気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

年賀状~友の近況..."(-""-)"

2022年01月18日 | 日記

退職して2度目の正月を迎えました。

送った年賀状の折り返しが友人本人ではなく弟さんからのものがありました。

添え書きに「姉は去年の2月より施設に入っていますが、今後も良いご関係をお願いします。」との言葉と弟さんの携帯番号が書かれてあり、

それは、電話をして下さいという意味なのかと思い、電話をしてみました。

彼女は私と同い年ですが、未婚だったので両親が亡くなったあとは実家で独り暮らしになりました。(イエローラブのブルちゃんと

そこへ奥さんを失くし子供も無く、やはり独り暮らしだった弟さんが戻って、姉弟の二人で暮らしていました。

弟さんの話を要約すると、

『おととし(2020年)の12月に転び、ソファーで頭を打ち、かなり出血をしたので入院となりました。

転んだ原因は脳梗塞で、退院しても体が思うように動かせず自力での生活は困難になり、やむなく昨年(2021年2月)施設に入りました。

その後の一年間でめっきり弱り、今は介護4で、もうほとんど寝たきりです。』ということでした。

「すぐにでも会いに行きたい。」と言うと、

「コロナ禍なので今は弟の自分も面会できない状態なので、無理です。しかも行って下さっても分かるかどうか?」ということでした。

そんなになっているなんて…なら、なおさら行きたいけれど…コロナ禍だから駄目って・・・なんと切ない・・・。

おととしの年賀状には「まだお仕事しているのですか?」の添え書きがあり、私に早く仕事辞めて欲しいコール?また一緒にどこかへ行きたいコール?だと思っていました。

私も「今年仕事辞めるから、そしたらまたどこかへ行こう!」ぐらいの乗りでした。

でも、すぐその直後、コロナ禍となり、千葉と神奈川に住いがある私たちは会う機会が持てませんでした。

そしてそのせいもあるのか、それまではメールや電話が頻繁にあったのに彼女からはなんの連絡も無くなりました。

けれど、近くに友人ができたのかなと思い、あまり人付き合いの上手でない彼女にはそれはそれで良いことだと思いながら…私も連絡を取っていませんでした。

コロナ禍の2年はアッという間に過ぎていたように思えても、彼女にとっては大きな変化があったということです。

最初の一年、唯一の行き場だったカーブスにも行けなくなり、弟さんはいるけれど独り暮らしの様なもの、話す人も無く、だんだんと病が進行していったのかなと思います。

入院するほどの怪我は無くても打撲程度の「転び」は幾度もしていたそうです。

「思えばその時も軽い脳梗塞があったのかもしれないです。病院へ行こうといったのですが、姉が嫌だと言っていうことを聞かなかった。」と弟さんは言っていました。

私も、今さら反省しても仕方ないけれど、遠慮なく電話なりメールなりすれば良かったと思います。

    

その友は、私の派遣社員時代にできた友人で、私がその派遣会社に登録したのは、40歳くらいなので、もう30年近い付き合いになります。

当時はまだパソコン扱いで登録している人は、凡そ私たちより若い世代でした。

彼女は同い年だったので必然的に同じようなところへ派遣され、何度か一緒に仕事をしました。

会社の営業スタッフは、私と彼女のセットで派遣しようと考えていたようなきらいがありました。

彼女は若い人とのコミュニケーションが下手だったのです。

懐かしくなり写真を探したけれど二人とも写真は苦手なので、あまりありませんでした。

ふたりの派遣先は主に都内だったのでスカイツリーができてしばらくしたころ、思い出として登ってみようと

【はとバス都内観光ツアー】でスカイツリーに行ったことがありました。

2015年7月4日スカイツリーから。その日は小雨で、しかも窓越しからなのでぼやけています。(写真・iPad)

建物でぎっしりの地上!その時「夜景は綺麗だろうね!」って言っていました。

待ち合わせの東京駅(丸の内南口改札口)から出たところ。

九段の靖国神社前(雨も上がっています。)

この他【皇居前広場】【上野】【歌舞伎座】【国会議事堂】【大手町のビル街】などがありました。

みな通り過ぎるだけで窓越しだったので、写真はありません。

でも二人とも都内あちこちで働いていたので、それぞれ懐かしい思い出があり楽しい一日でした。

「はとバスもいいものだなぁ」と思った覚えがあります。(今のコロナ禍で、はとバスも苦境らしいですが・・・)

他に彼女とは秩父一泊旅行をしています。

この間の秩父旅で書いている職場の友とは彼女のことでした。

5月の連休だったのでツツジがいっぱい咲いていてあの旅も楽しい思い出です。

宝登山の山頂で食べた、まだ存命だった彼女のお母さんが作ってくれたおにぎりの美味しかったこと。

この様な時に思い出す思い出って何だか切ないです。

私たちは年女です。「五黄の寅ってめちゃくちゃ強いらしいよ。」って言っていたのだから頑張って欲しい。

ブルちゃんも弟さんとおりこうさんにしている様です。

春になって彼女の病も良くなっていて、コロナも落ち着き、逢いに行ければいいなと思っています。


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