食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ニューアムステルダムの食-独立前後の北米の食の革命(3)

2021-09-15 18:13:46 | 第四章 近世の食の革命
ニューアムステルダムの食-独立前後の北米の食の革命(3)
ニューアムステルダム」と言う街をご存知でしょうか。

実は、今はニューアムステルダムという街は存在しません。ニューアムステルダムは「ニューヨーク」の昔の名前で、その名前の頃はオランダ人が街を支配していました。オランダの首都がアムステルダムのため、ニューアムステルダムと名付けられたのです。

今回は、ニューアムステルダムがニューヨークになるまでの歴史をたどるとともに、当時の食について見て行きます。

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アメリカ合衆国の大都市ニューヨークは、最初はオランダ(ネーデルラント)の植民地として出発した。そして後にイギリスの植民地になる。そのいきさつは次の通りだ。

1609年にオランダ東インド会社が派遣したイングランド人のヘンリー・ハドソンが現在のニューヨークを含む一帯を発見した。ちなみに、マンハッタンに沿って流れるハドソン川の名は彼にちなんで付けられたものだ。

ハドソン川ではビーバーがたくさん獲れたため、オランダ人はハドソン川流域に植民地を建設することにした。紳士が身に付けるものにシルクハットがあるが、19世紀にシルクハットが作られるまでは、ビーバーの毛皮で作った帽子が紳士の必需品となっていた。このため、ビーバーはとても重要な獲物だったのだ(ちなみにビーバーの肉も美味しいそうです)。

そうして1626年にはマンハッタン島の南端にニューアムステルダムが建設された。元はアメリカ原住民の土地だったが、オランダ人が奪い取った形だった。この地が後にニューヨークになる。

アメリカ植民地全体に言えることだが、植民が始まった頃には植民者に好意的だったアメリカ原住民も、自分たちの土地を侵略されたことが分かってくると、武力で侵略者を排除しようとした。一方のヨーロッパ人も高性能の武器で対抗した。また、拠点となる場所には防護壁を建設した。証券取引所があるニューヨークの「ウォール街」の名もそのような防護壁(wall)に由来している。

1664年になると、イギリス軍がニューアムステルダムを占領する。その後もイギリスとオランダの間で争奪戦が繰り広げられたが、最終的にイギリスの植民地として認められた。なお、ニューアムステルダムはイギリス国王チャールズ2世の弟のヨーク公に与えられたので、「ニューヨーク」と改名された。

さて、ここからニューアムステルダムの食について見て行こう。

オランダ人は貿易を生業としており、船をたくさん保有していたため、植民地に必要なものはすべて船で運んできた。ウシヒツジもヨーロッパから連れてきて、ミルクやバター、チーズを作った。マンハッタンにもヒツジの放牧地が作られたという。

オランダ人はかなりの酒好きだ。ちなみに、現代のオランダでは、高学歴になるほど酒をよく飲むらしい。そういうわけで、ニューアムステルダムではすぐにビールの醸造所とジンを造るための蒸留所が作られた。ジンは、ねずの実(ジュニパーベリー)と、さまざまな香草や香辛料を加え再蒸溜することで造られるため、香りが豊かなことを特徴としている。オランダではジン造りが盛んだったため、蒸留所が作られたのだ。

ニューアムステルダムでは、子供も大人もビールを飲んでいた。安全な飲料水が不足していたため、その代わりにビールを飲んでいたのである。ビールと言ってもアルコール度数が0.5〜1.5%と非常に低いため、それほど酔うことはない。なお、酔いたい大人は、強いビール(アルコール度数が高いビール)を飲んだ。酒をよく飲んだため、ニューアムステルダムの料理は塩や香辛料がたっぷり入っていたと言われている。

ニューアムステルダムでは1日に3回の食事を摂ることが多かった。

朝食には、バターやチーズを塗ったパンやパンをスープに入れた「ソップ」を食べ、飲料水代わりのビールを飲んだ。

昼過ぎの食事はその日のメインディッシュだ。「ハットスポット(hutspot)」と呼ばれるニンジン、タマネギなどと肉、香辛料を入れたシチューがよく食べられたらしい。また、魚や果物も食べられた。マンハッタンの近くでは、動物はシチメンチョウやシカがたくさん手に入ったし、魚はシマアジやチョウザメが獲れたという。

夕食には、バターやチーズを塗ったパンやムギの粥、そして昼食の残り物などを食べた。冷蔵設備がなかったので、腐りやすい食べ物はその日のうちに食べなければならなかった。


ハットスポット(kalhhによるPixabayからの画像)

ニューアムステルダムでは朝昼晩の三食のいずれでもパンを食べており、食事には欠かせないものだった。様々なパンが作られていて、例えば、ロールパンやパンケーキ(今よりも厚くて固かったらしい)、固めの焼き菓子パンのプレッツェル、ワッフル、そして現代のドーナツの前身となる油で揚げたパンなどが売られていたという。

このようなパンがイギリス植民地のニューヨークに受け継がれて、現在食べられているようなパンケーキやワッフル、ドーナツなどが生まれたと考えられている。


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