4・2 アメリカ大陸の新しい食
ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(1)
「ラテンアメリカ」という言い方がありますが、これはコロンブス以降にスペインとポルトガルが中南米を支配した結果、使用する言語や文化がラテン系(イベリア系)になったからです。また、スペインとポルトガルがカトリック国であったことから、ラテンアメリカではカトリックの信者が大部分を占めています。
それに対して北米はアングル人が基礎を築いたイギリスが支配したため「アングロアメリカ」と呼ばれます。そしてイギリスはプロテスタント国であったため、北米では大部分をプロテスタントが占めています。
さて、今回はスペインとポルトガルによって支配される以前の中南米の農作物について見て行きますが、もしアメリカ大陸が無かったら、世界の料理は今日とはかなり違ったものになっていたことが分かるはずです。
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現在のアメリカ大陸はベーリング海峡によってアジア大陸(ユーラシア大陸)と隔たれているが、氷期には今よりも海面がずっと低く、両大陸は「ベーリング陸橋」でつながっていた。そして動物はこの期間はベーリング陸橋を通って両大陸間の行き来ができていたのだ。例えば、アフリカを出発した人類(ホモ・サピエンス)は約1万6千年前に陸橋を渡ってアメリカ大陸に進出したと推定されている。
ところが約1万4千年前に最後の氷期が終わるとベーリング陸橋が消失し、アメリカ大陸の生物はアジア大陸とは異なる独自の運命をたどることになった。この時、大型の哺乳類にとって不運だったことが人類の存在だ。北アメリカ大陸では氷期が終わる頃からほとんどの大型哺乳類が人類に狩り尽くされて絶滅したと考えられているのだ。
例えば、ウマの祖先はアメリカ大陸に出現し進化を重ねていたが、ベーリング陸橋を通ってアジア大陸に渡った一部だけが現在のウマに進化し、アメリカ大陸のものは絶滅した。一方、マンモスなどのゾウの仲間はアジア大陸からやって来たが、そのすべては氷期が終わると絶滅した。
アジア大陸と同じようにアメリカ大陸でもしばらくの間狩猟採集の時代が続いた後、農耕が開始された。その中心となったのはメソアメリカ(現在のメキシコ南部と中央アメリカ北西部にまたがる地域)と南アメリカ西部の中央アンデスだった。
メソアメリカでは紀元前6000年頃から原始的な農耕が始まったと考えられている(諸説ある)。メソアメリカにおける主要な作物は「トウモロコシ」で、この本格的な栽培も紀元前6000年頃から開始されたと推測されている。
トウモロコシはテオシントという雑草から栽培化された。テオシントには十粒程度のかたい皮によっておおわれた穀粒がついているが、栽培化によってかたい皮が無くなって食べやすくなるとともに穀粒の数も数十粒まで増えた(現代のトウモロコシには500粒以上の穀粒がついている)。その後トウモロコシは高い栄養価と育てやすさからアメリカ大陸全体に広まって行った。メソアメリカ文明のマヤ文明には人間はトウモロコシから作られたという神話があった。
メソアメリカはトウモロコシのほかに、カボチャの原産地でもある。その栽培は紀元前8000~6000年に始まったと推定されており、トウモロコシの栽培よりも早い。しかし、カボチャの栽培化は狩猟採集時代から徐々に進行したと考えられており、人類が時間をかけて美味しくて栄養価の高い品種を作り上げたのだろう。
また、トウガラシとカカオ、アボカド、パパイヤもメソアメリカが原産地だ。なお、トウガラシとカカオについては後ほどあらためて詳しくお話したいと思う。
一方の中央アンデスでは紀元前5000年頃から原始的な農耕が始まったとされている。中央アンデスでの主な作物はジャガイモであり、ジャガイモの栽培化も紀元前5000年頃である。
ジャガイモの先祖は高度4000メートルに育つ雑草だったと考えられている。緯度が低いとは言え高地のため低温で植物が育ちにくく、食料にできる植物は根にデンプンをためるイモの仲間くらいしか無かったと言われている。
しかし、イモの欠点は毒を持つことである。イモは根や地下茎で増えるので動物に食べられると死んでしまう。それを防ぐために毒を持つのが一般的なのだ。人類は、水でさらしたり、乾燥させたり、低い外気で凍らせたりすることでイモから毒抜きをする方法を見つけ出した。さらに、栽培化によって毒が少なくて大きく育つジャガイモを作り出して行ったと考えられている。
また、サツマイモも紀元前3000年頃から栽培が始まったとされている。ジャガイモが標高3000メートル以上の高地に適しているのに対して、サツマイモは標高2000メートル以下に生育する。なお、サツマイモにはジャガイモのような毒はない。
タピオカの原料となるキャッサバも現在のブラジル西部などを原産地としており、栽培化は紀元前8000年頃と推定されている。ただし、栽培の最古の証拠が残っているのは西暦700年頃のメソアメリカのマヤ文明遺跡である。キャッサバはコロンブスがやって来た頃には西インド諸島や南アメリカの北部、中央アメリカの南部において主食となっていた。
国連食糧農業機関の統計によると、2019年のイモ類の世界総生産量は、1位がジャガイモ(約3億7400万トン)、2位がキャッサバ(約3億400万トン)、3位がサツマイモ(約9200万トン)となっており、南米で生まれたこれらのイモ類が人類の食糧として重宝されていることがよくわかる。
また、中央アンデスはトマトの原産地でもあるが、その栽培化の時期についてはよく分かっていない。コロンブスがアメリカ大陸に到達した時には主にメソアメリカのアステカで栽培されていたという。
ラッカセイやパイナップルも原産地は南アメリカ大陸である。ラッカセイもパイナップルも15世紀末にはアメリカ大陸で広く栽培されていた。
以上見てきたように、アメリカ大陸は私たちになじみのあるたくさんの食べ物の原産地であり、もしアメリカ大陸が無かったら、私たちの食卓はとても寂しいものになっていたはずだ。