌研究会「群山」その1。二〇二四、R6年9・7(土)AM十時、於:大槻公民館

2024年09月07日 14時56分40秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
 歌作、作歌活動、歌をつむぎ歌う事は、作ろうと思って作るんじゃない。言いたい事、自分が一番いいたい事を言う。「衝迫(しょうはく)」=斎藤茂吉。

詠歎(感動を表現)
一、詠歎の助詞 は、な、かな、も、や、ね、を(かなし
二、詠歎の助動詞 かり(悲しかりけり
三、詠歎的余剰を含み得る らむ、べし、より、よ、に、か、ふ、つつ
 
動詞の終止形止め〇
   連体形止め
   已然形止め
意味 ~なあ、~だなあ、~のことだなあ

最初は私の歌。

去年(こぞ)の夏カルガモ一家我が寺に巣を作りてしやがては去りぬ

「去年の夏」=これは必要。「カルガモ一家」=必要。作りて
「し」は強調。(「やがては」=いずれ去る「やがて」は「去年の夏」がなければ成り立つ。)
(生徒さん)「やがては」の所がなんかないのかなあ。
もうちょっと、違う言葉がないのかなあと。
「カルガモ一家の状況」
(男性生徒さん)その後はどうなったのか?
私。このカモたちは、夜中の内に一斉にいなくなった。ネコに襲われそうな時は、母ガモが一生懸命になって追い払っていた。そして、忽然と姿を一夜にして消えた事から、近くの、小山田橋という橋がある川(「小山田川」だか「亀田川」だかサッパリ判らぬが)に行って、親子で巣立って行ったものと思われる。
 (先生)短歌は状況を言うと説明的になるので×。「具体的に」(説明的じゃなく)。しかし、「固有名詞」「地名」等は、これは短歌においては有力な武器、道具となり得る。積極的に使って下さい。
作り方を変えた方が良い。親ガモがネコに襲われそうになる、それを守った親ガモ。そこをクローズアップして、もう一段掘り下げてみては?
 この歌の、この内容の、これでは、ただの「報告書」=状況説明に過ぎない。

(先生の私への励まし)最初から短歌の歌詠みが出来る人はいない。数多く作らないといけない。

(生徒さん作)
団塊の朋(とも)が逝く夏別の知らせや礼服あはず新調をす
(先生)意味としては分かりやすい。
(生徒さん)「別の知らせや」がいらないのでは。
(生徒さん)「別」とは別れの「別」なのではないのか。
(私)この歌の前半は別れを歌っている。そして後半は服が太って来て合わないおかしみ、ユーモアでまとめている。これはこれで、二つの歌意が混ざっているようだが、そうではなく、同時に、ドイツの哲学者、ヘーゲルの如くの、反、合、反、と、止揚、アウフヘーベンしていて、私はこうした作りの歌は結構好きだ。
(先生)上の句の下の句と、どっちが言いたいか?
(作者の生徒さん)人が、友が、どんどん亡くなってゆくのが言いたいが、女房にも夫婦で洋服が合わない、ユニークさを出したかった。

ここで、先生の今日の私の質問の話
NHK短歌講座の「作歌のヒント」レビューに、ついて、ああいうアマゾンなんかの書評、レビューは玉石混交。
平安・鎌倉の時は、貴族文化、公家文化。あいさつ程度の歌・作歌。

正岡子規(以降)の作歌態度、作風、姿勢は、全生命を懸けたぶっつけた歌。

(生徒さん作)
桐の花高きにありて見下すか見守り咲くか風とささやく

「桐」=高嶺の花。高貴。「桐」の位の高さ。豊臣秀吉の家紋。皇室の家紋。戦国時代に秀吉が乱発し、価値が下がったが、今でも高貴。この場にいる生徒さんにも、先祖を辿れば、秀吉に繋がり、家紋も五三の桐、五七の桐、などがあるという。
ちなみに、我が家の家紋は下がり藤、である。そして母から伝説的に聞かされたのは、我が家は平氏、平家の末裔であり、その、壇ノ浦の戦いで源氏に敗戦後に、落人(おちうど)、落ち武者となって、山口県から、はるばる、鹿児島県の奄美大島まで落ち延びたと言われている。これは余談です、ハイ。

