三島の砲兵連隊と銀杏並木 「日大通り(静岡県三島市)」 2009-11-21 22:25:31 | 近代戦史 三島の日大通りにある銀杏並木も黄色く色づき始めてきました。さて、この銀杏並木はどうして出来たかご存知でしょうか? 1919年(大正8年)に野戦重砲兵第2連隊が横須賀から移転してきました。1929年(大正9年)には野戦重砲兵第3連隊が和歌山から移転して両連隊で野戦重砲兵第1旅団となりました。 連隊が移転してから道路の幅が広げられ、それを記念して植えられたのが銀杏並木です。 第2連隊は現在の北中から日大の場所に、第3連隊は北高から税務署の場所にあり、現在東レの工場がある場所は練兵場になっていたそうです。 ↓よろしかったら投票をお願いします #静岡県 « 箱根の土木遺産 (神奈川県... | トップ | 三島の暦と茶碗 「三嶋暦師... »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (しずおかk) 2009-11-22 22:39:33 砲兵連隊が移転するために、道路の拡幅が行われたんですか。そういえば、陸上自衛隊の駐屯地や演習場が集まる富士山麓の道路の橋は、重たい戦車が渡れるように、丈夫そうな造りになっていますね!! 返信する しずおかk さん (てるみんこふ) 2009-11-22 22:52:27 昔は重たい大砲を馬で引いていたため、馬糞で悩まされたと聞いています。今は学校が多く並ぶ地区で歩哨小屋が残っていなければ、軍事施設があったとは思えないですね。 返信する そちらも (にころん) 2009-11-24 17:30:32 だいぶ色づいてきましたね。この辺はよく通ったなあと、ちょっと懐かしくなりました。 返信する にころん さん (てるみんこふ) 2009-11-24 20:40:47 日大通りは車で普段よく通るのですが、歩いたのははじめてかも ^^; 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
今は学校が多く並ぶ地区で歩哨小屋が残っていなければ、軍事施設があったとは思えないですね。
この辺はよく通ったなあと、ちょっと懐かしくなりました。