◎神奈川県◎
横浜市歴史博物館の常設展示は横浜市の古代から現代までわかり易く展示してあります。実写とCGを使った15分間のシアター・歴史劇場や図書・ビデオ映像閲覧、パソコンを使った資料検索なども出来るコーナーも備えています。
現在、特別展として「古代の役所と地域社会」展が開催中。古代にあった武蔵国都筑郡家(ぐうけ)の資料を中心に、静岡県藤枝市の志太郡衙跡からの出土品なども展示されています。
博物館の連絡通路を通って、大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡公園へ行く事ができます。
公園の入り口には歴史マンガが描かれていました。
大塚遺跡は港北ニュータウンの開発に伴い発掘された弥生時代中期の集落跡です。集落の回りに溝を堀り防御されいる環濠集落で大規模なムラだったようです。
歳勝土遺跡からは25基の方形周溝墓が発見されています。大塚遺跡で暮らしていた人々の共同墓地だったようです。
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横浜市歴史博物館の常設展示は横浜市の古代から現代までわかり易く展示してあります。実写とCGを使った15分間のシアター・歴史劇場や図書・ビデオ映像閲覧、パソコンを使った資料検索なども出来るコーナーも備えています。
現在、特別展として「古代の役所と地域社会」展が開催中。古代にあった武蔵国都筑郡家(ぐうけ)の資料を中心に、静岡県藤枝市の志太郡衙跡からの出土品なども展示されています。
博物館の連絡通路を通って、大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡公園へ行く事ができます。
公園の入り口には歴史マンガが描かれていました。
大塚遺跡は港北ニュータウンの開発に伴い発掘された弥生時代中期の集落跡です。集落の回りに溝を堀り防御されいる環濠集落で大規模なムラだったようです。
歳勝土遺跡からは25基の方形周溝墓が発見されています。大塚遺跡で暮らしていた人々の共同墓地だったようです。
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◎静岡県◎
沼津市の西端にある「桃里」地区は昔は浮島沼の一部でしたが、鈴木さんという人が開墾して村ができました。鈴木さんは遠州出身で安倍郡下足洗新田(現・静岡市葵区下足洗新田)を開拓した後、元和元年に2代目がこの地に移り住み浮島沼を開墾しました。
開墾をした土地は鈴木さんの名をとって助兵衛新田と名前が付けられました。しかし時代が移ると「すけべえ」という名前は卑猥である、こんな名前は嫌だということになり、明治41年に桃の生産が盛んだったので「桃里」と改名されました。桃里の記念碑は旧東海道沿いにある浅間愛鷹神社に建てられています。
その記念碑よりもう少し西へ行った所に鈴木和太郎氏の像が建てられていました。助兵衛さんと関係は不明ですが、野菜・果樹の栽培に熱心で、後に鈴和観光という会社を興したそうです。台座に「日本経済新聞」が彫られているのは「日本経済新聞」を愛読して経済を学んだためだそうです。
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開墾をした土地は鈴木さんの名をとって助兵衛新田と名前が付けられました。しかし時代が移ると「すけべえ」という名前は卑猥である、こんな名前は嫌だということになり、明治41年に桃の生産が盛んだったので「桃里」と改名されました。桃里の記念碑は旧東海道沿いにある浅間愛鷹神社に建てられています。
その記念碑よりもう少し西へ行った所に鈴木和太郎氏の像が建てられていました。助兵衛さんと関係は不明ですが、野菜・果樹の栽培に熱心で、後に鈴和観光という会社を興したそうです。台座に「日本経済新聞」が彫られているのは「日本経済新聞」を愛読して経済を学んだためだそうです。
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