メキシコ料理の変遷-中南米の植民地の変遷(5)
アメリカ大陸のスペイン植民地の中では、現在のメキシコが最も栄えていたと言われています。その繁栄を支えていたのが銀です。メキシコでは16世紀中ごろのサカテサス銀山の開発を皮切りに、17世紀以降にも次々と新しい銀鉱脈が見つかりました。この銀を輸出することでメキシコは永らく栄えることになったのです。
それにともなってメキシコの人口も増え、スペインの植民地の中では最大の人口を誇るようになりました。18世紀末のアメリカのスペイン植民地における総人口は約1300万人と見積もられていますが、メキシコには約600万人もの人が暮らしていました。同じ時期のスペイン本国の人口は500万人から600万人と言われていますが、それに匹敵する数です。
この約600万人のメキシコ人の内訳を見ると、両親がスペイン人のクリオーリョと呼ばれる人たちが100万人ほどを占め、社会の中心となっていました。また、ヨーロッパ人と原住民との混血であるメスティーソも100万人ほどいて、中間層として社会的地位が徐々に向上して行きました。そして、残りの400万人ほどが原住民であり、社会を支える労働力の担い手でした(16世紀から17世紀にかけて感染症によって多くの原住民が亡くなりましたが、次第に免疫力が高まったのか、17世紀半ばごろから人口増加に転じました)。
さて、現在のメキシコの料理の基礎は、原住民の食文化にスペインなどの外国の食文化が融合することで生まれました。今回は、このようなメキシコの食の変遷について見て行きます。
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メキシコ料理の最も古いルーツとなっているものが、紀元前から16世紀までメキシコ南東部のユカタン半島で栄えたマヤ文明の食生活だ。彼らは遊牧民族であり、狩猟を行うことでアライグマ、シカ、ウサギ、アルマジロ、ガラガラヘビ、イグアナ、ハト、カメ、カエル、七面鳥などの動物や、いくつかの昆虫を基本的な食材としていた。また、トウモロコシやマメ、野生の果実なども食べていた。
メキシコ中央部では、1428年からアステカ帝国が栄えたが、この帝国ではトウモロコシやマメなどとともに、トウガラシやトマト、カカオなども食材として使用された。また、七面鳥やアヒルなどの野生動物が家畜化されていた。
マヤやアステカなどではトウモロコシは主に植物の灰汁につけてから調理を行った。アルカリ性の灰汁につけることですり潰しやすくなるとともに、タンパク質などの栄養素が吸収しやすい形状に変わるし、灰汁中のミネラルが補充されたりもするのだ。また、防腐効果もあったとされている。灰汁につけたトウモロコシは粥か少しすり潰して蒸し団子(タマルという)にするか、しっかりとすり潰してから薄く延ばして焼いた「トルティーヤ」にして食べた。このような食べ方は現代でも受け継がれている。
1519年にスペイン人がメキシコに侵攻し、1521年にはアステカ帝国が滅亡した。その結果、これ以降しばらくの間、スペイン料理がメキシコ料理に最も影響を与えることとなった。
スペイン人は、ヒツジ、ブタ、ウシなどの新しい家畜を持ちこんだため、それらの肉と乳製品がメキシコ料理に取り入れられた。また、ムギ類やコメ、ニンニク、タマネギ、さまざまなハーブ、スパイスなどもメキシコ料理に導入された。
こうして、スペインの影響を受けて、ロモ・エン・アドボ(豚のロース肉をスパイシーな漬け汁でマリネした料理)、ケサディーヤ(トウモロコシの皮にチーズをはさんだもの)やワカモレ(アボカド、トウガラシ、トマト、タマネギ、コリアンダーなどで作るサルサ)などの料理が登場し、現在も伝統的なメキシコ料理の一品となっている。
スペインはアメリカ大陸以外にも植民地を持っており、メキシコ料理はその影響も受けた。その一つがフィリピンだ。
1565年にアンドレス・デ・ウルダネーダというスペイン修道士がフィリピンからメキシコに向かう新しい航路を発見した。すなわち、フィリピンの北側を流れる偏西風に乗ることでアメリカ大陸西岸に至るコースである。一方、メキシコからフィリピンへはその南を逆方向に流れる貿易風に乗ることで楽にたどり着ける。
こうして、フィリピンとメキシコを結ぶ貿易航路が確立され、19世紀の初めまで様々な物資の輸送に利用された。フィリピンからは主に中国で作られた絹や陶磁器などがメキシコに運ばれた。一方、メキシコからは銀が運ばれた。このような物資の行き来にともなって人の移動も盛んになり、様々な食材や料理が二つの地域を行き来した。
フィリピンからメキシコへはマンゴーやヤシの木が運ばれたという。また、ヤシを原料にした蒸留酒の製造に関わっていた人たちが移住することで、メキシコ特産の蒸留酒であるメスカル(テキーラはメスカルの1つ)が誕生したという説もある。
一方、その逆もしかりで、フィリピンにはメキシコ料理が流入し、タコスなどが今でもよく食べられている。
さて、近世から外れるが、その後の話も少しだけ紹介しよう。
メキシコは1810年より独立戦争を開始し、1821年に独立を果たした。しかし、1862年に借金の返済の不履行をきっかけにフランス軍がメキシコに侵攻した。そして1866年に撤退するまでフランス軍がメキシコに駐留した。この時にフランス人はさまざまな料理やパン、焼き菓子をメキシコに持ち込んだ。
カボチャやアボカドといったメキシコの食材は、フランス料理のムースやクレープ、スープなどによく合ったため、それらを使った新しい料理がたくさん誕生した。また、メキシコでよく食べられているパンのボリージョが、フランスパンの製造をまねて作られるようになった。そして、クリームチーズを使って作られるメキシコ風プディングもフランス菓子の影響を受けて考案されたものの一例である。
このようにメキシコ料理は、様々な国の料理が組み合わされることででき上って行ったのである。