食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

シリアルの始まり-アメリカの産業革命と食(4)

2022-04-19 12:27:52 | 第五章 近代の食の革命
シリアルの始まり-アメリカの産業革命と食(4)
アメリカの朝食の定番はシリアルと言われるように、アメリカ人はシリアルが大好きです。スーパーマーケットの売り上げはパンよりもシリアルの方が多く、清涼飲料水と牛乳に次いで第3位となっているそうです。

シリアルには甘いものが多いですが、最近の健康志向から砂糖などの甘味料が敬遠されやすいため、海外でのシリアルの消費量は頭打ち傾向にあるそうです。

一方、以前は日本のシリアルの消費量はそれほど多くなかったのですが、近年になってナッツやドライフルーツの入ったグラノーラの人気が急上昇しています。

さて、今回は、19世紀のアメリカでシリアルが誕生し、発展して行く様子を見て行きます。

シリアルの誕生には健康な食生活を望む社会の要請がありました。また、その発展には、兄弟間、そして会社同士の争いがありました。それは、どのようなものだったのでしょうか?


(大雄 陳によるPixabayからの画像)

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歴史を振り返ってみると、19世紀頃までは太っていることは富と健康の証しとされ、肥満は理想の体型とされていた。西洋の裸婦画の多くで、豊かな脂肪をたくわえた女性が描かれているケースが多いのも、十分に食べられないという生活が一般的であった中で、太っていることが裕福さの証明と同時に「美女」の条件であったからだ。

アメリカでは、19世紀の後半から食糧の生産量が増えたことによって、食事はより豪華で高カロリーなものに変化した。例えば、朝食では、白パンに豚肉を食べるのが普通になっていた。このような高カロリーの食事をして太ることは、生活が豊かになった印であり、喜ばしいことだった。

19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、アメリカでは太っていることを誇りにする上流階級の結社「ファット・マンズ・クラブ」が人気を博していたという。会員になるには、少なくとも200ポンド(90キログラム)の体重が必要で、「デブを徹底的に謳歌する」というのが彼らのスローガンだった。

しかし、肥満が進むと病気が増えるのは今も昔も変わらない。また、産業革命によって工業化が進むと、工場から排出される排気ガスや排水で生活環境の汚染が起こり始め、これも人々の健康をむしばみ始めた。

このような中で「シリアル」は健康的な生活を送るために開発されたのである。

最初のシリアルは、1863年に医者のジェイムズ・ケイレブ・ジャクソンによって発明された。彼は健康を害した人のための診療所を設立し、新鮮な空気・大量の水・良質の栄養の3つを軸とした治療を行った。この良質な栄養のための食事として開発されたのが、グラニュラ(グラノーラとは違う)と名付けられたシリアルだったのだ。

グラニュラは、グラハム粉(全粒粉より粗びきのコムギの粉)を水でこねて固めたのち、一口大に砕いてから焼いたものだ。しかし、とても固くて食べにくかったため、世の中に広まることはなかった。

ジャクソンのグラニュラ以外にも、コムギなどの穀物の粒を丸ごと炒って粉砕したシリアルのようなものは町中で売られていた。しかし、それらは大きな樽に入れられていて、すくい取ってポンド売りするのが一般的だった。しかし、これは衛生面で問題があった。

ちょうど人々の衛生観念が高まってきた頃だ。産業革命によって世の中が豊かになると、風呂や洗濯の回数が増えるなど、人々は清潔さを重視するようになっていた。このような機をとらえて、1870年代にニューヨークのパン屋のジョージ・H・ホイットが箱詰めしたシリアルを売り出すと人気を博すようになり、やがて企業化して大体的に販売されるようになった。

さて、シリアルの代表と言えばコーンフレークである。コーンフレークとは、トウモロコシの粉を水で練ってから加熱し、板状に加工した食品だ。

コーンフレークは1900年前後にアメリカのケロッグ兄弟によって生み出された。医師で療養施設の管理をしていた兄のジョンは、食によって患者の健康状態を改善しようと考えた。彼のポリシーは、肉抜き砂糖抜きの全粒粉を用いた健康的な食事だった。そして、弟のウィルと協力して患者が食べやすいようにフレーク状の食べ物を朝食用に開発したのだ。

最初はコムギを原料にしていたが、1898年にはトウモロコシが原料として最適であることを見出した。こうしてコーンフレークが誕生したのである。コーンフレークはサクサクとした食感が新鮮だったためか、患者たちに大好評だった。

ところで、弟のウィルは療養所の経理を担当しており、経営を安定させる責任があった。そこで、コーンフレークを健康食品として患者以外にも売り出し、利益を上げていたようだ。

しかし、問題が1906年に起こる。兄が医学の視察のためにヨーロッパに出かけている間に、ウィルはコーンフレークの生地に砂糖を入れてみたのだ。出来上がった砂糖入りコーンフレークは患者たちにきわめて好評だった。しかし、帰国したジョンは弟が禁断の砂糖を使ったことに激怒し、二人は仲たがいをしてしまう。

成功を確信していたウィルは療養所を離れて独立し、砂糖入りコーンフレークを「ケロッグ・トーステッド・コーンフレーク」として売り出す。大々的な宣伝も功を奏し、砂糖入りコーンフレークは爆発的な売り上げを記録した。産業革命によって生活が忙しくなっていた家庭にとっては、牛乳をかけるとすぐに食べられるコーンフレークは朝食に最適だったのだ。

このケロッグの大成功に触発されて、後追いのシリアルの会社が近隣に40社以上設立されたと言われている。その一つがチャールズ・W・ポストが創業したポスタムシリアル社で、彼は1800年代終わり頃にケロッグの療養所に患者として入院したことがあり、そこで食べたものを参考に(真似をして)製品を開発したと言われている。ケロッグ社とポスタムシリアル社はシリアル業界のシェアを2分したが、両社は熾烈な競争を繰り広げ、社員同士はお互いを憎むべき敵とみなすようになったという。

こうしてコーンフレーク会社の競争が激しくなるにつれて、各社は砂糖の含有量を増やし続けた。砂糖の量が多いほど美味しく感じられ、よく売れたからだ。実際に、砂糖には最も美味しく感じられる濃度である「至適濃度」があり、至適濃度までは砂糖の濃度が高ければ高いほど美味しく感じられるのだ。また、大人に比べて子供では砂糖の至適濃度が高いこともわかっている。

このように、健康のために生み出されたコーンフレークは、砂糖が多く含まれたジャンクフードとみなされるようになっていくのである。


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