とにかく、話を戻すと、この歌は、高い位置に咲く花と高貴さとの、「二重構造」の二つの意味を持った歌。
「風とささやく」=擬人化。短歌としては、「擬人化」すると意味が失われる。結社にも色々あるが、「群山」は「写生」が第一。
読者に任せる。読者は同じ歌を読んだ時の、その人の心の中を自分で感じ取る。「ささやく」では、「結論」になってしまう。
「見下す」=これも、みくだす(「桐」の権威)、か、みおろす(あたたかみ)自然な感じが…。(作者)「みおろす」かな。
(先生手直し)
桐の花高きにありて見下(おろ)すか見守り咲くか風に揺れつつ

(先生)短歌は単純なのが良い。
(生徒さん)桐の花が頑張って、というのか、五月の中で。
(私)桐の花って見た事が無い。そもそも、桐の木ってみた事が無い。キリの下駄は履いて持っていて、今でもうちにあるけれども。
 (先生・皆さん一同)今の若い人は、言われても判らないですよ。
(この前、前回の八月の歌会でも、私は幼稚的な質問「ほたるぶくろ」ってなんですか、とやってしまい、それの説明に先生は時間を取って教えて下さった。しかし、その時電子辞書が手元になくて、今、今日、植物だったと知った次第。生徒さんも花の色は、桐も蛍袋も同じ色、紫色、というので、桐は今日は、電子辞書で調べて現場で分かったが、蛍袋は、帰って来て今日分かった。よく見る花だと思った。雑草と間違えそうな。しかし、桐が何とも言えない不可思議さがある)

(生徒さん作)
公務なきけふは終日(しゅうじつ)晴れ予報汗流しつつ庭の手入れす
(私)「終日」は「しゅうじつ」なのか「ひねもす」なのか。釈然としません。昔それこそ、貴族か何かの歌に「ひねもすのたりのたりかな」といった歌がありましたね。
(生徒さん)これは「しゅうじつ」と読みます。「ひねもす」ではありません。
(先生)「群山」の「扇畑先生」=「土屋文明」がアララギ派の直接の愛弟子、継承者。その直系の、扇畑先生が、仰るには。
わかりやすい字でいいんだ!わざと、難しい字は使うな!感動を出すんだ!
「谿(たに)」「たに」にもこんな字もあるが、「谷」でいいじゃないか!

「公務なき」(先生)具体的な方が良い。
自分の感情の中心がどこに行くのか。
(生徒さん)解放感があったので…。昨日までに、昨日作った歌。うれしくて。
(先生)「公務なき(今日)」と最後に持って来た方が良い。
自分の生活の中からモノ事を見てゆく。忙しい中で、やっと時間を見つけて、
そのハツラツさを表現出来たらいいなあ。
(以下、次の歌の歌評へと続く。乞うご期待!)
以上。よしなに。wainai


歌会・短歌の会「群山」二〇二四・R6・8・3(土)AM10時~「郡山短歌研究会」前月分

2024年09月07日 13時48分16秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
先生:これからは本部の仙台に直さないで出す事に決めた。
先生:最初から自分の感想を言ってはいけない。⇒最後の歌を皆の意見を聞いた後、自分の意見を言う事。

我語る言葉に真面目な顔をして我が事の如く母は聞きにき

(私の作)短歌は言わないのが原則だが、隠れているものを引っ張りだす、キーワードがある。
「真面目な顔をして」(ポイント)
歌の語源=うったえる   万葉集=相聞歌(恋愛の歌)が多い
(私)私がこの一首は取り上げない方が良かったか、先生に問うと、むしろ、この一首を、いかに手間を掛けて、問うて、変えるかにかけるべきかと。
 

