浜松城は曳馬城という城でしたが三河から遠州へ入った家康が武田信玄の侵攻に備えるために曳馬城を拡張して浜松城と改名しました。岡崎から本拠を浜松に移した家康は元亀元年(1570年)から17年間を浜松城で過ごします。
家康が浜松で天下統一の足が掛かりを作り、また浜松の城主となった大名は老中などの重職に就くことが多かったので出世城とも呼ばれています。
![野面積み](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/a2/02c3364b9d29026d57cd2de50eb84704.jpg)
コンクリートで再建された天守閣がありますが、当時の様子が一番残っているのが石垣です。野面積みと呼ばれる自然石を上下に組み合わせて積み上げる方法で。石垣の内側にも小さな石と砂利を詰めて、石垣の表面にも詰め石を施してあります。
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たしかに、掛川城に比べるとちょっと見劣りする気もします。
なる程、納得だけどやっぱり凄い
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今みたいに重機がないから城を作るのに大変だったでしょうね。
石垣が築かれた年代や誰が指揮したかなど詳しいことはわかっていないそうです。
四百年も崩れずに残っているのが凄いです。