食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

中世の農業の発展-中世日本の食(10)

2021-01-23 23:42:05 | 第三章 中世の食の革命
中世の農業の発展-中世日本の食(10)
これまでお話してきたように、日本の中世では茶の湯や懐石、菓子、麺類、日本酒など、食の様々な分野で大きな革新が見られました。このような新しい食の世界を生み出す原動力となったのが、中世日本の農業革命と呼ぶにふさわしい農業技術の進歩です。

今回は中世日本における農業技術の進歩とその背景について見て行きます。



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鎌倉時代になると耕地当たりの生産性が著しく向上した。その要因となったのが、①鉄製農具の普及、②ウシやウマの利用、③肥料の発達、④灌漑設備の発達などだ。

これらについて順番に説明しよう。

・鉄製農具の普及と牛馬耕

鎌倉時代になると、それまでは一般の農民が入手できなかった鉄製の農具が広く普及するようになった。この背景には、この頃に日本における鉄の生産量が増大したことがある。

製鉄は平安時代まで日本全国で小規模に行われていた。ところが平安末期になると、中国地方の山間部における鉄の生産量が飛躍的に増大したのだ。これには、この地方で「たたら製鉄」と呼ばれる日本独特の製鉄技術が発展したことと、鉄の原料となる良質の砂鉄が多くとれたことが関係している。

「たたら」とは空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)のことで、たたら製鉄では炉の中に火をつけた木炭と砂鉄を入れ、たたらで空気を送り込むことで砂鉄から酸素を奪って製鉄を行うのである。木炭はそれほど高温にならないので鉄に不純物が混じりにくく、純度の高い鉄ができると言われている。

広島県豊平町の中世製鉄遺跡群では、11世紀頃から時代とともに炉が大型化する様子が見られるという。このような鉄生産設備の増強には、武士階級の台頭により武器の需要が増えたことと、庶民生活での鉄製品の需要の伸びがあったと考えられる。また、明では日本刀の人気が高く、室町時代には数万振りの刀が輸出された。

さて、中世になって普及した鉄製農具はウシやウマにひかせることによって大きな力を発揮した。重くて刃先が鋭い犂(すき/り)を力の強い牛馬がひくことで、農地を深く耕すことが可能になったのだ。また、刃先が鉄製の鍬(くわ)や鋤(すき)などの農具も作られるようになり、人力でも深く耕せるようになった。

こうして深く耕すと、土が柔らかくなり根が張りやすくなるとともに、土の中の微生物が活発に働いて有機物の分解が進み、栄養分が増えるのだ。

・肥料の発達

鎌倉時代になると、農地にほどこす肥料として、草木をそのまま埋めて腐食させて肥料にする「刈敷(かりしき)」や、草木を焼いて灰にして肥料に使う「草木灰(そうもくばい)」がよく使用されるようになった。

刈敷は弥生時代から行われている方法だったが、労力がかかるためあまり行われていなかった。ところが中世になると農民が集まって集落を作るようになり、協力して農作業を行うようになった。その結果、刈敷が盛んになったのだ。

また、ウシやウマが農耕に使われるようになって、その糞(厩肥)も肥料として利用されるようになった。

さらに室町時代になると、人間の糞尿を腐らせて肥料とした下肥(しもごえ)が広く使用されるようになった。京都などの大都市に住む人々の糞尿が農村へ運ばれて肥料となったのだ。

こうして耕作地の地力が上昇し、作物の生産性が上昇したのである。

・灌漑設備の発達

中世には灌漑技術にも進歩があった。水を水田や水路に引き込む水車は9世紀頃に中国からもたらされた。13世紀初めに書かれた『石山寺縁起絵巻』には、京都の宇治川で水車によって水田に水を自動的に引いていたことが記されている。

以上のようにして農業生産性が向上したとによって、春に田植えをして夏過ぎに稲刈りをし、秋にムギを植えて春に収穫する「二毛作」が始まり、次第に全国に広がって行った(先進地域であった畿内では、平安末期に二毛作が始まった)。このようにコムギの生産量が増えたことによって、小麦粉を使った麺類や饅頭などの菓子類が作られるようになる。

さらに室町時代になると、畿内で二毛作に加えて三毛作も実施されるようになる。また、コメとコムギに加えて、ソバなどが栽培される地域も出てきた。
また室町時代には、中国から赤米(大唐米:インド種赤米)がもたらされた。赤米はあまり美味しくないそうだが、干ばつに強く早熟で炊くと大きく膨れるため食料としては優秀だった。イネの品種改良も進み、室町時代には早稲(わせ)などの品種ができて、それぞれの地域の気候条件に合ったものが栽培されるようになった。

一方、鎌倉時代になると主食となる穀物の栽培以外に様々な作物が栽培され、商品価値のある手工業品が生産されるようになった。例えば、カイコのエサの桑を育てて生糸を作ったり、麻を育てて麻布を作ったり、荏胡麻(えごま)を育てて油をとったり、茶が育てられて茶葉が作られたりした。また、しゃもじや桶(おけ)などの手工業品もつくられた。

これらの品々は自分たちで消費するだけでなく、定期市などで他の物品と交換され商品として流通するようになった。こうして作り手は次第に手工業品だけで生計を立てることが可能となり、専門の職人も出てきたのである。

以上のように中世では農村での生産性が大きく向上したが、これが食の世界の発展につながったのである。


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