繋がれて悲鳴あげつつ餓死したるフクシマの牛裡(うち)に消えざり

消えずけり→おかしな点。学校文法。消えざりけり。語尾のないものを。
美し・く(シク活用)⇒現代語 美くし・い 美く(しく)なる
高し             高い
消えずけり 茂吉にもある(ないのではなく、使ってよい)
先生「この歌は一般的な歌」

(歌は)実地(現場を見て、自分の体験を歌う)
(作者の生徒さん、動物が好き)正岡子規「写実・写生論」=アララギ派=扇畑先生。
その中にある人の哀しみ。
万葉集は当て字。あ=安。阿をあてる人がいる。のちに平仮名が出来た。片仮名でもよい。

(生徒さん作)
アマガエルどこまで登る窓ガラス・おまえの里は光の国か

「光の国か」ここからはアマガエルが住む所。そこでは終わらない。
(生徒さん)ほんわかした気分
(私)福島の詩人の草野心平さんの感じがする。
(男性の生徒さん)昼間の印象。舌が長いカエル。そんなおもちゃもある。食欲旺盛。吸盤がある。どこまでも上ってゆく。
(先生)すっきりしていい。
(作者)カエルの視点で見た世界
(先生)いろんな意見が出た。考えさせられる歌。ひらめきが大したものだ。

(男性生徒さん作)
盆帰省孫に会えると部屋かたしあれもこれもと大はしゃぎか・「も」もが足りなかった。
「も」詠嘆の終助詞 かも=そうだな、おおはしゃぎしているな。現代だと、かもしれない、だが。
斎藤茂吉は方言も結構使う。
「かたし」は辞書にも載っている。関東・東北で使う。「ほかす」=関西=捨てる=郡山弁「なげる」。
郡山弁。「バスからおちる」「おとす」=降りる。

珈琲に添へて持ち来し花二輪蛍袋と店主の言ひつ(先生作)
「蛍袋」紫色の袋。昔、蛍を入れた袋。(今、電子辞書で調べたら、そういう名前の植物らしい。紫色の花に蛍を入れて、子供の頃に遊んだ人も多いだろうとは思う)
岳温泉の様子。
先生はカウンターに座った。外国人が多かった。店主の粋な計らいで
「蛍袋」が出て来た。
現地を見ると、一番見えて来る。

言ひつ、言ひつ(る) 言ひぬ、言へり、 言へる、言ひ(き)「き」過去形
言はる 助動詞 言ふなり 言ひけり→古文書では過去形もあるが短歌では100%「詠歎」。 言はな 言はるる 言ひつ・や 言ひつ・「も」=かは詠歎の助詞。 

「連体形止め」ぬるの連体形止めは見た事が無い。

珈琲に添へて持ち来し花二輪蛍袋と店主の言ひつ

万葉調にすると、
珈琲に添る一花(ひとはな)紫をほたるぶくろといひにけるかも
「けるかも」万葉集によく出て来る言葉。

これの改作の次第。
手に取れば、一輪の花紫を
(こっちでは判らないかな)
(生徒さん)野原で一輪取ってみたのかな、とか。

(生徒さん)
夏が好き今年は言えないあまりの暑さにほど良い暑さで
氷が食べたい

(先生)リズムが……。
五・七・九・八・八…。

扇畑先生は、新しい言葉もどんどん作って欲しい。
斎藤茂吉、逆白波(一言にして印象を深めた)茂吉の造語。
今は一般化した。

(改作)
夏好(ず)きも今年の夏は暑すぎるクーラー利かせて氷を食べむ」
生徒さんがどう思うか?
(生徒さん)この暑さ「地球温暖化」入れられなかった。「ほど良い」がイヤだ。「いつもの」

以上。よしなに。wainai


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